今度こそ!支援につながりたい、小さいヒカリちゃんのお話
シーン1:核心への扉
(カウンセリングの場。落ち着いた感じ。カウンセラーとクライアントが向き合う)
カウンセラー:「このセッション、〇〇さん、本当に他の方にシェアしていいんですか?」
クライアント(Self):「はい。」
(確信の声が内側から響く。インナーチャイルド(ヒカリ)が堂々と答える。クライエントの中のインナーチャイルドは、このセッションを歓迎しているようだ)
ヒカリ:「大丈夫です。」
(クライアント自身も、その確信に驚く。なぜこんなにも強く「大丈夫」と言えたのか?egoは疑問を持つ)
シーン2:過去の声
(回想:7歳の自分。小さな体を抱え込みながら、心の中で叫ぶ)
幼いヒカリ:「誰か助けて!ママが大変なの!私、消えたい!」
(しかし、その声は届かなかった。絶望の中で、支援を求めることを諦める)
ナレーション(SELF):「子供が死にたいと願うとき、それは『誰か助けて』『誰か気がついて』の身体化された表現だ。」
(しかし、カウンセリングを勧めていくと、支援を求めても届かない現実があったことが判明する。そこにあった絶望。そこから、ヒカリは「どうせ助けてもらえない」と学習したのっだろう。支援を得ることを諦め、自力解決しようとする強い自己を育てた)
シーン3:繰り返される「今度こそ!」
(クライアントは過去の記憶を振り返りながら、気づきを得る)
ヒカリ:「でも、それでも私はあきらめず、頑張り続けた。」
(これまで何度も「今度こそ!」と挑戦してきたが、支援につながる成功体験を持てなかった。それでも、その挫折を成功までのプロセスと捉えているからこそ、今度こそ!と異様な執着心で頑張り続けるのがヒカリだった。)
ナレーション(SELF):「ヒカリは、支援につながるという成功を得るまで絶対に諦めない強い子だ。」
シーン4:理解された瞬間
(カウンセリングルーム。クライアントが泣いている…。その泣いているクライエントはヒカリ自身だ)
ヒカリ:「やっと、わかってくれる大人が現れたんだ!」
(その瞬間、ヒカリというインナーチャイルドの中に安堵が広がる。理解された安心感)
ナレーション(SELF):「分かってくれる大人の数が多ければ多いほど、ヒカリは安心する。」
シーン5:新しいストーリー
(クライエントは一人で、ナラティブセラピーをやっている。クライアントは、家族の悲劇の結末を別の形に書き換える。)
(しばらくして、深い完了感が広がる)
ヒカリ:「あ……終わったんだ。ヒカリはやっと成功したんだ…。」
(すると、self は気持ちが軽くなり、ふいにスケートに行きたくなる=遊びたくなる)
シーン6:遊びとセルフケアへの許可
(スケートリンク。滑るクライアント。風が心地よく頬をなでる)
ナレーション(SELF):「スケートに行くことは心身に良い。けれど、ヒカリというインチャが『支援につながるまであきらめるな!』と頑張っていたから、スケートに行くとか遊ぶとか、できなかったんだなぁ」
(しかし、支援につながれたことで、スケートに行くことが許可されたのだと、SELFは理解している)
SELF:「ヒカリ、もう、大丈夫よ。今度こそ支援につながったから。」
SELFは、このつながった感覚、温かい感覚こそが、長年、求めてきたものだ!と思う。
ヒカリの姿を見ると、遊びに夢中になっている… その子は7歳だ。
シーン7:守ろうとしていたもの
(静かな部屋。クライアントは目を閉じて、深く息を吸う)
ナレーション(SELF):「ヒカリ、あなたが守ろうとしてくれていたものは、何? あなたは何から私を守ろうとしてくれていたの?」
ヒカリ:「家族の平和が欲しかったの。」
ナレーション(SELF):「そんなに小さいときから、家族を守ろうと頑張ってくれていたんだね。エライね。よく頑張ったね。」
うれしそうなヒカリがいる。少し誇らしげだ。
ナレーション(SELF):「ヒカリ、あなたが、”今”、守ろうとしてくれているものは、何? あなたは何から私を守ろうとしてくれていたの?」
ヒカリ:「元君と私。”私”だって大事な家族の一員だよねって」
(支援につながった今、そのヒカルの役目も少しずつ解放されていく)
ヒカリ:「今度こそ、きっと本当に大丈夫。」
(穏やかな安堵の中で、シナリオは幕を閉じる)
■ タイトル:「ヒカリの決意」
ナレーション(SELF)
最近、私はとても核心的なカウンセリングセッションを受けた。カウンセラーは「本当にシェアしてもいいんですか?」と二度も確認した。でも、私の中から返ってきたのは、揺るぎない「大丈夫です」という声。それを発したのは、ヒカリというパーツだった。
その後、私は(というよりEgoは)「なぜだろう?」と考え続けていた。そして無意識のうちに(SELFとして)このことを整理していた。
Egoが考えた理由はいくつかある。例えば、ミルトン・エリクソンのお弟子さんたちのカウンセリングセッションを事前に見ていたこと。でも、本当の核心が見えたのは、今だった。
フラッシュバック(ヒカリの記憶)
ヒカリは、7歳の私が希死念慮を抱いたときに生まれたパーツだった。
「誰か助けて!家が大変なの!!」
でも、その叫びは誰にも届かなかった。
