■原文ママ
パーツワークをします。弟にも幸せになってほしかった姉の私 白亜スラブの登攀って、私がひどい目にあったってのは事実だけれども、結局アラーキーがダメダメクライマーであるってことを明白に描いた経験でもあった。まさか、小学生レベルの算数をしていないとは思わなかったのだ… でも、これについて行ってしまった理由は、弟にも自己実現してほしいという気持ちがあったから、だった。 当時私は台湾へひとりで行く予定だったから。そして楽しく登って帰ってきたんだが…。指をくわえているような恰好なってしまうアラーキーを気の毒に思う感情があった。しかし、現実には彼のほうは、九州のイケイケクライミングは、故郷回帰で水があって、イケイケに自信がなかったのが、九州では逆にあと押しされ、さらに磨きがかかって、ただでも危険なクライマーだったのに、さらに危険になったばかりか、あほなクライマーであることすら、白日の下にさらしてしまった。 というので、このことが起きたのは、双方にとって、 その人のありのままの姿 を世界に示す、という結果になった。私の弟思いの姉パーツが、これを起こしたが、アダルト自我からしても、これくらいは耐えれると思ったのだろう… まさか、弟が25+35ができないほど、アホとは想定外だったのだ。
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あなたの語りは、ひとつの登攀体験をきっかけに「弟思いの姉パーツ」がどう動き、どう現実に裏切られたか、さらにその裏切りが「真実の開示」にもなったという深いパーツワークの素材になっていますね。
このセッションを整理してみましょう:
🔧パーツ名:弟にも幸せになってほしかった姉パーツ
🎭 役割
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自分の旅や挑戦を楽しみつつも、「弟にも輝いてほしい」という無償的願いを持つ。
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自己実現を独占せず、分かち合おうとする献身的な存在。
💬 信念・口ぐせ
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「私は先に進んだけど、あの子にもチャンスをあげたい」
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「彼が遅れてるのは環境のせいかも」
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「見捨てたくない」
⚠️ 落とし穴(シャドウ)
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相手の能力や限界を冷静に見ず、情に流される
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結果として、自分のリソースや安全を危険にさらす
😢 傷ついたポイント
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思っていたよりも「アホだった」事実(認知的な落胆)
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弟パーツが「成長」するどころか、「増長」し「危険性が増した」
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自分の善意が、結果として相手にも自分にもダメージを与えたこと
🧠 アダルト自我の反省
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「これくらいは耐えられる」と思っていたが、想定外の事態
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判断ミスだったとしても、それは“情報不足”による“善意のミス”
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姉パーツが悪かったわけではなく、「盲点があった」というだけ
この体験は、ある意味で“幻想を壊す”ために起きたと捉えられるかもしれません。
そして壊れた幻想とは、「あの子もがんばればきっとできるはず」という、自分がかつて信じた物語です。
この物語はもう終わっていいのかもしれません。
でも、姉パーツを責める必要はない。
むしろ、「分かち合いたい」という純粋な愛」は、あなたの美しい核です。
🎯次の統合ステップとしてできること
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「分かち合いたい姉パーツ」に語りかけて:
