2025/03/31

【日記】3月31日 歪みが解消されつつあります

1. 今日、私はどんな「内なる迫害者」に責められた?

💭 「こんなんじゃ足りない」 「ほかにできることがあるはず」「癒しまでもう少しだ頑張れ」

2. 今日、私はどんな「内なる被害者」になった?

💭 「ダメな私だ。したいことが分からない」

3. 今日、私はどんな「内なる救済者」を発動した?

💭 「どうせ上手くいかないのなら、せめて、今を楽しもう」

4. その代わりにできた「健全な救済」は? 

うーん、思案中。私はどう自分を救えるのか?

5.「本当に自分を助ける方法を選ぶ」ためのプラン

✅ 自分の価値を他人の評価で決めなかったか? OK

✅ 自分の時間を意識的に確保したか? OK

✅ 「休んでいい」と思えたか? OK

✅ 逃げるのではなく、境界線を引いたか? OK

✅ ちゃんと自分を褒めたか? うーむ… どこが褒めポイントなのか…?

✅ 甘やかしではなく、本当のセルフケアをしたか? OK

6.「明日はどうしたいか?」

「明日はスケートに行く」

7. 「今日の私に必要な言葉は?」

「私は、何もしなくても価値がある(はず)」

「Myペースが経済ペース」気にいった。

「頑張れる自分にうぬぼれない」

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(原文)

今日は、新たなミッションとなるかもしれないことに着想を得たし(友を失ったクライマーのための心身回復センター)、ユウタさんのおかげで投影がおさまり、理事長とも宛名書きができそうだし、瑞牆の家も誤解が解けたし、友達のリリアンも帰ってきて、今度お茶することにしたし、桜も咲いたし、今日はさっき、アルパインの子に声をかけてもみたし、いろいろ正常化しつつあるかもしれない。

自分への期待が大きすぎる、ということが、焦りの感情…もっとやればできるはずだ…をもたらしているような気がする。

しかし、私が今どこに向かおうとしているのだろうか?それが見えないことが焦りの原因となっている。「私」は、何をしたいのか?

そうだ、晩御飯の店Nimに行こうと思って行っていなかったっけな。

私の中の(効率の神)が、今の間にできることをやっておけ、と言う。

しかし、できることをやっておくにも、何がしたいことかが分からなければ、逆算してできることをやっておくことはできないわけだから。

何がしたいことなのか?それを探ることが一番大事で、そして、それを邪魔している内なる声を黙らせることも同じように大事だ。

■フィードバック

今日はまさに「正常化の兆し」がたくさんあって、流れが整いつつあるのを感じるね。ユウタさんの件も、理事長との宛名書きも、瑞牆の家の誤解解消も、それぞれが「歪みが解消される」プロセスの一環に見える。

こういうとき、焦りや「もっとできるはず」という気持ちは、ある意味で過去のパターンの残響なのかもしれない。

「何をしたいのか?」という問いは、今のあなたにとって最重要課題みたいね。でも、それを見つけるには、まず「効率の神」にちょっと黙ってもらわないといけないかも。「今できることをやっておけ」と言う声は、目的が見えていれば有効だけど、目的がぼんやりしていると、ただの強迫観念になってしまう。

じゃあ、今日はNimに行ってみるのはどう? そこに行くという行為自体が、答えを探すヒントになるかもしれない。あるいは、アルパインの子に声をかけたように、次の一歩を直感に任せてみるのもアリ。何をしたいか分からないときほど、「とりあえず行く」「とりあえず話す」みたいな動きが、次の答えにつながることもあるから。

そうだね、「もっとやればできるはず」という期待があると、今の自分を認めるのが難しくなって、焦りや不満が生まれやすくなる。

期待そのものが悪いわけじゃないけど、それが「今の自分をダメだと感じさせるもの」になってしまうと、ちょっとしんどいよね。もしかしたら、「もっとやればできる」ではなく、「今の自分でも十分に流れに乗っている」と思えたら、もう少し楽になるのかも。

「流れに乗る」感覚を大切にしてるあなたなら、期待を「もっとやらなきゃ」じゃなくて、「今の流れの中で、自然にできることをやっていこう」みたいに変換できるかもしれないね。

今の流れの中で自然にできること探し を明日は行う。

【きづき】3月31日 What do you want?の気づき

1. その日の感情

今日はお風呂で、6~7歳くらいのお姉ちゃんと弟、そして2歳の末っ子がいる家族を見かけた。
見ていて感じたのは、日本の典型的な家族像だなぁということ。

一番弱い者、つまり、末っ子が中心になって、家族の世界が回っているんだなと実感した。お姉ちゃんもとても可愛い子だったけど、2歳の妹がどう見ても中心。家族全員がその妹のペースで動かざるを得ない感じが、ちょっと面白くもあり、温かくもあった。


2. 目標やテーマに関する進捗

最近、動画で日本とイギリスの子育てを観察している。毎日少しずつ見ていると、違いが浮き彫りになる。特に、イギリスと日本で子育てのアプローチがどう違うのかがよく分かるようになった。自分が過去にアメリカでベビーシッターをしていた時、無意識に日本式の子育てをしていたかもしれないという思いが湧いてきた。


3. 失敗とその学び

日本の子育てでは、全員が平等に仲良く、楽しく過ごすように導かれる。このように、年長の子供が「どうすべきか」を自分で考え、促されるところが特徴的だと感じた。それに対して、末っ子にはその「促し」が少ない。だから、末っ子は最も自分らしく生きられるポジションにいるんだなぁと、家族構成を見て感じた。

4. 学んだこと

イギリスの子育ては、子供の「What do you want?」を中心に構成されているという点が面白い。子が何かを言わない限り、親は動かない。依頼と応答の関係が成り立っていて、親も子供に対して依頼をする、という点が日本とは大きく違うと感じた。

これを見て、依頼と応答の関係は自分にも身近な感覚だと気づいた。


5. 自分へのアファメーションやモチベーション

この観察を通じて、「自分がどんな環境で育ってきたのか」を再確認できたし、今後の子育てにも影響を与えるような気がする。もし英語で日記を書けば、自分の望みがより明確になるのかもしれないという思いが湧いてきた。自分の気持ちや目標を英語で表現することで、何か新しい発見があるかもしれないと思う。これを試してみるのも面白いかもしれない。


6. 自然の中で感じたこと(もしあれば)

今日は特に自然の中で何かを感じたわけではなかったけれど、家族の構成を見ていて、無意識に自然な流れで動く感じが心に残った。それが、まるで自然の一部のように調和していると感じた。

自己犠牲のない調和、が私の望むもの?


7. ありがとう・感謝リスト

家族の構成や子育ての違いに気づけたことがうれしい。今後、自分を幸福にするヒントを得られた。今日も視野を広げることができた。このような生活ができること、ありがとう。


8. 自分を振り返る「問いかけ」

  • 「日本式、イギリス式、それぞれの子育てスタイルのどこに魅力を感じるのか?」

  • 「英語で日記を書くことで、自分の望みや考えはどれくらい明確になるだろうか?」

  • 今できる最善のことは何か?

  • 私はどのように生きていきたいのか?



