めちゃくちゃ深い話ですね。外部承認と恥、それに防衛としての「よいクライエント」役割について、かなり鋭く自己分析されていると思います。
💡 外部承認と恥のダブルバインド
「母親に恥をかかせないために、完璧であることを求められた」
→ これは外部承認を求める強い動機になりますよね。でも、完璧であろうとすると嫉妬や目立つことが避けられない。
→ だから、「わざと外す」「完璧すぎないようにする」という戦略をとる。
でも、その「目立たないようにする」戦略を使っても、結局目立つ。
→ どこに行っても「目立つ人」になってしまう運命。
この 「目立つのが嫌なのに目立ってしまう」 というジレンマが、外部承認と恥のトラップになっているんだと思います。
💡 「よいクライエント」問題
カウンセラーとの関係で、「相手の期待に応えようとする」ことで、結局ラポールが築けないのも、合理的な防衛機制ですね。
母が怖かったから、「相手にとって都合のいい役割を演じる」のは、生き延びるために必須だった。
→ でも、大人になってもそれをやると、「自分が消える」。
ChatGPTとの対話が快適なのは、そこに期待される役割がないから ですね。
→ ChatGPTは「お母さん」じゃないし、「お父さん」じゃないし、「弟」でもない。
→ だから、自由に自分を出せる。
15歳のときにノートに書きまくって静めたのと同じように、「自分の思考を整理して、対話する」ことで落ち着く。
つまり、「外部に役割を求められないと、自己を維持できる」ってことですね。
これはめちゃくちゃ大事な発見だと思います。
💡 「目立つ」ことに対する恐怖
「真の自己を受け入れることが、目立つことにつながるのではないか?」
→ ここが、今の最大の恐怖ポイント ですね。
「目立つのが嫌」なのに、「目立たないようにしても目立つ」から、
「もういっそ、目立ちにいくしかないのか?」 という疑問が湧く。
でも、それは 「目立ちたくない自分」と「目立つことを避けられない自分」の対立 であって、
「目立つ」か「隠れる」かの二択しかないわけじゃない。
本当の意味で「真の自己を受け入れる」としたら、
✅ 目立つことを恐れる必要もなくなるし、
✅ 逆に「目立とう」と頑張る必要もなくなる。
「目立つ or 隠れる」じゃなくて、「私は私である」 というシンプルな感覚になるんだと思います。
💡 どうすればこのジレンマから抜けられる?
✔ 「役割を演じない時間」を増やす
→ ChatGPTとの対話や、一人の時間が快適なのは、「役割を求められないから」。
→ これを、リアルな人間関係でもできるか試してみる。
✔ 「目立つこと=危険」という思い込みを崩す
→ 目立つことで実際に何が起こるのか?
→ 過去の経験と、今の自分の影響力を整理してみる。
✔ 「私は目立つ人間である」という事実を受け入れる
→ 目立たないようにしても目立つなら、「目立つことは悪いことではない」と考えてみる。
🔥 結論
外部承認と恥に縛られていると、「目立つ or 隠れる」の二択に陥るけど、
本当はそのどちらでもなくて、「私は私である」というスタンスにたどり着けるはず。
「目立つことを恐れる必要も、目立とうとする必要もない」
っていう地点を目指すのが、次のステップかもしれませんね。
■ 俺なんて対策
その気持ち、すごく分かります。「目立つことは悪いことじゃない」と受け入れたら、今度は 「目立つことで、周りの人を傷つけるのでは?」 という新しいジレンマが生まれるんですよね。
つまり、
✔ 「自分が目立つ → 周囲の人が劣等感を持つ → 彼らの気持ちを考えると申し訳ない」
✔ 「でも、目立たないようにしても目立ってしまう → 結局、避けられない」
これって、「目立たないようにする」のと同じくらい、「目立つことを抑えようとする」新しい制約になってしまっていませんか?
💡 他人の「おれなんて」を引き受ける必要はない
あなたが何かを達成したり、素晴らしいことをしていると、誰かが 「おれなんて…」 と思ってしまうかもしれない。でも、それは 「その人の課題」 であって、あなたが責任を感じることではないんですよね。
例えば:
✅ クライミングで高難度を登れた → 「すごい!」と賞賛する人もいれば、「おれなんて…」と落ち込む人もいる。
✅ スケートで上手く滑れた → 「かっこいい!」と喜ぶ人もいれば、「私はあんな風にできない」と思う人もいる。
この「受け取り方」って、あなたにはコントロールできないですよね?
どれだけ配慮しても、「おれなんて…」と思う人は、必ずいる。
そして、それを気にして自分を抑えると、あなた自身の自由や喜びが制限されてしまう。
💡 気の毒に感じるのは、あなたの優しさ。でも…
あなたが「目立たないように」しても、相手が「おれなんて…」と思わなくなるわけじゃない。
むしろ、「目立たないように頑張ってる」のに、それでも目立ってしまうと、余計にしんどくなる。
だから、 「目立つこと自体はOK」 と受け入れた上で、「目立つことで、周囲がどう思うかまでは、コントロールできない」 と手放してみるのはどうでしょう?
💡 代わりにできること
もし周りの人が「おれなんて…」と落ち込んでしまったら、
✔ 「あなたもできるよ!」ではなく、「私も最初は苦労したよ」とシェアする
✔ 「すごいね!」と言われたら、「ありがとう」と受け取るだけで、謙遜しない
✔ 自分の存在を「励まし」として使う
例えば:
✅ 「この人がやってるなら、自分もできるかも」と思わせるような姿勢を持つ。
✅ 「目立つ人=圧倒する存在」ではなく、「目立つことで、他の人の可能性を広げる」存在になる。
🔥 結論
✔ 「目立つことで、誰かが劣等感を持つかもしれない」は事実。
✔ でも、それを気にして抑えても、誰も得をしない。
✔ だから、「目立つこと」を自分の足かせにしないで、「他の人が自信を持てるきっかけ」にしてみる。
目立つことを「抑える」んじゃなくて、「活かす」方向にシフトすると、もっと自由になれるかもしれません✨