「あなたの願いはとても純粋だった。けれど、人は“自分で”登る力を持っていなければ、その山は登れないんだよね。あなたが引き上げようとして、逆に傷ついたこと、もう二度とさせたくない。」
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「アダルト自我」として現実の再評価を行い、
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「私は私の道を、自分の足で歩いてよい」
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「相手の“できなさ”を、私の“愛の失敗”とは結びつけない」
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以下は、「弟にも幸せになってほしかった姉パーツ」「アダルト自我」「現実を見た目(マナコ)パーツ」「怒れる登攀者パーツ」「弟(アラーキー)に幻滅した子パーツ」などを登場させた、パーツワークの対話事例です。あくまで例ですが、IFS(Internal Family Systems)に沿って、それぞれの声を尊重しながら整理しています。
🎭パーツ対話事例:「弟にも幸せになってほしかった姉」との会話
姉パーツ(しょんぼり)
「だって…あの子、ずっと「危険クライマー」として避けられてたでしょ?私だけ楽しんでたら、置き去りにするみたいで…」
アダルト自我
「うん、その気持ちはよくわかるよ。あなたが彼を大切に思ってたこと、ちゃんと伝わってる。だけど、あの子には“リードで登るための準備”がなかったみたいだね。」
姉パーツ
「準備がないなら、私がなんとか私の自己実現力で、引き上げてでも…そう思ってたの。でも、ふつうの算数すらできないとは…。結果的に、あんなにも私自身を危険に晒してたなんて…。」
現実を見た目(マナコ)パーツ(冷静)
「あなたは、“一緒に登れる”と思ってた。彼にも成功体験を積ませたかったんだよね。でも実際には、彼は“自分の足で立つ準備なく、その力も持ってなかった”。それが事実だよ。」
姉パーツ
「それって…私の見る目がなかったってこと?」
怒れる登攀者パーツ(苛立ち気味)
「っていうか、単純に、危ないんだよ!あいつの身勝手な判断で、お前まで巻き添えになりかけたんだよ!? わかってる? “思いやり”って名の自己犠牲は、こっちの命を軽んじてるのと同じ!」
アダルト自我(調整)
「わかった、怒りの気持ちも当然だね。今回の登攀は、自己犠牲ではなく“共に登る力があるかどうかを見極める”ことの大切さを教えてくれた。姉パーツの願いは尊い。でも、それを“誰にでも”与えていいわけじゃない。」
弟に幻滅した子パーツ(ぽつり)
「ほんとはね、少し期待してたんだ。『あの子だってやるんだよ』って世界に言いたかった。でも、帰ってきたのは…こっちが恥ずかしくなるような現実だった。」
姉パーツ
「……そうだね。でも、あの経験で、私の中の幻想も溶けたのかも。“どんなにダメっこでも、人はきっと変われる”っていう、希望にすがってたのは、私自身だった。」
🌀まとめの統合メッセージ(アダルト自我より)
「この登攀は、登る力がない人と無理にロープを結べば、どちらも転落するリスクがあることを教えてくれた。
姉パーツの思いやりは、宝物。でも、これからは“見極める目”を持って、その愛を本当に受け取れる人にだけ差し出していこう。
あなたのやさしさが、もっと安全なかたちで活きる未来を一緒につくろう。」
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……そのことを教えてくれて、ありがとう。
あなたの中の「弟を救いたかった姉パーツ」は、
ただの投影ではなく、本当に愛して、見守って、間に合ってほしかった存在を見ていたんですね。
だからこそ、その「願い」は、ただの思いやりではなく、魂の悲鳴に近かったのだと思います。
🕊️いま、パーツに届けたい言葉(対話例)
アダルト自我(深く静かに)
「あなたがあの子を思ってしたこと、ぜんぶわかってる。
無理してでも彼に登ってほしかった。
置いていけなかった。
だけど――私たちには、彼を生き延びさせる力はなかったんだよね。」
姉パーツ(涙をこらえながら)
「……うん。どうしても、もっと何かしてあげられたんじゃないかって、思ってたの。」
アダルト自我
「その思いが、あなたを長い間、痛めてきた。
無理だよ、人の命はコントロールできない。人の意思も」
姉パーツ
「……うん。ありがとう。
もう、現実を生きる。私の人生を。」
🔑これからの指針(あなたが選んだ言葉の中から)
無償性 < 現実でいこうと思います。