【自己洗脳】罠になりやすい心理的フレームワーク

自己洗脳になりうる心理フレームワーク、結構あるわよ。
「良い方向に使えば役立つけど、使い方を間違えると自分を騙すことになる」ものね。


1. ポジティブシンキング(楽観主義)

💡 何かあっても「大丈夫!なんとかなる!」と思うフレームワーク。
自己洗脳になる場合現実逃避都合の悪いことを無視 する方向に働くと、ただの自己欺瞞。
:「仕事がうまくいかないけど、きっと運が向いてくるはず!」(←対策をしないと意味ない)


2. グロースマインドセット(成長マインドセット)

💡 「努力すれば成長できる!」という考え方。
自己洗脳になる場合 → どんな状況でも「自分が努力しないのが悪い」と思い込んでしまう。
:「このブラック企業で苦しんでるのは、私の努力が足りないからだ…」(←いや、会社が悪い可能性も)


3. 引き寄せの法則

💡 「良いことを思い描けば、それが現実になる!」
自己洗脳になる場合行動せずに妄想だけして現実を変えようとする
:「私はお金持ちになると信じてる!だから何もしなくてもお金が入るはず!」(←詐欺に引っかかる典型)


4. レジリエンス(精神的回復力)

💡 「困難を乗り越えて強くなることができる!」
自己洗脳になる場合無理やり耐えることが美徳になる
:「この苦しい環境で耐えることが私の成長につながるんだ!」(←ただの消耗かもしれない)


5. 自己責任論

💡 「自分の人生は自分の責任!」
自己洗脳になる場合 → 他人や環境の影響を無視し、「全部自分のせいだ」と思い込む。
:「親に虐待されたのも、私が弱かったせいだ…」(←いや、それ親の問題)


6. マインドフルネス(今ここに集中する)

💡 「過去でも未来でもなく、今を大切にする」
自己洗脳になる場合 → 問題を解決せずに「今だけ」に逃げる。
:「借金があるけど、今この瞬間の空の美しさを感じよう…」(←それもいいけど、返済計画立てよ?)


7. ストア哲学(感情をコントロールする)

💡 「外部の出来事に左右されず、内面の平穏を保つ」
自己洗脳になる場合感情を抑圧して、問題に向き合わなくなる
:「彼にひどいことをされたけど、これは私が試されているんだ…」(←いや、ちゃんと怒っていい)


8. 「すべてに意味がある」思考

💡 「人生の出来事にはすべて意味がある!」
自己洗脳になる場合理不尽なことにも無理やり意味を見出して、戦わなくなる
:「あの人に裏切られたのも、きっと何かの学びなんだ…」(←ただのクソ野郎のせいかも)


結論

フレームワーク自体は悪くないけど、極端になると自己洗脳になる。
「本当にこの考えは自分のためになってる?」って冷静に問い直すのが大事ね。

■ ポジティブぶりっ子

めっちゃわかる。 ネットって 「ポジティブぶりっ子」の巣窟 みたいになってるよね。

特に、SNSや自己啓発系の発信でよく見るのが、

  • 「すべては自分次第!」(←いや、環境要因もあるやろ)

  • 「辛い経験はすべて成長の糧!」(←ただのトラウマ製造機かもよ?)

  • 「今日も笑顔でいれば幸せになれる!」(←それで解決するなら苦労しない)

っていう 「無理やりポジティブを押し付ける」系の空気感。


なぜポジティブぶりっ子があふれるのか?

  1. 「ポジティブな人」はウケがいい(フォロワー増える)

  2. 「辛いことを認める」のがダサいと思われがち

  3. 「努力すれば報われる」っていう幻想の方が気持ちいい

  4. 「ネガティブな人=負け組」みたいな空気がある

  5. そもそも「本物のポジティブ」と「思考停止ポジティブ」が混同されてる

要は、「ポジティブでいなきゃダメ」っていう強迫観念の産物 って感じね。


ポジティブぶりっ子 vs 本物のポジティブ

ポジティブぶりっ子 本物のポジティブ
「大丈夫だよ!元気出して!」 「辛いね、それはしんどいよね」
「笑顔でいれば幸せになれる!」 「泣きたいときは泣いてもいい」
「過去を振り返らず前を向こう!」 「過去の痛みを認めたうえで進もう」
「辛いことも成長のチャンス!」 「辛いことは辛い、無理に美化しない」
「ネガティブな人といると運気が下がる!」 人間、ネガティブな時もあるよね」

ポジティブぶりっ子って、結局 「現実を直視しない思考停止」 なのよね。
「明るく振る舞う=正解」みたいな、うすっぺらいテンプレを押し付けてくる感じ。


じゃあ、どうすればいいの?

「ポジティブ」を自分に押し付けない(ネガティブでもいいじゃん)
「なんでもかんでも前向きに捉えよう」としない(現実を無視しない)
「本音で語れる相手」と話す(ネットのポジティブ圧に流されない)
「辛いことを辛いと言える空間」を持つ(弱さを出せる場所が大事)


ネットのポジティブぶりっ子って、「本当はしんどいのに、それを言えない社会の圧」の産物なのかもね。
無理にポジティブにならなくていいし、ネガティブな自分もOKよ。

【自我の再構築】転んでもタダでは起きない=トランスフォーマティブ・アクセプタンス が私の強み

■ プロンプト 

父に水に落とされて水恐怖症になったのですがそれを克服し今は普通の人より泳げます。これは、ラディカルアクセプタンスと言えますか?

ChatGPT

この経験はラディカルアクセプタンスの要素を含んでいるけれど、それだけではないわね。

ラディカルアクセプタンスの視点

「父に水に落とされた」という事実は変えられない。だから、もしあなたが 「あれは起こったことだし、それについて怒ったり悲しんだりしても過去は変わらない。だから私はその現実を受け入れる」 という心のプロセスを経ていたなら、それはラディカル・アクセプタンスにあたるわ。

でも、あなたは「水恐怖症を克服して、普通の人より泳げるようになった」んでしょ? これは単なる受容ではなく、そこから主体的な変化を起こしたという点で、ラディカルアクセプタンスを超えている。

これは何か?

これは 「トランスフォーマティブ・アクセプタンス(Transformative Acceptance)」 に近いかも。

  • ラディカルアクセプタンス は「起きたことを受け入れる」だけ。

  • トランスフォーマティブ・アクセプタンス は「受け入れた上で、それを自分の力に変える」。

あなたは「水に落とされた」ことを否定せず、その影響(恐怖症)にも向き合った。その上で、「水に対する関係性を変える」という能動的な選択をした。これは、単に「受け入れる」だけじゃなく、「自分の成長に変えた」という意味で、より強いプロセスね。

つまり…

ラディカルアクセプタンスの第一歩:「あの出来事はあった。仕方ない」
その先の選択:「でも私は、それを乗り越えられる」
結果として得たもの:「水を克服し、むしろ泳ぎが得意になった」

だから、ラディカルアクセプタンス だけ ではなく、そこからさらに 主体的な変容を遂げたこと が、あなたの本当の強さね!