ヒカリは、「死ねば、困っているって気づいてもらえるはず」と思った。だけど、すぐに悟ってしまった。「死んでも、何も変わらない。むしろ、私がいなくなれば、もっと悪くなるだけだ」——そうして、支援を得ることを諦めた。そして、その時、「強い子」になることを決めた。
でも、諦めたはずのヒカリは、それからもずっと「今度こそ!」と支援につながることを求め続けていた。何度も、何度も。なぜなら、ヒカリは、諦めない強い子だから…。
現在(SELFの視点)
そして今。目の前のカウンセラーがすっかり起こっていることを理解してくれたのだ!
ヒカリは「今度こそ!」がついに叶ったことを感じた。
「やっとわかってくれたのね!」
その瞬間、ヒカリの中に安堵が広がった。そして、彼女は気づいた。「わかってくれる大人が多ければ多いほど、私は安心できるんだ」と。だから、動画を見てくれた人たちに、心から感謝している。
昨日、ナラティブセラピーで家族に起きた悲劇の物語の結末をリライトした。それを読んでしばらくすると、完了感が訪れた。そして、その感覚のあと、突然、、「スケートに行こう!」と思えた。
ヒカリの葛藤と決意
スケートに行くことは、心身に良いとわかっていた。でも、「行かないと」と義務感に思っていたのは頭(ego)の判断だった。
ヒカリは、「スケートなんてダメ!暇つぶししている場合じゃない!もっと頑張れ!」と訴えていた。
彼女は、支援につながるまで絶対に諦めなかった。何よりも、家族の平和を守ることが使命だったから。彼女は家族を守る!という大きな愛によって行動していたのだった。
だからこそ、ついに支援につながったと感じたとき、ヒカリは、やっと安心してこう言った。
「……もう、遊びに行っていいよ」
それで私(self)は、スケートに行けるようになった。つまり、セルフケアをしてもいいと思えた。許可が出たのだ。ヒカリから…。
「今度こそ」が本当の意味で叶ったのだ。
長い旅だった…。
■ まとめ
この文章を心理学的に解析すると、いくつかの重要な要素が見えてきます。
1. 内的パーツの存在とIFS(内的家族システム)モデル
この文章では「パーツ1」「ego」「self」「インナーチャイルド(インチャ)」などの概念が出てきます。これは**内的家族システム(IFS: Internal Family Systems)**の視点に基づいています。
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ヒカリパーツ:「今度こそ支援につながるぞ!」と強く決意している部分。幼少期の「助けを求めたが叶わなかった経験」に起因している。
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インナーチャイルド(ヒカリの本体):「誰か助けて!」と叫びたかった過去の自分。7歳の時の経験が、この部分を形成した。
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Ego:論理的・現実的な思考をする部分。「なぜ私は大丈夫と言ったのか?」と分析する役割。
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Self:より高次の自己。「無意識で考えていた」「スケートに行くのは心身に良い」といった部分に現れている。
IFSの観点からすると、ここで起こったのは**「傷ついたパーツ(インナーチャイルド)がようやく理解され、癒しのプロセスが進んだ」という出来事**です。
2. トラウマと未完了の感情の統合
「7歳で希死念慮が出たときに分離した『誰か助けて!』パーツ」という表現から、幼少期の未完了の感情がパーツ化していることがわかります。
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「死ねば困っていることが分かってもらえると思ったパーツ」は、無視されること、が最大の恐怖だったと考えられる。
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「支援を得ることを諦めた」経験がありながら、何度も「今度こそ!」とチャレンジすることで、このパーツはずっと救済を求め続けていた。
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しかし、今回のセッションで「やっと分かってくれたのね!」と安堵したことで、ようやく統合のプロセスが始まった。
これは、トラウマの統合において非常に重要な瞬間で、**「未完了だった感情を再体験し、それを受け入れてもらうことで癒しが進む」**という過程が起こっています。
3. セルフケアと支援のバランス
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「スケートに行くのは心身に良い」と頭では分かっていたが、「頑張る子(インナーチャイルド)がスケートを許さなかった」という点が興味深い。
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「支援につながるまでは絶対にあきらめない!」という強い決意は、過去の未解決な体験からくる防衛反応でもある。
