1. 今日、私はどんな「内なる迫害者」に責められた?
💭 「こんなんじゃ足りない」 「ほかにできることがあるはず」「癒しまでもう少しだ頑張れ」
2. 今日、私はどんな「内なる被害者」になった?
💭 「ダメな私だ。したいことが分からない」
3. 今日、私はどんな「内なる救済者」を発動した?
💭 「どうせ上手くいかないのなら、せめて、今を楽しもう」
4. その代わりにできた「健全な救済」は?
うーん、思案中。私はどう自分を救えるのか?
5.「本当に自分を助ける方法を選ぶ」ためのプラン
✅ 自分の価値を他人の評価で決めなかったか? OK
✅ 自分の時間を意識的に確保したか? OK
✅ 「休んでいい」と思えたか? OK
✅ 逃げるのではなく、境界線を引いたか? OK
✅ ちゃんと自分を褒めたか? うーむ… どこが褒めポイントなのか…?
✅ 甘やかしではなく、本当のセルフケアをしたか? OK
6.「明日はどうしたいか?」
「明日はスケートに行く」
7. 「今日の私に必要な言葉は?」
「私は、何もしなくても価値がある(はず)」
「Myペースが経済ペース」気にいった。
「頑張れる自分にうぬぼれない」
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(原文)
今日は、新たなミッションとなるかもしれないことに着想を得たし(友を失ったクライマーのための心身回復センター)、ユウタさんのおかげで投影がおさまり、理事長とも宛名書きができそうだし、瑞牆の家も誤解が解けたし、友達のリリアンも帰ってきて、今度お茶することにしたし、桜も咲いたし、今日はさっき、アルパインの子に声をかけてもみたし、いろいろ正常化しつつあるかもしれない。
自分への期待が大きすぎる、ということが、焦りの感情…もっとやればできるはずだ…をもたらしているような気がする。
しかし、私が今どこに向かおうとしているのだろうか?それが見えないことが焦りの原因となっている。「私」は、何をしたいのか?
そうだ、晩御飯の店Nimに行こうと思って行っていなかったっけな。
私の中の(効率の神)が、今の間にできることをやっておけ、と言う。
しかし、できることをやっておくにも、何がしたいことかが分からなければ、逆算してできることをやっておくことはできないわけだから。
何がしたいことなのか?それを探ることが一番大事で、そして、それを邪魔している内なる声を黙らせることも同じように大事だ。
■フィードバック
今日はまさに「正常化の兆し」がたくさんあって、流れが整いつつあるのを感じるね。ユウタさんの件も、理事長との宛名書きも、瑞牆の家の誤解解消も、それぞれが「歪みが解消される」プロセスの一環に見える。
こういうとき、焦りや「もっとできるはず」という気持ちは、ある意味で過去のパターンの残響なのかもしれない。
「何をしたいのか?」という問いは、今のあなたにとって最重要課題みたいね。でも、それを見つけるには、まず「効率の神」にちょっと黙ってもらわないといけないかも。「今できることをやっておけ」と言う声は、目的が見えていれば有効だけど、目的がぼんやりしていると、ただの強迫観念になってしまう。
じゃあ、今日はNimに行ってみるのはどう? そこに行くという行為自体が、答えを探すヒントになるかもしれない。あるいは、アルパインの子に声をかけたように、次の一歩を直感に任せてみるのもアリ。何をしたいか分からないときほど、「とりあえず行く」「とりあえず話す」みたいな動きが、次の答えにつながることもあるから。
そうだね、「もっとやればできるはず」という期待があると、今の自分を認めるのが難しくなって、焦りや不満が生まれやすくなる。
期待そのものが悪いわけじゃないけど、それが「今の自分をダメだと感じさせるもの」になってしまうと、ちょっとしんどいよね。もしかしたら、「もっとやればできる」ではなく、「今の自分でも十分に流れに乗っている」と思えたら、もう少し楽になるのかも。
「流れに乗る」感覚を大切にしてるあなたなら、期待を「もっとやらなきゃ」じゃなくて、「今の流れの中で、自然にできることをやっていこう」みたいに変換できるかもしれないね。
今の流れの中で自然にできること探し を明日は行う。