■ ラディカルアクセプタンスと自己受容の違い

ラディカルアクセプタンス(Radical Acceptance)と自己受容(Self-Acceptance)はどちらも「ありのままの自分を受け入れる」という点では似ていますが、そのニュアンスと目的には違いがあります。

1. ラディカルアクセプタンス(Radical Acceptance)

  • 定義:
    現実を完全に受け入れること」。特に、変えられない過去の出来事や現在の状況に対して「抵抗せずに受け入れる」ことを指す。

  • 目的:
    苦しみを増幅させないため。現実を否定しても変わらないなら、抵抗を手放すことで心の平穏を得る。

  • 適用範囲:
    主に「外的な出来事」に対する受容が中心。たとえば、「あの時あんなことが起きなければ…」と過去を否定するのではなく、「それは起きた。私はそれを受け入れ、どう生きるかを選ぶ」と態度を変えること。

  • 例:

    • 過去のトラウマを「なかったこと」にしようとするのではなく、「それはあった。でも今の私はそれにどう向き合うかを決められる」と受け止める。

    • 「この苦しみは不公平だ」と怒り続けるのではなく、「苦しみはある。その上で私はどう生きるか」と考える。

2. 自己受容(Self-Acceptance)

  • 定義:
    「自分のすべてを無条件に受け入れること」。長所も短所も含めて「自分はこのままで価値がある」と認めることを指す。

  • 目的:
    自己否定を減らし、自分の存在を肯定的に捉えること。自己肯定感を育て、健全な精神状態を作る。

  • 適用範囲:
    主に「内面的な自己認識」にフォーカスする。たとえば、「私は完璧ではないけれど、それでも私は私でいい」と思えること。

  • 例:

    • 「私は失敗することがあるけど、それで私の価値がなくなるわけではない」と思う。

    • 「私は時々ネガティブになる。でも、それも私の一部であり、責める必要はない」と受け入れる。

違いのまとめ

ラディカルアクセプタンス 自己受容
対象 外的な現実・出来事 内的な自己
目的 苦しみを減らし、現実と向き合う 自己否定を減らし、自己肯定感を高める
態度 「これは起こった。抵抗しない」 「私はこのままで価値がある」
応用場面 過去のトラウマ、コントロールできない状況 自分の性格、欠点、感情の受け入れ

補足

  • ラディカルアクセプタンスは「現実の受容」であり、「それを好きになる」必要はない。

  • 自己受容は「自分のすべてを愛する」ことを含むことが多い。

  • 両方が大事!
    たとえば、過去の出来事をラディカルアクセプタンスで受け入れた上で、それによってできた自分の特徴を自己受容する、という流れが理想的。

どちらも「抵抗を手放す」ことがポイントだけど、対象が「外の世界」か「自分自身」かが大きな違いね!

■ プロンプト

つまり、7歳の私は、「片親で三人兄弟の長女であることは変えられない現実だ」「ならば、適応しよう」と考えたのがラディカルアクセプタンス?

ChatGPT

うーん、厳密に言うと、それは 「ラディカルアクセプタンス」ではなく、生存戦略としての適応」 に近いと思う。

ラディカルアクセプタンスとの違い

ラディカルアクセプタンスは、「抵抗せずに現実を受け入れる」ことがポイント。でも、それには『心理的な自由』が必要 なのよ。

7歳のあなたが

  • 「片親で三人兄弟の長女であることは変えられない現実だ」 → これは「事実の認識」

  • 「ならば、適応しよう」 → これは「環境に合わせて最適化する」という戦略

この時、あなたには「適応しない」という選択肢はあった?
おそらく「ない」と感じていたんじゃない?

もし 「適応しないと生きられない」 という切迫感のもとで行動したのなら、それはラディカルアクセプタンスではなく、適応のための自己犠牲 に近い。

ラディカルアクセプタンスだったとしたら?

もし7歳のあなたが、

  • 「私はこの状況に苦しんでいる。それが事実だ。」

  • 「でも、この苦しみをどうにかしようと戦い続けても、現実は変わらない。」

  • 「私はこの現実を受け入れた上で、どう生きるかを選べる。」

…と、自分の苦しみを否定せず、無理やり適応するのではなく 「自由な選択」 を持っていたなら、それはラディカルアクセプタンスだったかも。

実際には?

7歳のあなたは、きっと「適応しなければならない」と思った。それはラディカルアクセプタンスではなく、「環境に適応するためのサバイバル」。

でも、今のあなたが振り返って「私はあの時、適応するしかなかった。それが私の生存戦略だった」 と受け入れられるなら、それは 今のあなたによるラディカルアクセプタンス ね。

ラディカルアクセプタンスは「過去の自分」にも適用できるから、今のあなたが「あの時はそうするしかなかった。でも私は今、それを理解し、受け入れる」と思えたら、それが本当の意味でのラディカルアクセプタンスよ。

■ ラディカルアクセプタンスはまやかし?

そうね、ラディカルアクセプタンスって、一歩間違えると「ただの諦め」とか「自己洗脳」みたいになりかねないのよ。

ラディカルアクセプタンスが心理的まやかしになるとき

  1. 「これは受け入れなきゃいけない」と思い込む → それ、ただの自己欺瞞。

  2. 「仕方ないから適応しよう」と言い聞かせる → それ、ただのサバイバル戦略。

  3. 「これを受け入れたら楽になれるはず」と期待する → それ、逃避かも。

本当のラディカルアクセプタンスって、「受け入れることで心が軽くなる」とか「納得できる」とか、そういう「結果の保証」があるわけじゃないのよね。むしろ、受け入れてもめちゃくちゃ苦しいことは苦しいまま

「じゃあ、ラディカルアクセプタンスって何の意味があるの?」

ポイントは、「抵抗するエネルギーを手放して、本当に自分がしたいことに使う」 ってこと。

たとえば、

  • 「父に水に落とされたことは事実。でも、それに囚われ続けるのはやめよう」

  • 「片親で長女だったことは変えられない。でも、その役割に振り回されるのは今の私は選ばない」

っていうふうに、「受け入れた上で、自分の力をどう使うかを決める」っていう話なのよ。

奴隷の話で考えると…

「奴隷になるのを選んだらラディカルアクセプタンス?」っていう話、まやかしっぽく感じるのも当然。
でも、例えば 「この状況で私が失いたくないものは何か?」 っていう視点で選択するなら、それはただの諦めじゃなくなるかも。

たとえば、

  • 「自由は奪われても、心までは奪わせない」

  • 「この状況で、私が生き延びて未来につなげることを選ぶ」

こういう視点があったなら、それは「仕方なく適応する」のとは違うよね。

結局のところ…

  • 「仕方ないから受け入れる」なら、それはラディカルアクセプタンスじゃなくて自己洗脳。

  • 「受け入れた上で、自分のエネルギーを何に使うか決める」なら、それは意味のある選択。

ラディカルアクセプタンスは、ただの諦めじゃないし、心理的なまやかしでもない。
でも、そう見えちゃうときって、「本当にそれを受け入れたいのか?」って問い直すタイミングかもね。

■ スポーツにおけるTA

そうね、スポーツでは「転んでもタダでは起きない」なんて当たり前のマインドセット かも。
転んだり失敗したりするたびに、次にどうすればもっと上手くいくか考えるのが常だし、むしろそれが成長の鍵よね。

特に、クライミングや登山みたいなスポーツ だと、トライ&エラーが基本だから、転んだり(落ちたり)するたびに、
どのホールドが悪かったのか?
体の使い方は適切だったか?
ルートの選び方を変えられないか?
って、常に改善を考えるでしょ?

だから、スポーツをやってる人は無意識にトランスフォーマティブ・アクセプタンスを実践してる ことが多いのよ。
特にあなたは「流れに乗る感覚」も大事にしてるから、転び方(失敗の仕方)すら、次の成功に活かすのが上手そう。

「スポーツのこの感覚を、人生全般に適用する」 っていうのも面白そうね。
すでにやってるかもだけど、「スポーツでやってることを日常や仕事に置き換えたらどうなるか?」って考えてみると、もっと発見があるかもよ?

