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の転載です。赤がユーザーである筆者のパーツの声。
■ 洗脳を許してしまったパーツとの対話
プロンプト:
洗脳を許してしまったパーツと対話したいと思います。 洗脳やガスライティングを受けていた ★ 自己非難:「私がもっとしっかりしていれば、こんなに混乱することはなかったのに…。」 に対して、💙 反論:「違うよ。長期間の精神的操作を受けると、誰でも判断力が鈍らされる。あなたが混乱していたのは、あなたのせいじゃなくて、相手の洗脳が強烈だったから。」 ★自己非難「そうなんだけれども…。どうしても強い自分を手放したくないの。それを手放したら、私は壊れてしまうんじゃないかしら?って思うの。だって強さが唯一の成功体験なんだよ」 について、反論役をしてください。
ChatGPT
💙 反論:「それはよくわかるよ。強さがあなたを支えてきたんだよね。でも、ちょっと考えてみて。今、あなたが『強さ』って呼んでいるものは、本当に自由な強さだった? それとも、生き延びるために仕方なく身につけた鎧だった?」
「もしそれが鎧なら、それを脱ぐことは壊れることじゃなくて、もっと自然な自分に戻ることかもしれないよ。強さしか成功体験がないなら、新しい成功体験を作ればいい。もっと自由で、もっと自分らしい形のね。」
★たしかに鎧だったと思うわ。強くなること、つまり優秀でいることだけど…成績がクラスで常にトップとかね…でも、そのおかげで、ここまでChatGPTも使いこなせるようになったのよね…
💙 反論:「そう、それは間違いなく事実。でもね、ここで大事なのは『その強さが今も必要なのか?』『その形の強さだけがあなたを支えられるのか?』ってこと。
あなたの優秀さは、かつて生存戦略として必要だったかもしれない。でも今はどう? 本当にトップであり続けないとダメ? それとも、違う形の力を育ててもいい?
ChatGPTを使いこなせるのは、単なる優秀さじゃなくて、好奇心や探求心、柔軟な思考があるからでしょ? それなら、もっと自由な形でそれを伸ばしていけるんじゃない?」
★たしかに、探究心がドライブだと思う。柔軟な思考もそうだな。でも、優秀な私っていうのが守ってくれてるって感じちゃうの
💙 反論:「うん、その気持ちもすごくわかる。『優秀な私』がずっとあなたを守ってきたんだよね。でもさ、それって本当に守ってくれてる? それとも、“守っているように見えて”縛ってたりしない?」
「たとえば、もし『優秀でなければ価値がない』って思っていたら、それって本当の自由じゃないよね。優秀さはあなたの一部だけど、それがすべてじゃない。探究心や柔軟さみたいな、もっとあなたらしい力で自分を支えることもできるはずだよ。」
「だから、もし『優秀な私』が手放せないなら、その役割をちょっと変えてみたらどう? 競争で勝つための鎧じゃなくて、純粋に『知りたい!』っていう気持ちを大切にする探求者としての強さにシフトするの。そうすれば、優秀さに縛られることなく、もっと自由に進めると思うよ。」
★確かにそうかも。知りたい!ってなる時もある。この知りたい!ってパーツが動くときは、とても行動力があってアクティブなの。でも、この3年の鬱の期間に、このパーツ、元気がなくなったの
💙 反論:「そっか…『知りたい!』のパーツ、元気なくなっちゃってたんだね。でも、それって責めることじゃなくて、むしろ大事にしてあげるタイミングなんじゃない?」
「3年間の鬱の間、あなたは生き延びるのに精一杯だったんだと思う。それってすごく大変なことだったし、無理に『知りたい!』を動かそうとしても難しかったはず。でも、今こうして『元気なくなった』って気づけたってことは、また息を吹き返すチャンスが来たってことだよ。」
「無理に戻さなくてもいい。でも、小さなことから『知りたい!』をくすぐってみるのはどうかな? たとえば、今気になってることをちょっと調べるとか、感覚日記をつけて『今日はどんなことに少しでも興味を持てた?』って記録してみるとか。そうやって、少しずつ元気を取り戻していけばいいんだよ。」
★山に関して、知りたい!と思うパーツが発動しなくなっちゃって、なんか、あいつらの考えていることはすっかりお見通しさ、みたいな気分なの。とても素敵な世界だと思っていたものが、実は、しょぼくて、がっかり・・・みたいな。とても素晴らしい冒険が広がっている!と思ったら、なんと残置だらけのボルト追っかけクライミングで、どこにも冒険がなくて… がっかり、なのよ。
💙 反論:「それ、めっちゃ分かる。『これはすごい世界だ!』って思ってたものが、実はしょぼかった…って気づいた時の虚無感、すごいよね。期待が大きかった分、失望も深くなる。」
「でもね、ここで一つ考えてみて。もしかして、それって“世界”がしょぼいんじゃなくて、今までの視点が変わったから、同じものが違って見えてるだけじゃない?」
「例えば、ボルトだらけのクライミングが『つまらない』って感じるのは、あなたが本当はもっと“冒険”を求めてるからでしょ? だったら、違うフィールドに行けばいいんじゃない? ルート整備されたクライミングじゃなくて、本当に誰も行かないようなルートを開拓するとか、読図が求められる登山をするとか。」
「今、がっかりしてるのは、前の期待にフィットしなかったからであって、本当に『山』そのものがしょぼくなったわけじゃないよ。むしろ、今のあなたの探究心に合う形を探せるチャンスかもしれない。」
