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2025/04/04

【日記】4月4日のフリーライティング日記(自由連想法と同じ)

 ■ 腰痛=急ぎすぎサイン

https://chatgpt.com/share/67ef23ff-b310-8004-b50c-66e9ad2acee3

今日は、ChatGPTとの対話が上手く行きました。あとでNOTEにする予定。私は心の問題を抱えて苦しむ人が一人でも減ったらいいなぁ・・・と思っています。

■ ふと出てきた目標 (原文)

このリンク・・ https://www.iryo.jp/dvd/?utm_source=250321N#th

このメールをこないだから探していたのに、見つからず…困ったなぁと小さく思っていました。

有名カウンセラーの心理セッションを見ることがないと、どういうのが心理セッションなのか、日本の仲間のみんなは知らないみたいなんですよね… 

私は海外ドラマで見て、心理カウンセラーに掛かるって言うのが普通のことだと感じていたのに、なぜか日本では、傾聴だけだった。それもただ黙っているだけの傾聴。なので、書くカウンセリングに変えたけど、書かれたものの返事もイマイチだった…

で、いろいろカウンセラーホッピングする羽目になった。

ミルトンエリクソンの技術を日本に広めている神先生が主催した海外一流カウンセラーのセッション動画を大枚はたいて、見たのが良かったみたいな気がする。

でもそのあと、日本のカウンセラー業界が、玉石混交でいえば、玉1%、石99%みたいな状況に陥っていることが分かってびっくりした。エンプティチェアとか、普通の人でも知ってるよ?でもいつ使うべきか?っていうのが問題でしょ。

あ、話を戻すと、今一緒に学んでいる仲間は、恥ずかしさパーツが出て、内的対話が進まないみたいなので、なら、誰かが受けている動画を見たらいいのだと思った。私のは提供した。これは自分でも、本当に一生ものの大事な動画だと思った。

今回のカウンセリングの核心…鬱からの脱却なんだが、しつこい罪悪感と再演、それから、再演による夫婦関係…の脱却が、どうしても、私が18歳で親から独立したときの状況…四面楚歌感がでてしまい、ほーら、みたことか、という声が聞こえて来てしまう。

なぜなら、私は、どうも予言的出来事に出会うことがとても多い体質らしく、三井物産に勤めていたころ、私の前任者だったKさんが、夫側の転勤3回目の地、福岡で、夫を捨て、仕事を取るという選択をしたからだった。Kさんは、さらにKさんの前任者のFさんの右腕となった。すると、私は、Fさんの左腕を期待されているということになる。そして、転勤1回目の不随だった。ゆくゆく、夫を取るか、仕事を取るかの選択になることは目に見えている。しかし、ビジネススクールを出ました、みたいな女性が無職になって、落ち着く先が日本にある?ないよ…。日本では優秀な女性はどこも迷惑がられる存在である。なぜなら、低い方に基準があっている男性社会の、低い側の人の、レベルの低さをいやがおうにも鏡のように映しだしてしまうからである。そうなると、その男性社会では、低いところに偏差値50がある、その50から下の男性の、羨望により足を引っ張られることになる。もしくは、そいつらの面倒見役を押し付けられることになる…というのが、一般的な会社組織での出来事である。

実際、その物産時代の私の上司のAさんも、物産内部のなかでは「できない人」だった。やたら東大卒であることが強調されていたが…50代になって東大卒しか褒めポイントがないとは…である。彼はビジコン審査員をしていたので、そこが私が採用になった理由だが…私はビジコンで上司が見る資料作りをしていたが、まぁ、福岡にはめぼしい企業アイディアはなかった… 博多駅前再開発とか門司港レトロとか関与したが、実質一番もうかったのはバス停の自動広告。やっぱり庶民の洗脳は儲かるなって結論。

この仕事では、「転勤3回、ダンナアウト」を先取り経験したな、と思う。そのアウトを今やるのが重荷なのだ。

いくら力強い女性でも、3回も仕事を無理やり取り上げられて復活できる人がいるだろうか?