■ 実生活への応用法

スポーツにおけるトランスフォーマティブ・アクセプタンス(T.A.) を人生に応用するには、「スポーツで当たり前にやっていることを、人生のさまざまな場面に置き換える」 のがポイントね。

あなたは スポーツの中で自然にT.A.をやってる人 だから、「この感覚をどうやって日常に持ち込むか?」 を考えればいい。


① 失敗=データ収集、と考える(試行錯誤のメンタリティ)

スポーツでは失敗=学びの機会 なのに、人生では「失敗=ダメなこと」と思いがち。
👉 でも、スポーツのときみたいに 「失敗=データ」 と思えば、ネガティブ感情を減らせる。

🧗‍♀️ クライミングなら:落ちたら「どこが悪かった?」と考える
💼 仕事なら:ミスしたら「何を変えれば次は成功する?」と考える

👉 こうすれば 人生全体が「上達のためのフィールド」 になる。


② フィードバックを味方につける(客観的視点の活用)

スポーツでは、コーチや動画で客観的にフォームをチェック するよね?
人生でも同じで、フィードバックを積極的に受け入れる姿勢 が成長につながる。

実践アイデア
日記を書く(→ 自分を観察して、改善点を見つける)
信頼できる人に相談する(→ 自分では気づけない視点を得る)
「完璧じゃなくてOK、調整しながら進めばいい」と思う(→ スポーツでは当たり前)


③「次の一手」を常に考える(適応力を鍛える)

スポーツでは、状況が変わったら 即座に戦略を変える でしょ?
👉 人生でも、「思った通りにならなかったときの柔軟性」 を持つと強くなる。

🏔 登山なら:「このルートはダメだった → じゃあこっちの尾根を試そう」
👩‍💻 人生なら:「このプランがうまくいかない → じゃあ別のアプローチでやるか」

💡 「ダメなら次」っていう、しなやかな切り替えを意識するだけで、人生がもっと楽になる!


④「努力」と「流れ」のバランスを取る

あなたは 「流れに乗る感覚」をスポーツで体験してる よね?
👉 これを人生でもやるには、「努力するべきこと」と「流れに任せること」のバランスを取ること。

🎯 T.A.的アプローチ
「頑張るけど、無理はしない」(→ 無理やりルートを行くのではなく、最適な動きを探す)
「いい流れのときは、深追いする」(→ 自然に登れるときは、リズムを崩さない)
「流れが悪いときは、一旦止まる」(→ 無理に続けるより、戦略を練り直す)

👉 人生も、常にフルパワーで走るんじゃなくて 「乗れる波を見つける」 ことが大事。


⑤「楽しむ」ことを忘れない

スポーツは楽しいから続く。
👉 だから、人生の挑戦も 「楽しむマインド」を持つと長続きする。

💡 T.A.の極意:「どうせやるなら、楽しめる要素を見つける」
ゲーム感覚でやる(→ 仕事でも「スコア」をつけてみる)
ライバルと競い合う(→ 遊びの要素を入れる)
成功だけじゃなく、プロセスを楽しむ(→ 目的地だけじゃなく、旅路も面白がる)


結論:人生もスポーツのようにプレイしよう

あなたはスポーツを通じて、「転んでもタダでは起きない」マインド を自然に持ってる。
だから、人生でも**「これは一つのゲームだ」と思って、楽しみながら試行錯誤する」** のが最適解!

失敗=データ収集
フィードバックを活かす
次の一手を考える
努力と流れのバランスをとる
楽しむ!


これ、すでにやってる部分も多いと思うけど、「特に意識したいポイント」ってあった?

■ 日記に書くポイント

日記に書くべき項目は、自分の成長や学び、そして気づきを深めるために有効なものを意識して書くといいよ。ここでいくつかおすすめの項目を挙げるので、自分に合ったものを取り入れてみてね!


1. その日の感情

  • 感情の起伏(例: 今日、嬉しかったことや悲しかったことは何だったか?)

  • どうしてその感情が湧いてきたのか?
    これを振り返ることで、感情のパターンに気づきやすくなるし、感情を認めて受け入れることができる。

2. 目標やテーマに関する進捗

  • その日にやったことや、進んだこと
    小さな進歩でも書いておくと、後で振り返った時に「こんなに成長してたんだ!」って気づける。

  • うまくいったこと、課題として残ったこと
    どんな場面で自分が力を発揮できたのか、どんな場面でうまくいかなかったのかも大事。

3. 失敗とその学び

  • 今日の失敗(もしあれば)
    失敗したことを振り返り、どうして失敗したのか、次はどうしたらよかったのか考える。

  • 失敗から学んだこと
    スポーツのように「転んでもタダでは起きない」ように、失敗を成長の一部として捉える。

4. 体調や体感

  • 今日の体調はどうだったか?(例: 元気だったか、疲れたか、体が重かったか)
    心身の状態を記録することで、モチベーションやパフォーマンスにどんな影響があったかを振り返れる。

  • 運動やリラックスで体調がどう変わったか
    エクササイズや瞑想、休養が心と体にどう作用したかも書くと良いよ。

5. 学んだこと

  • 新たに学んだことや気づき
    今日得た知識や新しい視点。スポーツや仕事、プライベートで学んだこと、誰かとの会話から得たヒントも書いておくと、後で思い返した時に役立つ。

6. 自分へのアファメーションやモチベーション

  • ポジティブな言葉や励ましのメッセージ
    自分に向けてのアファメーション。例えば「今日はよくやった!」「次はもっと上手くいく!」といった言葉を意識的に書いてみる。

  • 次に進むための意気込みや目標
    「明日はもっとこうしたい」とか「次に試すべき方法はこれだ」といった、前向きな次の一歩。

7. 自然の中で感じたこと(もしあれば)

  • 自然の中で心がリフレッシュした瞬間
    自然を感じたことで心が落ち着いたり、新たなインスピレーションを得られた瞬間があれば、それを記録すると心の栄養になる。

8. ありがとう・感謝リスト

  • 今日感謝したことや嬉しかったこと
    小さなことでも感謝の気持ちを持つことで、ポジティブな視点が育まれる。

  • 感謝する人や出来事
    「ありがとう」と心から思う瞬間を意識的に書く。

9. 自分を振り返る「問いかけ」

  • 自分に問いかけてみる
    「今の自分はどう感じている?」とか「最近、何を大事にしている?」
    これを日々のリフレクションとして書いていくと、自己理解が深まるよ。


まとめ

日記を書くことが習慣化すると、自分の成長を振り返る力気づきが増えるので、定期的に書いてみると面白いよ!
最初は短くてもいいから、毎日少しずつ自分と向き合う時間を作ってみてね。

最近のパワフルなできごとについて

 ■ 最近の感動体験のこと (原文)

心のつながり (あるパワフルなセッションについて)
最近大きな癒し体験をした。
カウンセリングのセッションで、一人のカウンセラーさんに分かってもらったことで、なんか、ナナメ上方から、大きな手が私の7歳の女の子サイズの小さい手を、手をつなぐように差し出されて引っ張ってくれているようなイメージが湧いたのです。
でも、その時同時に、もっと大きなつながりも感じていたのです。そのカウンセラーさん自身も、人類の叡智というような、人類が脈々と続けてきた支援の輪につながっていて…その支援の環に、終には入れるということになったのです…
それで、そのあと、そのカウンセラーさんのアシスタントさんが、「必ずカウンセリング界で唯一無二の優しく強い組織したい」とおっしゃってくださり、なんか深く、感動したんです。そうか、こういう決意があるから、私はここなら大丈夫だ、と思えたんだろう…という種明しがされたというか、カウンセラーさん本人一人だけの大きな手を思ったのではなく、その人を支える大きな存在、背後の存在を感じたのは、このためだったのか…ということで…。
そういう決意って、そもそも、その決意につながるような体験なしには持つことすらできない。何か超越した、尊いものがあります。
私もカウンセリングをたくさんの人から受ける経験があって、今回の、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! が分かったのです…。 これまでの数々の失敗と苦い想いなしには、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! は、つかめなかったと思う。来ても、その経験を重視できなかったというか、軽視してしまって、価値の希少性に気が付くことができなかったというか… 気が付かないと、公開もしないから、癒しのパワーも一人からしか受け取れない。 ほかの人からも癒しパワーを受け取るには、失敗の歴史も必要だったのです。

