大学のころの友人が40室もある家に住んでいて、ヤレヤレと言っている夢だった。いろいろ違う部屋で寝れるのがメリットだと言っていた。
そして、次は、バスの中にトイレがあり、用を足した後立とうとするとちょうど窓の高さにお尻が来てしまう。無効を歩いている男性がちょうど見えたので、立つに立てず。あとで、この不都合をおばあちゃんたちに、言っておかなくちゃと言う夢だった。どうもこのトイレ作ったの、おばあちゃんたちだという設計らしい。
では、改めて以下の夢を、プロセス指向心理学(POP)とユング心理学の両視点で解析します。
🌙夢1:友人が40室もある家に住んでいて、ヤレヤレと言っている。いろんな部屋で寝られるのがメリット。
🌀【POP(プロセス指向心理学)】
POPでは、夢に現れるものは**「あなたの内的プロセス(未開発の部分、マージナル化された部分、拡張した自己)」**を表しています。
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友人=ドリームボディの側面(あなたの中の別の人格・可能性)
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40室ある家=多重的な自我、膨大な可能性、多元的アイデンティティ
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それを「ヤレヤレ」と言っている=拡張しすぎた可能性、あるいは「拡張を強いられる感覚」への内的反応
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POP的に見ると、「自分にはもっと多くの“部屋(自己の側面)”がある。でも、それが統合されておらず、どこに泊まるかも流動的」な状態。明確な核の自己ではなく、漂っているような感覚かもしれません。
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いろいろな部屋で寝られることをメリットとする語りは、「柔軟性/自由」のポジ面も示すが、定住しない不安定さ/アイデンティティの拡散にも通じます。
→ この夢が伝えているのは、「あなたの中にある巨大な自己の可能性の家」と、「それを持て余す部分」の間にあるテンションです。夢の友人はその一側面として、あなたの中の拡張に耐えかねている自己かもしれません。
🔮【ユング派の解釈】
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家=自己全体(Self)の象徴
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部屋=無意識の側面や、人生のステージ、可能性
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友人=シャドウかアニマ(未統合の自己)
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「いろんな部屋で寝られる」は肯定的な印象だが、「ヤレヤレ」は自己の全体性を扱う疲労感を示している。
ユング派ではこの夢は、意識に上がり始めた「拡張された自己」の統合課題を象徴していると解釈されます。
40という数にも「全体性」や「豊かさ」「過剰」が読み取れます。
🌙夢2:バスの中のトイレ。用を足したら、お尻の位置が窓の高さで、外を歩く男性と目が合い、立てない。あとでこの不都合をおばあちゃんたちに伝えようと思う。
🌀【POP(プロセス指向心理学)】
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「バス」=社会の中での移動/集合的な場
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「トイレ」=感情や身体的本能の処理
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**窓の高さにお尻がくる」=自分のプライベートな部分が、社会的場に晒される恐怖。
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見られてしまう羞恥=あなたの中にある「マージナルな部分(恥・排泄・本能・赤裸々な自己)」が、「外界=社会の目」に晒されていると感じている。
→ POP的に見ると、ここに**「エッジ」があります**。
つまり、「私は自分の自然なプロセスを、社会の中でさらけ出せない」というエッジ状態。
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さらに、「このトイレはおばあちゃんたちの設計」=文化的・世代的背景(古い女性性、家系の無意識)による規範が影響している。
→ これは、**「女性としてどう振る舞うべきか」「恥じらいとは何か」**という家系的文化コードのプロセスです。
🔮【ユング派の解釈】
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トイレ=無意識の感情や不要なものを排出する場所
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バス=集合的無意識、個ではない場
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羞恥心・おばあちゃん=シャドウと集合的母性(グレートマザー)
この夢は、「感情の解放」が外界に見られてしまう不安を象徴しています。また、祖母的存在が作った枠組みに不具合があるという点で、「世代を超えた女性的文化」が、あなたの個人的感情表現(排泄)を不自然なものにしてしまっている可能性があると読めます。
🧩統合:2つの夢に共通するプロセスとは?
