AFTERモデル(迫害者・救済者の両面を持つ自己同一化パターン)
Attitude(セルフイメージ・態度)
私は状況を俯瞰できている理性的な大人である
私には他者より判断力・責任感がある
私がやらなきゃ、この状況は回らない
私は「合理的に動ける人間」だ(=A自我)
私が負担を引き受けるのは当然
→ 根底には「無能な他者を助ける」「機能不全な世界を支える」自己イメージ(救済者+迫害者の混合)
🅵 Find Target(ターゲット探索・先入観)
この人たちは放っておいたら本当にダメになる
自分以外にやれる人がいない
あの人たちは無責任/無力/依存的だ
誰も状況を直視していない
自分が理性的に動かなければ崩壊する
→ 投影されたターゲットは「無能で依存的な他者たち」
🆃 Triggering Act(働きかけ)
自分が動く/やると決める(理屈ではないが引き受けてしまう)
「合理的だから」と自分に言い聞かせて引き受ける
自らの価値観を内心で他者に押しつける
「自分のためでもあるし…」という正当化を添える
結果的に他者が無力な役割を演じる構造をつくってしまう
🅴 Enactment(再演)
他者は本当に動かず、自分が背負うことになる
自分だけが疲弊していく構造が再現される
他者の無能さや非協力性が露呈し、「やっぱり…」となる
自分の中で「やるしかない」ループが強化される
🆁 Result(いつもの結末)
やっぱり「自分がやらなきゃ」は正しかった、と再確認
無力感と諦めが深まる(でもやるしかない)
他者との関係は固定化し、自分は孤立しやすい
「大人になること」の意味が「我慢と負担」になっている
原体験(6歳の自己)が強化され続ける
補足:
このパターンは、一見「合理的判断」に見えるが、実際には深い救済者の同一化と**内的迫害者の強要(A自我の強制)**が同時に起こっている。
内在する「無力な他者への怒り(Fの投影)」と「見捨てられたくない/必要とされたい自己(Pの投影)」が結びつき、無意識に再演構造を生み出している。
→ 真の統合には、「あのときの6歳の私」が抱えていた不安や寂しさに寄り添うこと、
そして「今の私」が“背負うこと以外の選択肢”に気づけるようになることが必要。