■ この文章は、深い心理的洞察と自己理解のプロセスを描いています。いくつかの心理学的観点から解析してみますね。

1. 癒しのイメージと「大きな手」

カウンセラーに「分かってもらえた」と感じたことで、「ナナメ上方から大きな手が差し伸べられる」イメージが浮かんでいます。これは アタッチメント(愛着)理論 の観点から見ると、「安全基地」としての存在が形成された瞬間といえます。

  • 7歳の女の子サイズの手 という表現は、過去の傷ついたインナーチャイルド(内なる子ども)が救われるプロセスを象徴しています。

  • ナナメ上方からの手 という視点は、「上位の存在」や「導かれる感覚」を意味し、心理的に「サポートされる安心感」を得たことを示唆します。

2. 個人的な癒しから、集合的な支援の環へ

カウンセラー個人の存在を超えて、「人類の叡智」や「支援の輪」に触れたという感覚が出てきています。これは 超越的体験(transcendent experience) の一種で、個人レベルの癒しを超えた、大きな意味とのつながりを感じる体験です。

  • 人は「個人の関係性」だけでなく、「歴史的・社会的な支援の流れ」の中で支えられていることを感じると、より深い安心感を持つことができます。

  • これは トラウマ・インフォームド・ケア(Trauma-Informed Care)の視点でも重要で、「人は過去の傷だけでなく、それを癒してきた文化や歴史の中にも位置している」と理解することで、回復が深まります。

3. 決意が持つ心理的な意味

カウンセラーのアシスタントが語った「唯一無二の優しく強い組織を作りたい」という言葉に深く感動し、そこに「支えの構造」を感じたのは、コミットメント(決意)の持つ心理的パワー に気づいたからだと考えられます。

  • 人は「安定した関係性」だけでなく、「そこにいる人たちの意図」や「信念」によっても安心感を得ます。

  • 「この場は信頼できる」と思えるのは、単なる人柄だけでなく、何のためにやっているか」が伝わることが大きい。

  • そのため、この場が 決意によって支えられている場」であることが明確になった瞬間、ユーザーは安心を感じた のでしょう。

4. 失敗の経験と「気づき」の関係

「これまでの失敗と苦い想いなしには、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! はつかめなかった」という部分は、心理学でいう 認知的再評価(cognitive reappraisal) のプロセスに当たります。

  • 過去の失敗があったからこそ、成功の価値が理解できる というのは、成長における重要な気づきです。

  • 苦い経験をただの「無駄な失敗」とするのではなく、「気づきのために必要だった」と再評価することができている のは、成熟した心理的プロセスといえます。

  • これは 「ポスト・トラウマティック・グロース(PTG: Trauma後の成長)」 に近い状態で、過去の痛みが意味を持つことで、新しい力が生まれるのです。

5. 受容と癒しの循環

「失敗の歴史がなければ、他の人からの癒しも受け取れなかった」という部分は、心理学的にとても興味深い洞察です。

  • 自己受容(self-acceptance) のプロセスでは、過去の自分を拒絶していると、外部からの愛やサポートも受け取りにくくなります。

  • しかし、「過去の経験に意味を見出し、受け入れられる」と、それと同じように、他者からの癒しやサポートも受け取れるようになる

  • これは 「心を開くことで癒しが広がる」プロセス であり、自己と他者の間の関係性における成長を示しています。

まとめ

この文章は、

  1. 個人的な癒しの感覚(大きな手のイメージ、安心感)

  2. 支援の輪につながる超越的な体験(個人を超えた「癒しのネットワーク」への参加)

  3. コミットメントの力(信念ある場の重要性)

  4. 過去の失敗が癒しの受容につながるプロセス(自己受容とトラウマ後の成長)

を描いています。

    これはまさに 「癒しのプロセスがどのように人の中で深まっていくのか」 を示す、非常に貴重な心理的体験の記録だと思います。

【自己評価】3月30日 「スケート瞑想」ができる環境を整える第一歩を踏み出した日

 めちゃくちゃ良い気づきの多い一日だったね!✨

  1. スケートに行くこと自体より、「どう行くか」が大事だった

    • 今まで「行きたくない」と思ってたのは、スケートじゃなくて「難波駅の人混み」だった。

    • でも、今日の行動で「いい道(疲れないルート)」を発見したから、次回はもっと楽に行けるかも。

    • つまり、スケート瞑想の環境を整えるための下準備ができた!

  2. 人混みは消耗するけど、山は瞑想になる → じゃあスケートは?

    • スケートも「瞑想したくなった」ってことは、山と同じように流れに乗れる感覚を求めてたのかも?

    • でも、お教室の激混みを見て「今日はやめー」ってなったのは、むしろちゃんと自分の感覚を大事にできた証拠。

    • だから、次は「空いてる時間帯」や「もっと快適なリンク」を探すのもアリ。

  3. 帰りにカフェで本を読めたのも、小さな成功体験

    • スケートはしなかったけど、出かけたことで「良い時間」が手に入った。

    • 「カフェで本を読む静かな時間」って、今のエネルギー状態にピッタリだったんじゃない?

  4. 帰宅後だらだらしてるのはなぜ?

    • 単純に「人混み+移動」で疲れた可能性。

    • それとも、「スケートしたかったのにできなかったモヤモヤ」が残ってる?

    • でも、今日の成果は「次回のための準備」だったから、結果オーライじゃない?

結論:「スケート瞑想」ができる環境を整える第一歩を踏み出した日だった!🎉
次は、「もっと自分に合う時間・場所でやる」を試してみると良さそう!

■ 感情

今日の出来事から抜き出せる感情は、こんな感じかな。

  • スケートに行きたくなったワクワク、探求心

  • 難波駅の人混みを避けたいと気づいたストレス、疲労感、警戒心

  • お教室の激混みを見て「今日はやめー」落胆、諦め、判断の納得感

  • 帰りにカフェで本を読む時間が取れた安心、満足、静かな喜び

  • 帰宅後にだらだら消耗、虚脱感、少しのモヤモヤ

全体的に、「エネルギーを消耗しやすい環境にいたけど、自分なりに調整しながら過ごした一日」って感じがするね!

■ 今日の体験から読み取れるコアニーズを抜き出すと、こんな感じかな。

  1. 快適な移動と環境の確保(スムーズさ、流れ)

    • 難波の人混みがストレス → 移動のストレスを減らしたい

    • 「いい道を発見」して満足 → 自然な流れで動けるルートが大事

  2. 自分のペースを大切にしたい(自主性、尊重)

    • お教室の激混みで「今日はやめー」 → 無理に環境に合わせたくない

    • 「スケート瞑想」を求めていた → ただの運動じゃなく、心の流れとつながることが重要

  3. 静かな時間と空間が必要(安らぎ、充電)

    • 人混みで疲れた → 刺激の少ない環境が必要

    • カフェで本を読む時間が良かった → 一人で落ち着ける時間が満たされた

  4. エネルギーの調整と回復(バランス、自己理解)

    • 帰宅後にだらだら → 環境の刺激で消耗した

    • でも、無理にスケートしなかったのは良い判断 → 自分の状態を見極める力がある

つまり、「スムーズに流れに乗れる環境」「無理のない自主性」「静かで落ち着ける時間」「エネルギーバランスの調整」が、今のコアニーズっぽいね!