視点 | メッセージ |
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💠POP | 拡張する自己の可能性と、それに対する疲労やエッジ。感情表現や本能の処理を「社会的視線」や「文化的枠組み」が妨げている。「抑圧された部分(排泄・羞恥・シャドウ)」との関係性が課題。 |
💠ユング派 | 「自己の統合プロセスにおける困難」。過剰な自由/多様性の統合と、古い女性性の束縛(祖母)との間で、自己のプライベートな本能をどう扱うかがテーマ。 |
🪄もしこの夢を活かすなら…
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アートワークで40部屋の家を描き、それぞれにどんな自分が住んでいるかを観察する。
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夢のトイレにカーテンをつけるイメージワーク、もしくは「自分専用のトイレを設計し直す」ビジュアル化ワーク。
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「祖母的な規範」について、自分のなかにある“古い声”を文章化してみると、それが自分にどう影響しているか見えてくるかもしれません。
ご希望があれば、40室の家を探索するプロセスワーク誘導スクリプトもお作りできます。必要であればお声がけくださいね。
その後、夜の絵の続きを書いたら、うまくできた。影をふつうは寒色でかくが、明るいオレンジにしてみた。縁取りも傾向イエローにしてみた。写実性が足りない、と思っていたが、写真に撮ってみたら、そうでもなく、重さや厚みは、白いUFOパンプキンのきちんと表現されていた。鍛えられた観察眼と画力は、頑張らなくても出てくる、と言うことが分かった。
それは、とても深いプロセスが進んだ日だったのですね。
夢が逃げていかなかったのは、あなたの無意識が「この夢は見逃すな」と強く伝えてきた証。しかも、起床後にそのまま創作という行動に流れ込んでいったというのが印象的です。
以下にいくつか、心理的・象徴的な解釈をしてみます。
🌌 夢が逃げずに残ったということ
🔁プロセス指向心理学的に言えば:
これは、「目覚めの意識のレベル」と「夢のレベル」が連続していたということ。つまり、夢の中のプロセスが、起きても終わっていなかった。プロセスはまだ「開いて」いて、次のステップへ進もうとしていた。
→ それにあなたは応答した。夢→日中の意識→創作という自然な流れに乗ったという点が、とても自己組織的です。
🎨 夢のあとで描いた「影がオレンジの絵」
✨ここに現れているメタファーが強烈です:
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影=通常は寒色、でも今回はオレンジ
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→ 「暗い・隠す・寒い・否定的なもの」が、「あたたかく・光に似たもの」になった
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→ まさに夢の中での“排泄”や“羞恥”のプロセスが、あたたかく肯定的な表現へと変換されたかのようです
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縁取りを黄色にした
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→ 黄色は希望・知性・注意喚起。つまり、「ここに注意してほしい」という光のフレーム。
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絵の世界でも、意識のフレームが変わったのです。
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写実性が足りないと思ったが、写真で見ると「重さ・厚み」が出ていた
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→ これも夢と同じで、「一見不完全に見えるもの」が、別の視点(写真=メタ視点)では確かに“ある”と確認されたという体験。
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🧠 鍛えられた観察眼と画力は、頑張らなくても出てくる
これはまさに、**ユング的にいう「自己の自然な展開」**そのものです。
頑張らなくても出てくる
→ それは「自我の努力」ではなく、深層の自己との一致・同期によって自然に出てくる表現。
🔑 この一連の流れから読み取れること
プロセス | 意味 |
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夢が印象的に残る | 無意識が意識に語りかけている、統合が進んでいる |
トイレ・羞恥・家系の規範 | 解放されたい抑圧された側面の出現 |
絵で「影をオレンジに」塗る | ネガティブなものへの再定義・再光化 |
写真にして初めて“見えた” | メタ認知と自己承認の始まり |
観察力と画力が出てきた | 無理なく「本質の力」が流れ始めた |
🪄提案(もしやってみたくなったら)
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この絵にタイトルをつける
→ 自分の中で“夢と現実の架け橋”として位置づけられるようになる -
夢と絵の両方を使って物語化する
→ 絵本形式でもOK。登場人物:友人、40室の家、バス、トイレ、祖母、絵を描くあなた
→ 「影がオレンジになるプロセス」を物語にしてみると、自分の統合プロセスの記録になる -
夢が促した創作として記録しておく
→ これは一つの「創造的トランスフォーメーション」の瞬間。アートセラピー的にも貴重です。
あなたのこの日の流れ、まるで夢と意識と無意識とが一つの糸で縫われていたような自然な連続性がありました。それが、「本質の力が流れ始めた」という実感につながっているのだと思います。とても美しいプロセスです。