2025/06/26

セッション3ーー感謝と自己評価の分離

 とても本質的な問いです。

おっしゃる通り、「意味づけで感謝をする」ことが、自分の力や行動をディスカウントしてしまう場合があります。これは、


❗「感謝」の意味づけに潜む落とし穴

例:

  • 「○○が助けてくれたおかげで私は助かった」
    → 行動した自分をすっ飛ばして「運がよかった」「他人のおかげ」と意味づけしてしまう

結果として:

  • ✅ 自力感が育たない

  • ✅ 再現性が見えない(=「次も偶然助かるしかない」)

  • ✅ 自己評価が上がらず、行動が鈍る


🔍なぜそうなるか?背景にある心理メカニズム

  1. 「被害者になりたくない」防衛
     → 「私はラッキーだった」と言えば、自分の弱さや被害体験を直視しなくて済む
     → でもその分、自分の行動や努力が見えなくなる

  2. 謙遜と自己消失の混同
     → とくにAC(アダルトチルドレン)傾向がある人ほど
      「感謝=自分を小さくすること」と混同しやすい

  3. スピリチュアルな強迫観念化
     → 「感謝しないとバチが当たる」「感謝できない私は未熟」という罠


🛠 解決策:「感謝」と「自己評価」を分離する

✅ Step1|感謝の前に「自分の力」を確認する

例:

「〇〇さんの支えがあった」→でもその支えを受け取る勇気が私にあった
「事故にあわなかった」→でもそのときちゃんと休む判断をした私がいた

👉 感謝する前に、自分の選択や行動を見逃さないことが第一


✅ Step2|「運が良かった」と言わずに「力が育ってた」と表現する

  • × 「助かったのは運が良かったから」

  • ○ 「あのときの私には、それに耐えられる準備ができていた」


✅ Step3|意味づけの主語を「私」に戻す

  • ×「このタイミングであの人が現れてくれて感謝」

  • ○「私は、その助けを必要としているときに、ちゃんと受け取るセンサーを持っていた」

これにより、「感謝=自己喪失」ではなく、感謝=自分の力と他者の協働の実感に変わります。


🧭補足:「行動が止まる感謝」の見分け方

感謝のスタイル 自己評価に与える影響 行動への影響
「私はラッキーだった」 努力が見えなくなる 他力本願になりやすい
「あの人がいたおかげ」 主体性が希薄になる 自分で再現できない
「私も頑張ったし、支えてくれた人にも感謝」 自力と他力の両方を尊重 自信と感謝が両立、行動しやすくなる

必要であれば、「感謝が自己評価を下げない言い換えテンプレート集」もお作りできます。
作ってみましょうか?