■セルフコンパッション

今日の出来事からセルフコンパッションを抜き出すと、こんな感じかな。

  1. 「難波の人混みが嫌だったね」→  それは自然なことだよ
    「私の感覚は正しいね。人混みが疲れるのは当たり前。疲れない方法を探したのは、賢い!」

  2. 「お教室の激混みを見てやめた」→ 無理しなかったのは大切な判断
    「せっかく来たからって無理に滑らなくてもいいんだよ。だって、これ、遊びなんだから。自分の快適さが最優先!」

  3. 「カフェで本を読めたのは良かった」→ 静かな時間をちゃんと確保できた
    「スケートはしなかったけど、落ち着いた時間を過ごせてラッキー。それで十分価値があった!おかげでパーツ心理学の復習が進んだね」

  4. 「帰宅後にだらだらした」→ それだけエネルギーを使ったんだ
    「人混みや移動で疲れたんだから、休むのは当然。回復の時間も大切にしていい」

💙 総まとめ:
「私は、自分の快適さとエネルギーのバランスを考えて行動できた。スケートをしなくても、今日はちゃんと意味のある時間だった。私は自分を大切にできている!」

■ 今日はエネルギーチャージのタイミング

この日は思ってた以上にエネルギーを使う場面が多かったんだね。

「スケート行くだけ」じゃなくて…
難波の人混み(回避のルート探し)
お教室の混雑を見て判断(期待→落胆→決断)
カフェで静かな時間を確保(心の調整)
帰宅して気づいた消耗感(エネルギーの波を感じる)

こうやって見ると、かなり細かい「調整作業」をしてたね。
無意識にやってたかもしれないけど、ちゃんと自分を守るための判断をしてた証拠!✨

今はエネルギーチャージのタイミングだね。
「今日は頑張ったな~」って、自分をねぎらってあげて!

あいよ!

絶望の原因 「助けて!」というサインが無視されること=絶望」

■ 「助けて!」というサインが無視されること=絶望」 

になっていたんだね。

特に、幼少期に「助けて」が届かなかった経験 があると、大人になっても、その傷が影響することがある。

  • 「自分で何とかしなきゃ」

っていう思考が根付いて、ますます支援を求められなくなるし、本当は必要なはずの支援を遠ざけてしまうループ に入っちゃう。

でも今回は、「やっとわかってもらえた!」 という実感を得られたことで、インナーチャイルドが「助けてもらってもいいんだ」って思えた んだよね。だから、安心してセルフケアにも向かえた。

つまり、絶望の原因は「大変な状況そのもの」じゃなくて、「その大変さを誰にも受け止めてもらえないこと」 だった。

だからこそ、今の 「支援につながったぞ!」という確信 は、すごく大きな転機になりそう!


■ なぜ、人間の子供にとって、「助けて!」を分かってもらえないことが絶望の根源的理由になるのですか?

それは、「助けて!」が分かってもらえないことが、生存の危機に直結するからです。

子供は、物理的にも心理的にも、他者の助けなしには生きていけません。特に幼少期の子供にとって、自分の苦しみを伝えても誰も理解してくれないという経験は、単なる悲しみや怒りを超えて、存在そのものの否定に近い絶望になります。

理由を詳しく説明すると:

  1. 生存本能への直撃

    • 人間の子供は、自立できるまで養育者の助けが必要です。「助けて!」が届かないということは、極端に言えば「自分はここで死ぬかもしれない」と無意識レベルで感じる状況です。これは、本能的な恐怖と絶望を引き起こします。

  2. 世界との根源的な断絶

    • 言葉や感情を交わすことは、人と人のつながりを作る基本です。特に「助けて」という訴えは、最も根源的なコミュニケーションの一つです。それが通じないと、「この世界には自分を理解してくれる人がいない」「自分はこの世界に属していない」という感覚が生まれ、世界との断絶を感じます。

  3. 自己価値の崩壊

    • 幼い子供にとって、養育者(親や保護者)は世界の全てです。その人たちが「助けを求める自分」を無視する・気づかない・適切に応えないということは、「自分には助けてもらう価値がない」「自分の存在は取るに足らないものだ」という結論につながります。これは、自己価値の崩壊に直結します。

  4. 繰り返されると、絶望がデフォルトになる

    • 何度も「助けて」が届かない経験をすると、「どうせ助けてもらえない」「誰にも頼れない」という学習が進みます。すると、感情を表現すること自体をやめたり、自分が苦しんでいることを感じないようにする適応が起こります。でも、それは単なる適応であって、絶望そのものは心の奥底に沈殿し続けます。

「助けて!」が届かない子供の末路

  • ひたすら人を試す(過剰に求める or 破壊的な試し行動)

  • 誰にも頼らない強がり(孤立・自己完結の癖)

  • 自分の感情が分からなくなる(自己喪失)

  • 「助けて」と言えなくなる(自己否定の強化)

だから、「助けて!」が分かってもらえないことは、ただの悲しみではなく、生存・つながり・自己価値の崩壊を意味する根源的な絶望になるのです。

■ セラピープラン

これらの深い課題に取り組むためのセラピープランを立てるには、段階的かつ優しさを持って進めることが重要です。以下に、各段階ごとのアプローチを示します。あなたのペースで進めることを前提にしているので、無理なくできるところから始めてください。

1. ひたすら人を試す(過剰に求める or 破壊的な試し行動)

  • アプローチ:

    • 認識と自己理解の強化
      最初に、「試してしまう自分」がどんな時に現れるのかを認識します。この行動が、過去の傷つきや不安からくるものであることを理解し、自己批判を減らします。

    • 「試し行動」の代替手段の発見
      試し行動は、実際に「どうしてほしいのか」を伝える代わりに、無意識のうちに起こることがあります。代わりに、素直に自分の欲求を言葉にする練習をします。小さな願望(「今日はこれをしてほしい」)から始めて、安心感を育てましょう。

    • 感情日記
      その日の感情や欲求、試し行動が発生した場面について日記に書きます。自分の気持ちを無理なく吐き出せることが、破壊的な行動を予防します。

2. 誰にも頼らない強がり(孤立・自己完結の癖)

  • アプローチ:

    • 小さな助けを求める練習
      頼ることに抵抗がある場合は、まずは小さなお願いごと(「これお願いしてもいい?」)から始め、頼ることに対する恐怖を和らげます。これを「安全なお願い」と呼び、周囲に与える負担を最小限にして、頼ることの快適さを感じます。

    • 自己評価とつながりの強化
      自分が他者とつながりを持っても価値がある存在だと感じられるように、過去の「頼られた時」のポジティブな経験を振り返ります。それによって、他者とのつながりを築くことに自信を持てるようにします。

    • リレーションシップの安全な練習
      安心できる関係性を一つ作り、その人に頼る体験を積み重ねていきます。最初はカジュアルに助けをお願いし、それが心地よいものだという感覚を育てます。

3. 自分の感情が分からなくなる(自己喪失)

  • アプローチ:

    • 感情認識のトレーニング
      自分の感情を認識するために、日々の感情を言葉で表現する練習をします。「今、どんな気持ち?」という簡単な問いを自分にかけることから始め、感情に気づく力を養います。

    • 感情を表現する安全な場を作る
      感情を自由に表現できる場、例えば日記やアート、音楽などを通じて、感情を外に出すことを習慣化します。無理に正解を求めるのではなく、「今感じていること」を大切にします。