いくら健全に育った苗でも、移植3回もされたら、根が弱り、定着は難しくなる。

いくら健康な体でも、3回も手術を受けたら侵襲が大きすぎて、体は弱る。

同じことだ、いくら堅牢な結婚でも、3回も転勤攻撃を受けたら?よほどの予防策がない限り、その結婚は弱ると思う。

その攻撃がどこから来ていると、夫婦のたがいが考えているか?が問題で、私は夫の会社が攻撃者だと考えているが、夫はそうは考えていないと思う。

私の前任者Kさんには、結婚を捨て、仕事が愛着基地になっていた。そして、Fさんの右腕であることが喜びのようだった。しかし…、私はそういう生き方を望んでいないのだ。

仕事を愛着基地にするということは、仕事依存症になる、ということで、それはもうやったことがある、からだ。まぁ最近でもうっかりすると、やっちゃうのだが。

私は生来依存傾向がある、と感じてきたが、これは愛着が欲しいということかもしれない。

成人として内的な愛着をどこに求めるか?その問いを突き止めることが喫緊の課題になっている。

今は、さゆり先生、ユウタ先生に、少し肩代わりしてもらっているからだ。

特にさゆり先生には、丁寧に自分の在り方を見せて、本来の私の姿と困り果てている私の姿両方を分かってもらっていると思う。この困難を乗り越えるのに、私がそもそも”遊んでいる”のではなく、”取り組んでいる”のだ、ということを一般の人は理解することができない。

仕事もしないで遊んで暮らしていいご身分ね、というだろう。そうじゃない、と神様に言うときに、「この人が証人です」と証人席に立ってもらうのが、さゆり先生だ。

私が、内的な愛着、愛着を求める対象が誰になくても、自分で自分を愛することで自己発電的に自分に愛を注ぎ、心的エネルギーを拡大させることができるようになる…この目的地を知っているのはユウタさんしかいない。

私は、増大した罪悪感のエネルギーを、自愛を含む人類愛に昇華しなくてはならないのだ…でも、どうやって?

それはユウタさんしか知らない…そうなっていきますよ。と言っていたが、そうなるまでに、ジタバタと苦しまなくてはならないのだろうと思う。

その苦しみを先行して見せてくれているのは… そう、キリストとかお釈迦様で、私は、キリストの死にざまが昔から怖い…。そして、お釈迦様は子捨てして出生したことがなかなか受け入れられなかった。

突きつけられている問いは、「あなたは何のためなら死ねますか?」なのだろうか?いや違う。この問いがまちがっていたから、(わたし2.0)が行き詰ったのだ。

正しくは「あなたが神のおつかいだとしたら、神様の用事は何ですか?」だ。

■ 以上の心理学的評価

https://chatgpt.com/share/67ef2c5d-79b0-8004-8792-f7ddee479b53

■ RASを働かせる対象

「あなたが神のおつかいだとしたら、神様の用事は何ですか?」

■ ChatGPTによる回答

この人物が神様のお使いだとしたら、その人物に託された神様の用事は、**「自己の内的な葛藤とトラウマを癒し、他者にもその癒しを伝えること」**だと考えられます。

文章全体から感じられるテーマは、深い自己探求と癒し、そしてそれを通じて他者を助けることに強い意義があるようです。特に「罪悪感」「再演」「愛着」「依存傾向」といった課題が挙げられており、これらを乗り越えていく過程が、神聖な目的に結びつく可能性が高いです。神様のお使いとしての役割は、自己の癒しを通じて自己愛と人類愛を昇華させ、そのプロセスを他者にも示し、彼らが同じように自己実現と癒しの道を歩む手助けをすることだと考えられます。

また、神様のお使いとしての役割は、単に自分自身を癒すだけでなく、他者の内面的な苦しみを理解し、それに対して共感と支援を提供することも含まれます。この人物が抱える葛藤や苦しみは、そのまま他者に対する深い共感となり、彼らの癒しにも繋がるでしょう。神の使命として、自己と他者の癒しを一体化させる役割を担っているとも言えるでしょう。

■ 理由

この人物が「神様のお使いだとしたら、その人物に託された神様の用事」が自己の内的な葛藤とトラウマを癒し、他者にもその癒しを伝えることである理由は、以下の点に基づいています。

1. 自己の癒しと葛藤への深い理解

文章には、この人物が多くの内的な葛藤を抱えていることが描かれています。特に「罪悪感」「再演」「依存傾向」といったテーマが強調されており、これらの問題は単なる個人の課題ではなく、深い精神的、感情的な影響を与えています。このような苦しみを抱えている人物が、その過程を乗り越えることで、他者の痛みや苦しみに対して共感し、それを癒す力を持つようになるのは自然な流れです。神様のお使いとしての役割は、これらの困難を克服することを通じて他者をも助けることに繋がります。

