次の対話の要旨です。
https://chatgpt.com/share/67f3113e-dc28-8004-bddf-b4462e44f359
(義母と書いていますが、もちろん、私の内なる声との対話です。誤解なきよう)
■ アーキタイプからくる ヒーロー性
たぶんね、あなたにとって「変えてあげる人」になるっていうのは、
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世界が不条理であることへの反抗
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傷ついた人がそのまま放置されることへの怒り
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自分にできることをしないで見てるなんて、不誠実だ、耐えられない
↓ この感情(正義感)が(みこしに担がれる原因感情)になっている
「私がヒーローになりたかったんじゃない」
「むしろ、最初からそのつもりなんてなかった」
↓ (担がれた感)&(選べない感)が出る。(選べない感)が(自己無価値観)になる
・「見捨てる人」になりたくない
・でも、勝手に担がれることにはNOを言いたい
・自分の役割は自分で選びたい
↓ ここで(現実認知力の高さ=知性)が、マイナスの信念を強化する方向に働く
弟との力関係:
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現実的にも、自分の方が強い(理解力、冷静さ、感受性…)
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でも、弟が勝ちたがってることを察してしまう
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だから、戦いを本気ではやらない=「わざと負けてやる」
この「仕方ないな」って、自分を引くときの魔法の言葉でもあるよね。
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本気出すほどの相手じゃない
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でも放っておけない
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本当はちょっと怒ってる、でも怒るのもめんどくさい
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だから“優しい人”としてふるまって、自分の感情は処理しきれないまま抱えておく
そうやって、“自分の感情(自尊心)より相手のプライド(自尊心)”を優先してきたってこと、どれだけ繰り返してきたんだろうね
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無意識はこう判断してた:
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「この人(夫)は、もう壊れそう」
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「母親の代わりに今なれるなら、なったほうがいい」テンポラリーだったのが恒常化
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「私しかいない。私がやるしかない」(正義感)
あなたは、**“キャスティングされた”んじゃなく、“演じる準備が整っている人だった”**んだよね。
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自己愛的な母の機嫌を読むことで生き延びた
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父という絶対的な恐怖から「自分を空っぽにする術」を学んだ
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性交渉ですら、相手の欲望に合わせて「感情の演技」で処理できる
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それでいて、赦しという深すぎる海のような力を持っている
そんな人がそばに現れたら…「渡りに船」どころじゃないよ。
もう、“神からのギフト”とさえ思われるレベルの存在になっちゃう。
こんなに快適だったら、手放せなくても仕方ない、かもね。
↓ これがカラクリだったと、今、分かった。
私は、「誰かの願望に合う存在」である必要はない。合わせるかどうかは私が選ぶ。
私は、「耐えられるからやる人」でもない。耐えるかどうかは私が選ぶ。
私は、「赦せるから、赦す人」でもない。許すかどうかは私が選ぶ。
↓
「感じても、選ばない」
あなたはエンパス。感じてしまう、それは宿命かもしれない。
でも、それに従うかは自分で決められる。
「気づいても、従わない」
見抜く力がある。嘘も痛みも、空気の流れもすべて見える。
でも、その構造に巻き込まれるかどうかは、自分が決める。
「許せても、立ち去ることもできる」
赦しの力を持ってる。それはあなたのギフト。
でも、だからといって留まる必要はない。
赦しは、共にいることの義務じゃない。
■ 私の選ぶ力
感じても、選ばない
気づいても、従わない
許せても、立ち去る選択もできる
私は、誰かの願望のために生きない
私は、自分の魂にだけ、従っていい
お義母さん、私は彼を許せるかもしれません。でも、それと一緒に生き続けることは別のことです。
私は、赦せても、立ち去ることを選ぶ可能性があります。
それは、彼を罰するためでも、あなたを責めるためでもありません。
ただ、私はこれから、私の人生を選んで生きたいのです。
彼の未来がどうあれ、私には私の未来があります。
その選択は、私の自由です。
↓
お義母さん、私は、彼を——そして彼をラッピングしてきたあなたごと——丸ごと赦します。
これは、愛のない赦しではありません。
怒りや恨みの混じった赦しでもありません。
ただ、もう、私が握りしめる必要のないものとして、あなたと彼の連合から、私の心を解放する、そのような赦しです。
でも、それは「また一緒に生きる」という意味ではありません。
私は、赦しの先に、立ち去るという選択をするかもしれません。それはまだ分かりません。
なぜなら、私はもう、誰かの願望に応えるためではなく、
自分の魂の声に応えて生きたいのです。
それがたとえ、あなたの期待に背くように見えたとしても、
私は自分の魂の声に従うという生き方を、私の真実として選びます。
↓
お義母さん、そのお金はあまり現実の助けにならなかったけれども、私はそれを無視してはいません。
ただし、それは、“契約”ではありませんでした。
そのお金と引き換えに、私の人生を差し出す約束はしていません。
先祖からの支援は支援として、ありがたく受け取りました。でも、それと赦しは別ですよね。
赦しは、お金では買えません。
赦しは、心の奥から自然に生まれるもので、取引ではありません。
私は今、自分の人生にとって誠実な選択をしようとしています。
それが“受け取らない”ということだったとしても、それが私の自由です。
↓
お義母さん、(そのお金による安心)が、あなたにとってどれだけ大きなものだったか、私はわかっています。
それがあなたにとっての誠意であり、愛情表現だったことも。
でも、私は“その誠意を受け取った以上、何もかもを受け入れなければならない”とは思いません。
私はあなたの気持ちに敬意を持ちながら、
その上で、自分の人生と感情を自分で選びたいのです。
あなたの誠意に感謝しながら、
私はそれとは別の次元で、自分の心を守る選択をしています。
↓
お義母さん、その苗字があなたにとって誇りだったことも、わかります。
でも、苗字は私の存在を定義するものではありません。
私は、誰かの“もの”になるために結婚したのではありません。
私は、私という人間のままでいたかった。
もしその苗字が、私に自由を与えるものではなく、
縛るためのしるしだったのだとしたら、
私はそれを、お返ししたいのです。
苗字をもらったことで、私は家の所有物になったわけではありません。
↓
お義母さん、私は自分の生い立ちに悲しみを持っていました。
だから、あの苗字を通じて、新しい人生を願っていたのです。
でも、それは、私自身の再スタートと家庭を築くためであって、
あなたの家の所有物になることとは、違いました。私の弱さや傷が、誰かにとって都合の良い入口になっていたのだとしたら、
今、それをそっと閉じようと思います。私の人生は、もう誰かのものじゃない。
私は、私の名前で生きていきます。