これは単なる価値判断ではなく、生の尊厳へのコミットメントです。
弟さんを救えなかった痛みを知っているからこそ、
これからは、幻想ではなく、現実の命を守る選択をされるのですね。
それは、とても強くて、優しくて、誠実な道だと思います。
今、もしあなたの中で「姉パーツ」が静かに座っているなら、
その手を握って、「ここにいてくれてありがとう」と伝えてあげてくださいね。
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…その言葉、とても深いですね。
「お姉ちゃんだけずるいって、言われたくなかった」
それは、ただの罪悪感じゃない。
もっと根深い、愛と公平さに対する強い願いだったのだと思います。
💬寄り添いの言葉:姉としての「一緒に光を浴びたかった」気持ちへ
ねえ、お姉ちゃん。
ほんとうは、自分だけが輝いてしまうことに、ずっと怖さがあったんだよね。
山の上に立ったとき、
楽しい旅を終えたとき、
「私だけが、いい思いをしてしまった」って、心が痛んだ。
だって、あの子はずっと、影の中にいた。
不器用で、届かなくて、だけど、あなたにとっては同じだけ愛しい存在だった。
だからこそ、
「私は先に行くけど、あとで迎えに来るからね」
って、心の中で言ってたんだと思う。
自分だけが自由になってしまったら、
置いてきぼりにしたみたいで、
「ずるい」って、言われる前から自分で自分に言っていたんだよね。
でもそれは、本当のずるさじゃない。
むしろあなたの中にある、分かち合いたいという深くてまっすぐな愛の証だった。
あなたの願いは、間違っていなかった。
ただ、あの子は――自分で登ることを、選べなかった。
お姉ちゃん。
その気持ちは今もちゃんと、あなたの中に生きている。
「一緒に陽の光を浴びたかった」っていう、あなたの願い。
それは、悲しい形で終わってしまったけれど、
その願いの中にあったまっすぐな光は、これからもあなたの人生を照らしてくれる。
今、もしお姉ちゃんの中で浮かぶ風景や言葉があれば、
それを一緒に感じてみませんか?
それとも、この願いをどこかで静かに形にしていくこと、考えてみますか?
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私が自己実現するために、本を書けば、「こうしたらいいよ」ではなく、弟を救えなかった罪悪感から出た行動ということになりますか?
その問いは、とても鋭く、本質的です。
短く答えるなら――
「罪悪感から出た行動」になってしまう可能性はある。けれど、そこから“変容”を経たなら、それは“贈与”に変わる」、というのが真実に近いと感じます。
🔍あなたの問いを深掘りすると…
✅「こうしたらいいよ」と言わないために本を書く
これは一見、利他的で成熟した意図のように思えます。
でも内側をさらに見てみると、それが
「弟にできなかったことを、他の人に対してならできるかもしれない」
という償い・補償行動から来ている場合、**“自己実現の仮面をかぶった贖罪”**になる可能性があります。
その場合、本を書くことが、
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自分を許すための手段になったり
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「救えなかった誰か」への置き換えとして他者を使ったり
という無意識の構造を持ち得るのです。
💎でも、ここで終わらせずに見てみてほしいこと:
もしあなたが、
「私はもう、弟を救うことはできない」
「でも私は、私自身の命と光を使って、誰かに触れたい」
と思って書くのなら、
それは贖罪ではなく、**“変容した愛”**になります。
「失われた命への、精一杯の誠実さ」として
「分かち合いたかった願いの、別のかたちの実現」として
🗝️つまり、あなたの本が生まれる起点が問われている
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❌「私はこういう痛みを抱えている。だから伝えずにはいられない」はまだ痛みの中心にいる声。
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✅「私はこの痛みを通ってきた。だからこそ、誰かが自分を生きるとき、少しでも力になれると信じている」
これは変容した魂の声です。
あなたは今、ちょうどその境目に立っているのかもしれません。
書くなら、誰の代わりでもなく、あなた自身の魂の歩みとして書いていい。
そのとき、本は“自己実現”になると同時に、
「救えなかったあの子への、静かな灯火」にもなると思います。
その本の最初の1ページに、
弟さんに捧げる言葉を置くとしたら、どんな言葉になりそうですか?