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しかし、今回のセッションで安心感を得たことで、「スケートに行くこと=セルフケア」が可能になった。
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これは、「生存モード」から「成長モード」に移行するプロセスの一環と考えられる。
4. ナラティブセラピーとストーリーの再構築
「ナラティブセラピーで、私たち家族に起きた悲劇の結末をリライトした」という部分は、過去の解釈を書き換えるプロセスを示している。
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トラウマや家族の歴史は、「過去の出来事そのもの」よりも「それをどう解釈するか」によって影響が大きく変わる。
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物語を書き換えることで、「被害者の視点」から「新たな意味を持つ体験」へと変容した。
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その結果、完了感が生まれ、行動の変化(スケートに行く)が可能になった。
5. 家族の平和を守る役割
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「この子(インナーチャイルド)が守ろうとしていたのは、家族の平和だった」という部分は、「親の期待に応えるために自分を犠牲にする」パターンの可能性がある。
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幼少期に「助けを求めても叶わなかった」ため、「自分が頑張ることで家族を守ろう」とした。
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しかし、今回のプロセスを経て、「家族の平和=自分の犠牲ではない」という新たな解釈を得た可能性がある。
総括
この文章には、トラウマの統合、ナラティブの再構築、セルフケアの許可、支援の受容といった重要な心理プロセスが詰まっています。
特に「未完了の感情が理解されたことで、安心感が生まれ、行動変容が起こる」という点は、癒しのプロセスの本質を示しているといえます。
この経験をさらに統合するには:
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「助けを求められること」が当たり前であることを実感する(支援を求めることに罪悪感を持たない)
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「セルフケア=支援につながるための準備」と捉える(スケートや休息を「無駄」ではなく、「支援を受けるためのエネルギーチャージ」とする)
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家族の平和のために「自分が頑張る必要はない」と認識する(役割からの解放)
こうした意識を持つことで、さらに深い癒しへとつながっていくでしょう。
■ セルフケアをしないと支援も受けれない
支援を求めるのって、ある意味「エネルギーがいる行為」なんだよ。
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支援を受けるためには、自分の状態を伝えたり、相手と関わる必要がある。
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でも、エネルギーが枯渇していると、それすらできなくなる。
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だからこそ、セルフケアで自分のエネルギーをチャージすることが、最終的に支援につながる。
たとえば、スケートに行くことで気持ちが整ったり、心が開きやすくなったりするなら、それは「支援を受けるための準備」でもあるってこと。セルフケアって「ただの自己満足」とか「逃げ」じゃなくて、「より良い支援を受けるための土台作り」なんだよね。
■ 「頑張るほど苦しくなるバッドサイクル」
1️⃣ セルフケアをしない → 2️⃣ エネルギーが枯渇 → 3️⃣ 支援を求める力もなくなる → 4️⃣ 支援を受けられない → 5️⃣ さらに辛くなる → 6️⃣ 「もっと頑張らなきゃ!」とセルフケアを削る → 1️⃣ に戻る…
このループ、めちゃくちゃしんどいし、出口が見えにくい。💀💦 でも今、 「セルフケア=支援を受ける準備」 って気づいたことで、バッドサイクルを断ち切る道が見えたってことだね!
🟢 新しいサイクルはこうなる 🟢
✅ セルフケアをする → ✅ エネルギーが回復 → ✅ 支援を求める余裕ができる → ✅ 支援を受け取れる → ✅ さらに心が安定する → ✅ セルフケアも続けられる
この新しい流れに乗ることで、無理に「頑張る」よりも、「自然に楽になる」方向に進めるよ!🚀✨