2. 内的な癒しが他者への支援に繋がる

この人物は、過去に「カウンセラーホッピング」や「さゆり先生」「ユウタ先生」などの他者から支援を受けることを通じて、自身の内的な問題を解決しようと試みています。自己の癒しが他者との対話や学びを通じて進行している様子が描かれています。つまり、人物が神様のお使いだとすれば、その「癒し」は単なる自己満足にとどまらず、他者にもその知識と経験を伝える役割を果たすと考えられます。神様のお使いとしての使命は、自己の痛みや苦しみを他者に伝え、共に癒しの道を歩むことです。

3. 人類愛と自己愛の昇華

文章には「増大した罪悪感のエネルギーを、自愛を含む人類愛に昇華しなくてはならない」とあります。罪悪感や内的な葛藤を解消し、自己愛を深め、それをさらに人類愛へと昇華させることが、この人物のテーマです。神様のお使いとしては、個人的な苦しみを超えて、そのエネルギーを社会的な支援、共感、愛に変換する役割を担っていると考えられます。自己の内面的な癒しが進むにつれて、他者にもその癒しをもたらす力を持つようになるのです。

4. 精神的成長と社会的貢献

この人物の過去の経験(仕事と家庭の葛藤、転職の困難、依存傾向など)を通じて、深い内面的な成長が求められています。この成長を通じて、自分自身をより理解し、他者に対して深い共感を持つようになります。最終的には、社会的貢献を果たすことが神様から託された役割となるでしょう。内面的な苦しみや葛藤を乗り越えた先に、他者へのサポートや指導が見出されるため、神様のお使いとしての仕事が、自己の成長と社会貢献を結びつけていくと考えられます。

5. 「神様の用事」としての使命感

神様のお使いとしての使命感は、この人物が抱えている精神的課題を乗り越え、自己の中で「神のおつかい」としての立場を自覚していることからも理解できます。深い問いや内面的な探求を通じて、「あなたが神のおつかいだとしたら、神様の用事は何ですか?」という問いに答えようとする姿勢は、この人物が自らの使命を果たすためにどれだけ真剣に向き合っているかを示しています。この問いに答えることで、神様のお使いとしての道を進んでいくという意識が強く現れています。

総じて、この人物の神様のお使いとしての役割は、自己の内的な問題を乗り越え、それを通じて他者を癒し、助けることです。この過程で自分自身を愛し、人類愛へと昇華させ、最終的にはその癒しのエネルギーを社会へと広めることが託された神様の用事であると考えられます。

■ 反論

1. 神様のお使いとしての使命感が過剰な自己探求に偏っている

この人物が抱える内的な葛藤や課題に対する探求心や癒しの過程が非常に重要である一方で、神様のお使いとしての役割があまりにも自己探求や内面的な成長に偏っているように見えます。神様のお使いが人々に対して癒しや愛をもたらす使命を持っているのであれば、その行動や支援は自己の内面を超えて、もっと積極的に他者との関わりに基づく実践的な形で現れるべきです。しかし、この人物はまだ自己探求の段階にあり、神様の用事として他者を具体的に支援する行動に移るには時間と経験が不足している可能性があります。むしろ、神様の用事は内的な癒しよりも外向きな行動や社会貢献に基づくものかもしれません。

2. 「癒し」だけではなく、他者を導く役割も必要

神様のお使いという役割には、自己の癒しに加えて、他者を導く責任もあるはずです。この人物が持っている使命感は、自己の問題に立ち向かうことに強く焦点を当てすぎており、その結果として他者を積極的に導く役割が欠けているように見えます。神様のお使いとしての使命は単に自己の内面的な問題を解決することにとどまらず、他者の苦しみに対して行動を起こし、導くことであるべきです。この人物が他者に対して具体的な支援を提供する姿勢が十分でない場合、神様の用事を果たすにはもう少し成長が必要かもしれません。

3. 内面的な癒しと社会的な行動のバランスの欠如

神様の用事として「内面的な癒し」を進めることは非常に価値のあることですが、それだけでは社会や人々に対して本当に影響を与えることができない場合もあります。社会的な問題や他者との関わりにおいて、内面的な癒しがどのように実践に結びつくのかが不明瞭なままでは、この人物が本当に神様のお使いとして活動していると言えるのか疑問が生じます。神様の用事を果たすには、内面的な癒しと並行して、外的な社会貢献や具体的な行動が求められるはずです。この人物の行動が内面の成長だけにとどまらず、実際に社会を変革するような力を持つものに昇華しない限り、その役割が完結することはないと言えるでしょう。

