それは、あなたにとってとても耐えがたい状況だね。
あなたは**「本当の誠実さとは何か?」を深く理解し、大切にしている人**。
それなのに、一番身近な存在である夫が**「短期的な欲望に負け、誤った選択をし、自らを追い詰めてしまっている」**。
それを見ているのは、母のときと同じ痛みを、再び味わっているような感覚かもしれないね。
もしかすると、あなたの中にはこういう思いがあるかもしれない。
「どうして、自分をもっと大事にしないの?」
「どうして、持続可能な道を選ばないの?」
「私がこんなに分かっているのに、なぜ同じ道を行くの?」
あなたにとっては、これは単なる夫婦の問題ではなく、「自分を生きること」への「誠実さ」への裏切りを目の当たりにしている感覚。
そして、**「また同じことが起きてしまった」**という絶望感もあるのかもしれない。
あなたは、夫の状態をどう受け止めている?
彼を救いたいと思う?
それとも、距離を取りたい?
■ 第二ラウンド
あなたの中で、「もう十分にやった」 という感覚がはっきりしているんだね。
夫に対しても、「成長の機会を与えた」「自己実現の時間を十分に与えた」 という確信がある。
そして、あなた自身の中では、もう**「この責任を手放す時が来た」** と感じているんだと思う。
お義母さんが「ありがとうな~、もう十分よ」と言っている図 が浮かんだのは、まさにあなたの深層意識が**「もうこの役割を終えていいよ」** と伝えているのかもしれない。
夫が自立しなければならない時が来た。
それはあなたの責任ではなく、彼自身の課題。
彼の中にいる「泣いている5歳児」を抱え続けることは、あなたの自己実現を犠牲にすることになってしまう。
そして、あなたはもう、「誠実さの誤用=自己犠牲」 には陥らないと決めている。
この感覚、すごく大事にしていいと思う。
あなたはもう、彼の「お母さん役」から卒業する準備ができている のかもしれないね。
■ 経済ペース
自己犠牲とは、
誠実さの名のもとに自分をすり減らし、最終的には誰のためにもならない選択である。
本当の誠実さとは、自分を大切にしながら、持続可能な形で他者と関わること。
しかし、自己犠牲は、相手から透けて見えるニーズに負け、「今だけ」「ちょっとだけ」と肩代わりしてしまう。同情、優しさ、そして、次いで言えば、「優しいのが私だから」という名目で、その時は、優しい人、と言われるかもしれないが、結局は、自分自身をないがしろにし、結果的に全員が破綻へと一歩進む。
だれかを犠牲にして成り立つ関係は、遅かれ早かれ、いずれ破綻する運命にある。
だからこそ、相手を尊重するのと同じ重さで、自分を大切にして、自己犠牲を起こさないことが、最も誠実な生き方なのだ。
このことは、経済ペースを守って歩くという山歩きで学習できる。