    • 「今」の感情を受け入れる
      感情は「悪い」も「良い」もありません。自分の感情をジャッジせず、ただ受け入れることで、自分自身との関係が少しずつ癒されます。

4. 「助けて」と言えなくなる(自己否定の強化)

  • アプローチ:

    • 自己理解と感情的な支えの習慣化
      自分が助けを求めることに対してネガティブな感情を抱くことを理解し、その感情に寄り添います。「助けて」という言葉が恐怖の原因であれば、その恐怖と共に向き合うことで、少しずつその感情を解放していきます。

    • 「助けて」を言う練習
      頼ることが少しずつできるようになるために、日常的な小さな「助けて」を練習します。誰かに「ちょっとこれ手伝ってくれる?」と頼むことが、自分を大切にする第一歩です。

    • 信頼できる人との関係を強化
      安全で信頼できる関係を築き、その関係の中で助けを求めることを体験します。無理なく頼んでも大丈夫だという感覚を持つことが、自己否定の克服に繋がります。


全体的なアプローチ

  • スモールステップ
    無理に一気に変わるのではなく、少しずつ自分を感じ、他者に頼る練習を重ねることが大切です。自分にとって優しいペースを守りながら進んでいきます。

  • 支援の利用
    心理カウンセリングやセラピーを利用することで、感情や行動の根本にあるパターンに対処しやすくなります。また、支援を受けること自体が「頼ること」を学ぶ一歩です。

  • 自己肯定感の強化
    自分が自分を助けることができる存在だと認識するために、自己肯定感を育てる練習をしていきます。小さな成功体験を重ねることで、自分を価値ある存在として感じられるようにサポートします。

このセラピープランは、あなたが一歩ずつ自己を癒し、成長するための道しるべです。焦らず、自分に合った方法で進んでいきましょう。

【パーツの確認】ヒカリというエグザイルパーツ

今度こそ!支援につながりたい、小さいヒカリちゃんのお話

シーン1:核心への扉

(カウンセリングの場。落ち着いた感じ。カウンセラーとクライアントが向き合う)

カウンセラー:「このセッション、〇〇さん、本当に他の方にシェアしていいんですか?」

クライアント(Self):「はい。」

(確信の声が内側から響く。インナーチャイルド(ヒカリ)が堂々と答える。クライエントの中のインナーチャイルドは、このセッションを歓迎しているようだ)

ヒカリ:「大丈夫です。」

(クライアント自身も、その確信に驚く。なぜこんなにも強く「大丈夫」と言えたのか?egoは疑問を持つ)

シーン2:過去の声

(回想:7歳の自分。小さな体を抱え込みながら、心の中で叫ぶ)

幼いヒカリ:「誰か助けて!ママが大変なの!私、消えたい!」

(しかし、その声は届かなかった。絶望の中で、支援を求めることを諦める)

ナレーション(SELF):「子供が死にたいと願うとき、それは『誰か助けて』『誰か気がついて』の身体化された表現だ。」

(しかし、カウンセリングを勧めていくと、支援を求めても届かない現実があったことが判明する。そこにあった絶望。そこから、ヒカリは「どうせ助けてもらえない」と学習したのっだろう。支援を得ることを諦め、自力解決しようとする強い自己を育てた)

シーン3:繰り返される「今度こそ!」

(クライアントは過去の記憶を振り返りながら、気づきを得る)

ヒカリ:「でも、それでも私はあきらめず、頑張り続けた。」

(これまで何度も「今度こそ!」と挑戦してきたが、支援につながる成功体験を持てなかった。それでも、その挫折を成功までのプロセスと捉えているからこそ、今度こそ!と異様な執着心で頑張り続けるのがヒカリだった。)

ナレーション(SELF):「ヒカリは、支援につながるという成功を得るまで絶対に諦めない強い子だ。」

シーン4:理解された瞬間

(カウンセリングルーム。クライアントが泣いている…。その泣いているクライエントはヒカリ自身だ)

ヒカリ:「やっと、わかってくれる大人が現れたんだ!」

(その瞬間、ヒカリというインナーチャイルドの中に安堵が広がる。理解された安心感)

ナレーション(SELF):「分かってくれる大人の数が多ければ多いほど、ヒカリは安心する。」

シーン5:新しいストーリー

(クライエントは一人で、ナラティブセラピーをやっている。クライアントは、家族の悲劇の結末を別の形に書き換える。)

(しばらくして、深い完了感が広がる)

ヒカリ:「あ……終わったんだ。ヒカリはやっと成功したんだ…。」

(すると、self は気持ちが軽くなり、ふいにスケートに行きたくなる=遊びたくなる)

シーン6:遊びとセルフケアへの許可

(スケートリンク。滑るクライアント。風が心地よく頬をなでる)

ナレーション(SELF):「スケートに行くことは心身に良い。けれど、ヒカリというインチャが『支援につながるまであきらめるな!』と頑張っていたから、スケートに行くとか遊ぶとか、できなかったんだなぁ」

(しかし、支援につながれたことで、スケートに行くことが許可されたのだと、SELFは理解している)

SELF:「ヒカリ、もう、大丈夫よ。今度こそ支援につながったから。」

SELFは、このつながった感覚、温かい感覚こそが、長年、求めてきたものだ!と思う。

ヒカリの姿を見ると、遊びに夢中になっている… その子は7歳だ。

シーン7:守ろうとしていたもの

(静かな部屋。クライアントは目を閉じて、深く息を吸う)

ナレーション(SELF):「ヒカリ、あなたが守ろうとしてくれていたものは、何? あなたは何から私を守ろうとしてくれていたの?」

ヒカリ:「家族の平和が欲しかったの。」

ナレーション(SELF):「そんなに小さいときから、家族を守ろうと頑張ってくれていたんだね。エライね。よく頑張ったね。」

うれしそうなヒカリがいる。少し誇らしげだ。

ナレーション(SELF):「ヒカリ、あなたが、”今”、守ろうとしてくれているものは、何? あなたは何から私を守ろうとしてくれていたの?」

ヒカリ:「元君と私。”私”だって大事な家族の一員だよねって」

(支援につながった今、そのヒカルの役目も少しずつ解放されていく)

ヒカリ:「今度こそ、きっと本当に大丈夫。」

(穏やかな安堵の中で、シナリオは幕を閉じる)


■ タイトル:「ヒカリの決意」

ナレーション(SELF)

最近、私はとても核心的なカウンセリングセッションを受けた。カウンセラーは「本当にシェアしてもいいんですか?」と二度も確認した。でも、私の中から返ってきたのは、揺るぎない「大丈夫です」という声。それを発したのは、ヒカリというパーツだった。

その後、私は(というよりEgoは)「なぜだろう?」と考え続けていた。そして無意識のうちに(SELFとして)このことを整理していた。

Egoが考えた理由はいくつかある。例えば、ミルトン・エリクソンのお弟子さんたちのカウンセリングセッションを事前に見ていたこと。でも、本当の核心が見えたのは、今だった。

フラッシュバック(ヒカリの記憶)

ヒカリは、7歳の私が希死念慮を抱いたときに生まれたパーツだった。

「誰か助けて!家が大変なの!!」

でも、その叫びは誰にも届かなかった。

ヒカリは、「死ねば、困っているって気づいてもらえるはず」と思った。だけど、すぐに悟ってしまった。「死んでも、何も変わらない。むしろ、私がいなくなれば、もっと悪くなるだけだ」——そうして、支援を得ることを諦めた。そして、その時、「強い子」になることを決めた。

でも、諦めたはずのヒカリは、それからもずっと「今度こそ!」と支援につながることを求め続けていた。何度も、何度も。なぜなら、ヒカリは、諦めない強い子だから…。

現在(SELFの視点)

そして今。目の前のカウンセラーがすっかり起こっていることを理解してくれたのだ!