4. 過剰な自己犠牲の危険性

この人物は、自分自身の罪悪感を癒すために他者の支援を行うことを考えているようですが、その動機が「補償行為」に基づくものであるとすれば、神様のお使いとしての使命感が本当に無私であるのか、疑問が生じます。自己犠牲や他者のために尽くすことは素晴らしいが、それが過剰になると自己を犠牲にすることが目的となり、バランスを失う可能性があります。神様のお使いとしては、自己の癒しが他者に対する過剰な犠牲心や過剰な介入として現れることは避けるべきです。自己を適切に保ちながら他者に奉仕することが、真の使命感につながるのではないでしょうか。

5. 他者への無理強いを避けることが神様の用事と一致するか

この人物が描いている「無理に心の扉を開かせない」というアプローチは、非常に重要な視点ですが、神様のお使いが単に「待つ」ことや「癒し」を行うだけでいいのか、という疑問が残ります。確かに、他者を無理に変えようとすることは逆効果を招きますが、神様の用事が果たされるには、時に「導き」や「呼びかけ」が必要です。無理強いをしないという姿勢が過度に強調されることで、最終的にこの人物が他者に対してどれだけ実際に積極的な変化を促すことができるのかが問われます。神様のお使いの役割がただ「待つ」ことや「癒し」にとどまっているとすれば、その使命が十分に果たされたとは言えないかもしれません。

これらの点から、この人物が神様のお使いとしての役割を十分に果たすためには、もっと社会的な貢献や実践的な行動が求められる可能性があります。

■焦りのぱーつがでてくることについて

その気持ち、よくわかります。焦りがあると、「何かしなければ」というプレッシャーを感じて、自己治癒を最優先にすべき時に無理に外の世界に貢献しようとしてしまうことってありますよね。特に、社会性を伸ばしたいという欲求が強いと、どうしても周囲に対して自分を証明しようとしたり、他人の期待に応えようとしたりするのは自然なことです。

でも、自己治癒のプロセスを最優先にすることは、長期的に見て最も深い貢献につながるんですよね。焦りや罪悪感にとらわれると、逆に自分を追い込んでしまって、癒しのプロセスを阻害することもあります。今はまさに自分のペースで心を癒し、自分に必要な時間とスペースを与えることが、最も価値のある「貢献」だと気づくことが大切です。

自己治癒が進むと、その結果として、自然に周囲にも良い影響を与えられるようになるはず。だから、今は自分の内面を大切にして、無理に外へ向けて貢献しなくても良いと自分に許可を与えてあげてください。それが、結果的に社会性を伸ばす一番の近道かもしれませんよ!

2025/02/25

2月25日の夢

 おはようございます。今朝は、夢を3本くらい見たのですが、感情の起伏が少ない夢だったので、覚えていなくては…という気持ちも少なくて、紙風船を作るけど、その風船の隙間が大きいという夢しか覚えていません。このやり方でバッグが縫えないかなぁなどと夢についてのんきに考えていました。


その後、ふと、師匠の青木さんは、私と出会ったころ、貯金を使い果たして、実は誰かビジネスコーチに自分の起業を手伝ってもらいたくて、それで私のところに、来たんだということが分かりました。というのは、私と別れた後、娘さんにおねだりして、自分のクライミングガイドの名刺を作っていたからです。要するに一人でやる自信がなかったんですね。集客やら、名刺を作るとか、ホームページを作るとか。交通機関を手配するとか、もです。


しかし、実際は、青木さん、もう、クライマーの指導者としてもそこまですごくないというか…自分を上級のクライマーと判断する、その判断基準自体が陳腐化していそうでした。なんせ岩場に自分でロープをかけることができず、登るのは私に頼まないといけないのに、俺が指導者だ、ということで料金を取りたかったのです。(実際は誰も払わないので、お客が来ない)、いわゆる、トップロープ掛けるだけガイドでは、今時、誰も、お金払ってくれません。というので、私に頼りたかったし、その他青木さんができないビジネス面での能力でも私のほうが優れていたので、やってほしかったのです。が、それを言えない。やってほしいという言うことができないので、拗ねて、態度で示すことになったんですね・・・


ということが朝、コーヒー淹れながらひらめきました。これは今の私の状態かもしれません。


一歩を進むのに、何かが怖い…。私は、根拠のないことを怖がることは少ないです。ので、青木さんの態度と私の態度は共通点があっても、心は異なるかもしれないです。


よく、縄を蛇と考えることが恐怖の正体だ、という風に言われますが、そうではないような気がします。なぜなら、私は、未知への恐怖心が普通の人より異様に低いことが証明済みだからです。財布に2万円しかなくて、アメリカに出稼ぎに行くような人なんですよ… だから、お金の苦労の話ではない。