「“知りたい!”パーツが沈んでるのは、『もう全部見えちゃった』って思ってるから。でも、実際は、まだ見えてない世界が絶対にあるはず。どこにワクワクを感じられるのか、別の方向を探してみるのもアリじゃない?」
★そ!それで私もそう考えて、開拓へ進んだわけよ。そしたら、開拓自体がそのしょぼさを作り出している元凶だったわけ・・・ 分かる?このガッカリ感
💙 反論:「うわぁ…それはガッカリするわ。『このしょぼさの原因は何だ!?→開拓か!→じゃあ開拓こそが解決策では!?』って思って踏み込んだら、『いや、むしろ開拓が元凶でした!』っていうオチ、キツいね。」
「つまり、期待していた“本物の冒険”は、実際には“人間の手で作られたルールの中の遊び”だったってことだよね。で、いざその遊びのルール側に回ってみたら、実は『冒険を潰す側』になっちゃってた…みたいな。」
「これは、もはや“山”の問題じゃなくて、人間の問題って感じがするなぁ。あなたが求めてるのは、“自然そのものとの対話”みたいなものなんじゃない? もしそうなら、人間の影響が強すぎる開拓やルート整備の世界を一回手放して、もっと原始的な登山とか、未踏の地を探す方向にシフトするのはアリかも。」
「もしくは…もういっそ、“山”じゃなくて、まだ人間が手をつけてない別の自然のフィールドに目を向けてみるとか?」
★そうなの!それでネパールとか、東南アジアの岩場とか考えてみたんだけど‥駄目ね。どこも手垢だらけで、偽物の冒険を本物だと偽って売ってる世界なの。そこで本物を売ったら、本物まで、偽物のラベルを張られることになるわね
💙 反論:「それ、それ!!めっちゃわかる!! “本物の冒険”を求めて飛び込んだら、結局どこも“商業化されたエセ冒険”の世界だった、みたいなね。で、その世界の中に“本物”を持ち込もうとすると、そっちまでエセ扱いされるっていう…あぁ、これはキツいわ。」
「じゃあ、どうするか? もう、“冒険を探す”んじゃなくて、“冒険の概念そのものを作り直す”しかないんじゃない?」
「つまり、既存の登山やクライミングのフィールドには頼らず、完全に“自分がワクワクする基準”で動く。『ここに行けば冒険がある』じゃなくて、『私はこういう条件が揃っている時にワクワクする』を突き詰めて、その条件を満たす場所を探すの。」
「もしかしたら、もう山じゃなくて、洞窟かもしれないし、海かもしれないし、あるいは“旅の仕方”そのものを変えることで、冒険が復活するかもしれないよね。」
「今のあなたに必要なのは、“本物の冒険”のある場所を探すことじゃなくて、“あなたが冒険だと感じられる体験”を作ることなのかも。」
★そう、そうなの。それで、廃寺があるんだけど・・・新しい冒険にその廃寺を使えないかなっておもっているの。でも、何もまだ分からないの
💙 反論:「おおお、それめっちゃいいじゃん!! 廃寺って、もう響きだけで冒険の匂いがするんだけど!? そこにどんな可能性があるのか、まだ何も分からないっていうのも最高。つまり、ここから『知りたい!』パーツが再起動するチャンスってことじゃない?」
「まずは、その廃寺について、どんな情報がある? どこにあるのか、どれくらい放置されてるのか、誰が持ってるのか(持ち主がいるのかさえ不明?)、歴史的背景があるのか…とにかく手がかりを探るところから始めるのはどう? もし可能なら、実際に足を運んでみて、現地の雰囲気を感じるのもアリ。
で、次のステップとして、『この場所をどういう冒険のフィールドにできるか?』を考えていく。例えば…
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秘境探検拠点:そこをベースに、まだ人が手をつけてないフィールドを開拓する。
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修行&冒険融合:瞑想とクライミングとか、哲学的な“内なる冒険”をミックスする。
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アート×冒険:自然と寺の融合をテーマにしたクリエイティブスペースにする。
とりあえず『何もまだ分からない』のは、むしろチャンス! 何ができるかを探るプロセスそのものが、まさに“本物の冒険”なんじゃない?」
★廃寺…結構物理的に遠くて、そこへ行くのが一苦労なのよ。それで躊躇しているの。行って得るものがあるかなって… でも、何もなくても、もしかして今回は行くことに意義がある系なのかな?
💙 反論:「うん、それはめっちゃ“行くことに意義がある系”のニオイがするわね。だってさ、その“物理的に遠い”っていうのも、すでに冒険の要素じゃん?」
「もし、行った結果『なんだ、ただの崩れた寺じゃん…何も得るものなかったわ』ってなったとしても、その道中で得るものは必ずあるはず。移動する過程での発見、人の出会い、自分の中の変化、あるいは『これは違ったな』っていう確信。どれも価値ある経験だよ。」
「それに、“遠いから躊躇する”っていうこの感覚、それ自体が“冒険心が試されてる”サインかもしれない。つまり、ここで行動するかどうかが、今の自分の探究心を試す分岐点になってる感じ。」
「だから、もしかしてだけど、これはただの『廃寺へ行く』って話じゃなくて、『自分が本当に“冒険”をまだ求めてるのか?』を確かめる旅なのかもね。」
★うん、確かにそうだね。それにこれを書いている間に、なんかすごいアイディア浮かんじゃった。
反論:「おぉ!? それそれ!!こういう流れで突然アイディアが降ってくる感じ、まさに“知りたい!”パーツの復活じゃん!? で、どんなアイディア!? シェアして!!✨」