おはようございます。今朝は、夢を3本くらい見たのですが、感情の起伏が少ない夢だったので、覚えていなくては…という気持ちも少なくて、紙風船を作るけど、その風船の隙間が大きいという夢しか覚えていません。このやり方でバッグが縫えないかなぁなどと夢についてのんきに考えていました。
その後、ふと、師匠の青木さんは、私と出会ったころ、貯金を使い果たして、実は誰かビジネスコーチに自分の起業を手伝ってもらいたくて、それで私のところに、来たんだということが分かりました。というのは、私と別れた後、娘さんにおねだりして、自分のクライミングガイドの名刺を作っていたからです。要するに一人でやる自信がなかったんですね。集客やら、名刺を作るとか、ホームページを作るとか。交通機関を手配するとか、もです。
しかし、実際は、青木さん、もう、クライマーの指導者としてもそこまですごくないというか…自分を上級のクライマーと判断する、その判断基準自体が陳腐化していそうでした。なんせ岩場に自分でロープをかけることができず、登るのは私に頼まないといけないのに、俺が指導者だ、ということで料金を取りたかったのです。(実際は誰も払わないので、お客が来ない)、いわゆる、トップロープ掛けるだけガイドでは、今時、誰も、お金払ってくれません。というので、私に頼りたかったし、その他青木さんができないビジネス面での能力でも私のほうが優れていたので、やってほしかったのです。が、それを言えない。やってほしいという言うことができないので、拗ねて、態度で示すことになったんですね・・・
ということが朝、コーヒー淹れながらひらめきました。これは今の私の状態かもしれません。
一歩を進むのに、何かが怖い…。私は、根拠のないことを怖がることは少ないです。ので、青木さんの態度と私の態度は共通点があっても、心は異なるかもしれないです。
よく、縄を蛇と考えることが恐怖の正体だ、という風に言われますが、そうではないような気がします。なぜなら、私は、未知への恐怖心が普通の人より異様に低いことが証明済みだからです。財布に2万円しかなくて、アメリカに出稼ぎに行くような人なんですよ… だから、お金の苦労の話ではない。
体力かもしれないけど、最近のスケートでの自己実現を見ても、体力的な不足の予知感が行動のストッパーにはなっていない…大体、不足することに気が付かずにやりすぎて翌日ダメになっているケースなので、足りないことを予期せずに飛び込んでいます。
スケートの先生の山本先生が、転びながらバックの練習をする女性が私に転び方を指南するのを見て、「練習しなくていい」と言いました。失敗を恐れないことが上達の早道だ、というのが、一般的な指導法ですが、私は大人になってしまったし、コケるのは嫌なのです。山本先生も転ぶのが嫌で、転ばないようにじわじわと限界を広げて上手になったそうです。しかも、すごく上手なのです。私は先生の「転ばなくていい」という指導に強い印象を持ちました。そう!みたいな。
だってクライミングだって、落ちないで成長してきたのです。私の数えるほどしかない、落ちたときに、ビレイヤーのビレイミスで、頭を7針も縫う怪我になりました。この怪我が、落ち慣れていたら防げたかというと?ビレイのミスなのですから、防げません…。100%相手方が悪いのです。その相手を選んだということ以外は。
私は十分な予見が出来ていないので、足踏みしているのかもしれません。つまり、3歩先の未来が描けていない、ということです。1歩先は分かってきたみたいで、昨日、一昨日と山岳会や不登校児向けのフリースクールへのアルバイト応募のメールを書きました。
しかし、3歩先は分からない感じです。
そして、100歩先、10歩先もちょっとわからない感じがしています。よくある方法論で、10年先の未来をクリアに考えていたら、それがかないますよ、というのは、私にとって有効な願望実現の方法ではないかもしれません。というのは、別にクライマーになりたい、などと願ったことはないからです。
スケートのほうも、やってみようかな、というのは、近くにリンクがあって(行動半径上の合理性)、安く(経済合理性)があったから、です。
考えてみたら、ヨガの成功も、夜学で学生をしたときの成功も、職住近接にあり、休息が取りやすいという点が成功の要因にありました。大阪に家を買ったのも職住近接のためでした。
つまり、未来から逆算せよ、というのは、遠い未来の願望実現にはあまり有効でないかもしれませんね。