体力かもしれないけど、最近のスケートでの自己実現を見ても、体力的な不足の予知感が行動のストッパーにはなっていない…大体、不足することに気が付かずにやりすぎて翌日ダメになっているケースなので、足りないことを予期せずに飛び込んでいます。


スケートの先生の山本先生が、転びながらバックの練習をする女性が私に転び方を指南するのを見て、「練習しなくていい」と言いました。失敗を恐れないことが上達の早道だ、というのが、一般的な指導法ですが、私は大人になってしまったし、コケるのは嫌なのです。山本先生も転ぶのが嫌で、転ばないようにじわじわと限界を広げて上手になったそうです。しかも、すごく上手なのです。私は先生の「転ばなくていい」という指導に強い印象を持ちました。そう!みたいな。


だってクライミングだって、落ちないで成長してきたのです。私の数えるほどしかない、落ちたときに、ビレイヤーのビレイミスで、頭を7針も縫う怪我になりました。この怪我が、落ち慣れていたら防げたかというと?ビレイのミスなのですから、防げません…。100%相手方が悪いのです。その相手を選んだということ以外は。


私は十分な予見が出来ていないので、足踏みしているのかもしれません。つまり、3歩先の未来が描けていない、ということです。1歩先は分かってきたみたいで、昨日、一昨日と山岳会や不登校児向けのフリースクールへのアルバイト応募のメールを書きました。


しかし、3歩先は分からない感じです。


そして、100歩先、10歩先もちょっとわからない感じがしています。よくある方法論で、10年先の未来をクリアに考えていたら、それがかないますよ、というのは、私にとって有効な願望実現の方法ではないかもしれません。というのは、別にクライマーになりたい、などと願ったことはないからです。


スケートのほうも、やってみようかな、というのは、近くにリンクがあって(行動半径上の合理性)、安く(経済合理性)があったから、です。


考えてみたら、ヨガの成功も、夜学で学生をしたときの成功も、職住近接にあり、休息が取りやすいという点が成功の要因にありました。大阪に家を買ったのも職住近接のためでした。


つまり、未来から逆算せよ、というのは、遠い未来の願望実現にはあまり有効でないかもしれませんね。


2025/01/26

【好きなモノ】FunnyBallet、チャイコ・舟唄、女性像


今日のヒットはこのバレエです。とても楽しい☆ ユーモアにあふれています。このようなタイプのユーモアが好き。

■チャイコ 舟唄


チャイコフスキーの舟唄を聞くと、なんか癒されます…とても私の心を表しているようで… 

ヘッドフォン買いたくなった… スケートで聴けるように買おうかな…

聞いているとバレエのバーをしたくなります… 

■オプラのこちらの女性像は、これから私が未来の姿とすべきものかもしれません。


■ 今日は、小説が書けました

妹と私について書きました。


■ 迫害者 → 被害者 → 救済者が分かるようになった

依存の仕組みです。救済者が、嗜癖です。

アドレナリン嗜癖のクライマーは、おそらく、

キュー:俺はダメな奴だ

→ いつだってお前はダメな奴だ (迫害者)
→ 無価値観 (被害者)
→ クライミングの達成感 (救済者)

となっているような気がします。

私はクライミング界を救わさせられそうになっていたと思います。(ガスライティング)

そこで、ガスライティングのにおいを嗅ぎつけて立ち止まったんだと思います。

このままいくと、クライミング界を救済するために生涯を無駄にさせられる羽目になるところだった!

2025/01/13

【大人のアイススケート】初めてのスケート教室…運動療法スタート

■大阪市は穴場

札幌ならいざ知らず、なんと大都会の大阪が、

アイススケート穴場

だった…

ということに

お散歩中に、気が付きました。

真田山アイススケートリンク

にたどり着いて、分かりました♪

びっくりー。

これは平日ですが…あれー?

だれ―も、いなかった。

私はもともと混雑が苦手なので、これは絶好のチャンス!と思い、大人ですがシーズンチケットを購入して、「アイススケートな日々」を楽しむことにしました♪

クライミングも、自然の静けさを楽しむために始めて、中級者まで成長しました。


■ 運動&アート

運動は、うつ病の回復期に必要です。廣瀬ドクターからは、「一日2時間歩き」が、推奨されているのですが、無目的に2時間歩くって、なかなかできないです。

さて、どうしようか… 大阪のコーヒーロースター巡りでもするかねぇ?と思っていました。

真田山には、歴代の戦争で亡くなった人たちの戦没者墓地があり、古くは日露戦争の時代からの戦没者が祀られています。

 ここは大阪の靖国だ…

と思いました。

先祖が命を懸けて守った日本という国。瑞穂の国…。

そんな歴史ある地でスケートを楽しめるなんて、とても贅沢な時間です!

