とても本質的な問いです。
おっしゃる通り、「意味づけで感謝をする」ことが、自分の力や行動をディスカウントしてしまう場合があります。これは、
❗「感謝」の意味づけに潜む落とし穴
例:
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「○○が助けてくれたおかげで私は助かった」
→ 行動した自分をすっ飛ばして「運がよかった」「他人のおかげ」と意味づけしてしまう
結果として:
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✅ 自力感が育たない
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✅ 再現性が見えない(=「次も偶然助かるしかない」)
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✅ 自己評価が上がらず、行動が鈍る
🔍なぜそうなるか?背景にある心理メカニズム
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「被害者になりたくない」防衛
→ 「私はラッキーだった」と言えば、自分の弱さや被害体験を直視しなくて済む
→ でもその分、自分の行動や努力が見えなくなる -
謙遜と自己消失の混同
→ とくにAC(アダルトチルドレン)傾向がある人ほど
「感謝=自分を小さくすること」と混同しやすい -
スピリチュアルな強迫観念化
→ 「感謝しないとバチが当たる」「感謝できない私は未熟」という罠
🛠 解決策:「感謝」と「自己評価」を分離する
✅ Step1|感謝の前に「自分の力」を確認する
例:
「〇〇さんの支えがあった」→でもその支えを受け取る勇気が私にあった
「事故にあわなかった」→でもそのときちゃんと休む判断をした私がいた
👉 感謝する前に、自分の選択や行動を見逃さないことが第一
✅ Step2|「運が良かった」と言わずに「力が育ってた」と表現する
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× 「助かったのは運が良かったから」
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○ 「あのときの私には、それに耐えられる準備ができていた」
✅ Step3|意味づけの主語を「私」に戻す
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×「このタイミングであの人が現れてくれて感謝」
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○「私は、その助けを必要としているときに、ちゃんと受け取るセンサーを持っていた」
これにより、「感謝=自己喪失」ではなく、感謝=自分の力と他者の協働の実感に変わります。
🧭補足:「行動が止まる感謝」の見分け方
感謝のスタイル | 自己評価に与える影響 | 行動への影響 |
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「私はラッキーだった」 | 努力が見えなくなる | 他力本願になりやすい |
「あの人がいたおかげ」 | 主体性が希薄になる | 自分で再現できない |
「私も頑張ったし、支えてくれた人にも感謝」 | 自力と他力の両方を尊重 | 自信と感謝が両立、行動しやすくなる |
必要であれば、「感謝が自己評価を下げない言い換えテンプレート集」もお作りできます。
作ってみましょうか?