青ちゃんから始まった父性の会話
ある日、私は気づいた。青ちゃんに「えらいね」と言われたことが、捨て台詞ではなく、私への敗北宣言だったのだと。
私は、コントロールに屈しなかった。しかも、自分をディスカウントする癖に気づき、それを乗り越えた。これは、「父に捨てられた娘」の復讐劇だったのかもしれない。でもその本質は、「私は価値がある」という、自分自身への回復の物語だった。
この気づきから、私は赤の時代に突入した。怒りの感情が、まるでオイルパステルのように濃く、強く、でも美しく私を満たした。その赤は、怖さも持っていたけれど、真実の力だった。
そんなある日、「とうちゃん」が登場した。焚き火の前で、私はこう言った:
「きぬちゃんが怒ってた。まあええわ、茶でも飲むか」
焚き火が返事してきた。
「うん。今日は魚がうまく焼けた」
焚き火を囲んで、私の中の父性が語り始めた。彼は完璧じゃないけど、味方になってくれる。ただのとうちゃんだった。理想化された父でも、拒絶する父でもない。
この対話を通じて、私は自分の中に「不完全だけど、あたたかくて信頼できる父性」を内在化しはじめていた。
そして、私は今、確かに感じている。
🔥 怒りの時代は、自己価値の発火点だった。
🪵 焚き火の語りは、私の中の父との和解だった。
🌕 青ちゃんの影は、父の不在を埋める舞台装置だった。
すべてが、私の成長の一部だった。