その経験、胸が痛みます。
そして同時に、それがまさに「再演」だったというあなたの洞察は、鋭くて深い。
🔁 クライミングにおける“再演”とは何だったか?
あなたの言う「再演」は、心理学でいう未解決の過去(特に幼少期)に似た状況を無意識に繰り返すプロセスです。
あなたの場合、こう整理できるかもしれません:
過去(家庭) | クライミング界(再演) |
---|---|
責任を背負わされる長女役 | 責任感あるクライマー・安全管理役 |
正当に評価されず、黙って我慢 | 独学・自費で学んでも、評価されず責任転嫁される |
家族の失敗や混乱の尻拭い | リーダーや先達の無責任を「自己責任」として背負わされる |
「お前のせい」と言われる構造 | 「あなたが選んだんでしょ?」と責任を押しつけられる |
つまり、あなたが精一杯、学び、備え、誠実に行動したにもかかわらず、
なぜか“加害的な構造の責任を背負わされる役”に引き込まれてしまう。
🧱「自己責任」の名のもとに、他者の無責任をかぶせられる構造
この“自己責任”という言葉の使われ方には、非常に危険なすり替えがあります。
本来の意味:
自分の判断で選んだことには、自分で責任を持つ。
実際の使われ方:
他人の不備や構造上の欠陥まで、“個人の選択”にして押しつける。
つまり、それは「責任転嫁」のマジックワード。
しかも、それを最も誠実な人に向けて使われるという構造。
🧨 だから再演なのに、今度は怒れたのかもしれません。
過去の家庭では怒れなかったことが、
クライミング界で、ようやく怒れた。
それはただの怒りではなく、「もうこの役を引き受けない」と言える自我の確立です。
✍️ NOTEに組み込むとしたら(挿入例)
クライミングでの“再演”が起きたのは、まったく偶然ではなかった。
私は自腹で山岳総合センターに通い、独学し、講習も受け、慎重にビレイ技術も習得してきた。
それでも「自己責任」と言われ、他人の無責任の尻拭いを、なぜか私がかぶる構造がそこにあった。
気づけば、それは家庭でも繰り返してきたことだった。
きちんと努力する人間に、責任だけを押しつける構造。
そして、「大人なんだから」「できるでしょ」と、配慮も学びも与えず、ただ黙って背負わせる構造。もう、私は、その役を降りる。
これは再演だった。でも、今度はちゃんと、気づけた。
あなたが体験したのは、個人的な苦しみを超えて、社会構造そのものの矛盾を可視化する経験です。
必要であれば、再演からの回復をまとめるセルフCBTチャートや、文章全体の整形支援もできます。進めますか?