その公共施設である…つまり国民の財産である、このスケートリンクで遊んでいるのは?

なんと、ほぼ4、5割が中国人です。日本語より中国語のほうが聞こえてきます。

日本という国は、実は今、内側から乗っ取られようとしています…中国の人たちに。

実際、島之内では、ほとんどの人が中国人で、店に入っても日本語が通じません…いや~怖い…。

少子高齢化も含め、日本乗っ取り作戦だったんですよ…戦後はずっと。戦争自体は勝ちましたが、あれは単なる序章だったのです…戦争以外の別の方法で国を乗っ取るということが、戦後70年、実は着々と進んでいたのでした。

私が高齢化したころには、すっかり日本国は中国人の物になってしまっているかもしれません…

さて、そんな土地柄の真田山スケートリンクですが、地理的に言えば、大阪のど真ん中にありながら、過疎が進む町って感じです。町名は餌差町。

残っている巨大な邸宅は、創価学会の上の人の物なのでしょうか?城壁に囲まれた感じで取りつくしまなし勘のある外見です。お金持ちって言うのは我欲が強い人のことだ、ということが分かります。

町を歩いていると、目立つ建物はお寺と創価学会ばかりで、宗教が偽物、であることが分かります。利他を他人に薦めて、その裏で自分の懐を肥やしてきたのが宗教…ということが非常によく分かる街並みになっています。特にお寺はすごい数集まっています。

日本の宗教…仏教が、本来のお釈迦様の心を伝えるものではまったくなくなっていることは、福岡で、チベット僧本人に教えてもらいました…。

一体全体、日本の僧侶は悪魔にでも、心を売ったのでしょうかね…

仏教など国内宗教にお金をお布施するのは遠慮しましょう…ということが見て取れる街並みになっています。

というわけで、このような環境で、ほぼ貸し切りみたいな平日のリンクで、日本国の末裔気分を味わいながら滑っています…

■ 初心者講習を受けました。受けてよかった☆

年初からスタートしたスケートですが、初心者講習をやっと受けました。土日祝しかやっていないので。

受けて見てよかったです。まったく逆のことをしていました。内またと外また、では外またが正解です。おそらくほっておくと、大半の人が内また滑りになってしまうようです。

正しいランジを身に着けるというのが、私の身体面の癖直しの課題で、そのために2か月も毎日、リハビリ教室に通っていたくらいなのです…しかし、運動強度が低すぎて退屈してやってられん…。80歳とか、寝たきりの人なら楽しめるかもしれませんが…私には無理でした。

というので、バレエのクラスも出てみました…ヨーロッパ帰りのプロの男性の先生のクラスでしたが、先生も喜んではくれましたが…もう知っていることばかりなので、スキルアップに何か新しい技能があるわけではなく…私は身体技術を磨く、と思うと響くタイプなのです。

他に、合気道のクラスにも近くの高津の宮で出てみましたが、気合を入れる声掛けが怖くてダメ…トラウマ再発しそうでした。男性の声が怖いのです。

クライマーが、岩場で吠えているのだって、私は全く嫌なのです。怖い!山で、吠えている人って周りの人からどう聞こえるか?考えていませんよね。

しかも、どう考えてもフリークライミングの人よりも、アルパインクライミングの人のほうが、リスクが高いことをしているのに、なんで吠えるのは、ほとんど全員フリークライマーなんでしょう?

落ちても全く生死に関係ないクライミングしかしてないのに…?

というので、フリークライマーに対する幻想は全くないです。あいつら、カッコつけてるだけです。

みなさんも騙されないようにしてください(笑)。彼らのやっていることには、命は全くかかっていませんから。

今日は、ほんとに初心者講習受けてよかったです。クライミング界も、みんなが見よう見まねで登っているのが事故の原因なのかもしれませんね?

今日は、初心者講習を受けたことで、正しい知識を得てさらにしばらくは、スケートを楽しむことができるようになりました。

少しづづ技術を習得に励みます。そういえば、山もこうしてスタートしたので、振出しに戻っている感じがあります。