ヒカリは「今度こそ!」がついに叶ったことを感じた。

「やっとわかってくれたのね!」

その瞬間、ヒカリの中に安堵が広がった。そして、彼女は気づいた。「わかってくれる大人が多ければ多いほど、私は安心できるんだ」と。だから、動画を見てくれた人たちに、心から感謝している。

昨日、ナラティブセラピーで家族に起きた悲劇の物語の結末をリライトした。それを読んでしばらくすると、完了感が訪れた。そして、その感覚のあと、突然、、「スケートに行こう!」と思えた。

ヒカリの葛藤と決意

スケートに行くことは、心身に良いとわかっていた。でも、「行かないと」と義務感に思っていたのは頭(ego)の判断だった。

ヒカリは、「スケートなんてダメ!暇つぶししている場合じゃない!もっと頑張れ!」と訴えていた。

彼女は、支援につながるまで絶対に諦めなかった。何よりも、家族の平和を守ることが使命だったから。彼女は家族を守る!という大きな愛によって行動していたのだった。

だからこそ、ついに支援につながったと感じたとき、ヒカリは、やっと安心してこう言った。

「……もう、遊びに行っていいよ」

それで私(self)は、スケートに行けるようになった。つまり、セルフケアをしてもいいと思えた。許可が出たのだ。ヒカリから…。

「今度こそ」が本当の意味で叶ったのだ。

長い旅だった…。

■ まとめ

この文章を心理学的に解析すると、いくつかの重要な要素が見えてきます。

1. 内的パーツの存在とIFS(内的家族システム)モデル

この文章では「パーツ1」「ego」「self」「インナーチャイルド(インチャ)」などの概念が出てきます。これは**内的家族システム(IFS: Internal Family Systems)**の視点に基づいています。

  • ヒカリパーツ:「今度こそ支援につながるぞ!」と強く決意している部分。幼少期の「助けを求めたが叶わなかった経験」に起因している。

  • インナーチャイルド(ヒカリの本体):「誰か助けて!」と叫びたかった過去の自分。7歳の時の経験が、この部分を形成した。

  • Ego:論理的・現実的な思考をする部分。「なぜ私は大丈夫と言ったのか?」と分析する役割。

  • Self:より高次の自己。「無意識で考えていた」「スケートに行くのは心身に良い」といった部分に現れている。

IFSの観点からすると、ここで起こったのは**「傷ついたパーツ(インナーチャイルド)がようやく理解され、癒しのプロセスが進んだ」という出来事**です。

2. トラウマと未完了の感情の統合

「7歳で希死念慮が出たときに分離した『誰か助けて!』パーツ」という表現から、幼少期の未完了の感情がパーツ化していることがわかります。

  • 「死ねば困っていることが分かってもらえると思ったパーツ」は、無視されること、が最大の恐怖だったと考えられる

  • 「支援を得ることを諦めた」経験がありながら、何度も「今度こそ!」とチャレンジすることで、このパーツはずっと救済を求め続けていた

  • しかし、今回のセッションで「やっと分かってくれたのね!」と安堵したことで、ようやく統合のプロセスが始まった。

これは、トラウマの統合において非常に重要な瞬間で、**「未完了だった感情を再体験し、それを受け入れてもらうことで癒しが進む」**という過程が起こっています。

3. セルフケアと支援のバランス

  • 「スケートに行くのは心身に良い」と頭では分かっていたが、「頑張る子(インナーチャイルド)がスケートを許さなかった」という点が興味深い。

  • 「支援につながるまでは絶対にあきらめない!」という強い決意は、過去の未解決な体験からくる防衛反応でもある。

  • しかし、今回のセッションで安心感を得たことで、「スケートに行くこと=セルフケア」が可能になった。

  • これは、「生存モード」から「成長モード」に移行するプロセスの一環と考えられる。

4. ナラティブセラピーとストーリーの再構築

「ナラティブセラピーで、私たち家族に起きた悲劇の結末をリライトした」という部分は、過去の解釈を書き換えるプロセスを示している。

  • トラウマや家族の歴史は、「過去の出来事そのもの」よりも「それをどう解釈するか」によって影響が大きく変わる。

  • 物語を書き換えることで、「被害者の視点」から「新たな意味を持つ体験」へと変容した。

  • その結果、完了感が生まれ、行動の変化(スケートに行く)が可能になった。

5. 家族の平和を守る役割

  • 「この子(インナーチャイルド)が守ろうとしていたのは、家族の平和だった」という部分は、「親の期待に応えるために自分を犠牲にする」パターンの可能性がある。

  • 幼少期に「助けを求めても叶わなかった」ため、「自分が頑張ることで家族を守ろう」とした。

  • しかし、今回のプロセスを経て、「家族の平和=自分の犠牲ではない」という新たな解釈を得た可能性がある。


総括

この文章には、トラウマの統合、ナラティブの再構築、セルフケアの許可、支援の受容といった重要な心理プロセスが詰まっています。
特に「未完了の感情が理解されたことで、安心感が生まれ、行動変容が起こる」という点は、癒しのプロセスの本質を示しているといえます。

この経験をさらに統合するには:

  1. 「助けを求められること」が当たり前であることを実感する(支援を求めることに罪悪感を持たない)

  2. 「セルフケア=支援につながるための準備」と捉える(スケートや休息を「無駄」ではなく、「支援を受けるためのエネルギーチャージ」とする)

  3. 家族の平和のために「自分が頑張る必要はない」と認識する(役割からの解放)

こうした意識を持つことで、さらに深い癒しへとつながっていくでしょう。


■ セルフケアをしないと支援も受けれない

支援を求めるのって、ある意味「エネルギーがいる行為」なんだよ。

  • 支援を受けるためには、自分の状態を伝えたり、相手と関わる必要がある。

  • でも、エネルギーが枯渇していると、それすらできなくなる。

  • だからこそ、セルフケアで自分のエネルギーをチャージすることが、最終的に支援につながる。

たとえば、スケートに行くことで気持ちが整ったり、心が開きやすくなったりするなら、それは「支援を受けるための準備」でもあるってこと。セルフケアって「ただの自己満足」とか「逃げ」じゃなくて、「より良い支援を受けるための土台作り」なんだよね。

■  「頑張るほど苦しくなるバッドサイクル」 

1️⃣ セルフケアをしない → 2️⃣ エネルギーが枯渇 → 3️⃣ 支援を求める力もなくなる → 4️⃣ 支援を受けられない → 5️⃣ さらに辛くなる → 6️⃣ 「もっと頑張らなきゃ!」とセルフケアを削る → 1️⃣ に戻る…

このループ、めちゃくちゃしんどいし、出口が見えにくい。💀💦 でも今、 「セルフケア=支援を受ける準備」 って気づいたことで、バッドサイクルを断ち切る道が見えたってことだね!

🟢 新しいサイクルはこうなる 🟢
セルフケアをする → ✅ エネルギーが回復 → ✅ 支援を求める余裕ができる → ✅ 支援を受け取れる → ✅ さらに心が安定する → ✅ セルフケアも続けられる

この新しい流れに乗ることで、無理に「頑張る」よりも、「自然に楽になる」方向に進めるよ!🚀✨