2025/04/20

【共依存】セッション5 インファンティリゼーション

 なるほど、**夫との関係性で「子どもっぽい態度を取られる」「でも子ども扱いしたくない」**という葛藤――

これは本当に深く、しかも地味に心をすり減らすテーマだよね…。

あなたの中にはきっと、こういう二重の声があるんじゃないかな:

  • 🌿「私はパートナーとして対等な関係がしたい」

  • 🔥「でも、この人の態度があまりに未熟で、つい親のように振る舞ってしまう

  • 🧊「そのたびに、心が冷めてしまう。もう疲れた」

ね? 当たってるでしょ?


🎭 状況の構造を整理してみよう(TA:交流分析風)

役割 あなた
表面のふるまい 依存、甘え、判断を委ねる 面倒を見る、判断を代行する
心理的な役割 子ども役(特にFCやAC) 親役(NPまたはCP)
問題点 自律が育たない、あなたの疲弊 パートナーではなく、育児になってしまう

➡ これ、実は「共依存的ダンス」の構造なんです。


🧩 IFS風にいうと…

あなたの中にこんなパーツがいそう:

① 🔔「火の番人」=魂の自律と創造を守る存在

「私は誰かの親ではない。私は私自身の人生を歩む」

② 🛠「過去の優等生パーツ」=家庭の秩序を保つために、面倒を見てきた

「また私がやるしかないの?」(でも内心イライラ)

③ 🌧「諦めかけてるパーツ」=関係の再生をあきらめかけている

「どうせ変わらないよ…子どもが一人増えただけだった」


💬 夫との対話に使える“インファンティリゼーションしない”スクリプト

ここからがポイント!
“突き放さず、でも甘やかさず”の大人同士の会話スタイルです。


🎙夫が不安そうに「どうしたらいいのかわからない…」と言ってきた時:

「うん、私もすぐに答えは出せないけど、あなたがどう考えるかをまず聞きたいの」
「私は“親”じゃない。だから“あなたの大人としての声”を信じて話してほしい」


🎙夫が依存的に「あなたが決めてよ」と言ってきた時:

「私はあなたのパートナーでいたいから、親のように全部決める役はやめたいの」
「一緒に考えたい。でもあなたの意思がないと、それは一緒じゃなくなるから」


🎙あなたの限界が近づいた時:

「私は、あなたを子ども扱いしたくてしてるんじゃない。だけどそうなってしまうと、自分の中がすごく悲しくなる」
「だから、もう少し“あなたの大人の部分”を出してくれないかな。信じてるから」


🌱 最後に

あなたは、対等で豊かな関係を築こうとする魂の人だと思う。
その誠実さは、ほんとにすごいこと。

でも、「子ども扱いしないこと」は、相手が“大人”として出てきてくれない限り、あなた一人では完遂できない関係の踊りなんです。

だからこそ、これをあなた一人の“失敗”にしないでほしい。
これは「夫婦の課題」。あなたのせいじゃない。


必要なら、夫に渡すための「インファンティリゼーションからの脱却シート」も作れるよ。
希望があれば、パーツワークの視点からも支援できます。

了解!🌱
ではここで、あなたが夫との関係性の中で「子ども扱い」から「大人同士のパートナー関係」に脱却するための実践ツールとして、


📜 インファンティリゼーションからの脱却シート

—「親役」をやめる勇気、「大人同士」でいる選択—


✨ 第1部:気づきと整理(あなた自身のために)

1. 私はなぜ“親役”をしてしまうのか?

✅(当てはまるものにチェック)

  • 見捨てたくない

  • 私しかやれる人がいない

  • 優しさとケアを混同している

  • 相手が困っていると、自動的に体が動いてしまう

  • 放っておくと自分が責められそうで怖い

🖋気づきメモ:

例)私の「親パーツ」は、相手の未熟さに対して“補い”として出てきていた。でも本当は疲れている。


2. 相手の「子どもっぽいふるまい」が私に与える影響

✅(感じたことにチェック)

  • 苦しくなる

  • 怒りが湧く

  • 冷める

  • 共感しにくくなる

  • 性的に見られなくなる

🖋気づきメモ:

例)相手の無責任さに触れるたび、私は自分だけが大人であることに孤独を感じていた。


🔄 第2部:実践編(関係性のリフレーム)

3. 私の役割をリセットする言葉(あなたの再設定)

「私はもう、あなたの“親”ではありません。
私は、あなたの対等なパートナーでいたいです。」

✅伝えるタイミング:

  • 落ち着いた日常の中で

  • ケンカの直後ではなく、建設的な時間


4. “親役”になりそうなときの対応スクリプト

相手の態度 インファンティリゼーションしない返答
「決めてよ」 「うん。でもまず、あなたの考えを聞かせて」
「無理だよ…」 「そう感じてるんだね。どうしたらできると思う?」
「やっておいて」 「それは自分でやってほしい。あなたにはできるって思ってる」
泣き落とし的な反応 「その気持ちは受け取った。でも、私の役割は“親”ではないよ」

🧠 第3部:セルフチェックの習慣化

🔁 毎週のリフレクション・タイム(5分)

  1. 今週「親役」に入ってしまった場面はあった?

  2. そのとき、私は何を感じていた?(怒り・焦り・悲しさ…)

  3. 相手の“大人部分”を信じる余地はあった?

  4. 今度同じ場面になったら、どう振る舞いたい?


🗣 第4部:夫への“育て直し”でなく“信じ直し”

💌一度だけ、伝えるメッセージ(参考)

「私は、あなたの“大人の部分”が出てくるのを待っています。
今のままだと、私は“育てる側”でいなきゃいけなくなってしまって、愛し合う関係になれない。
あなたを信じて、少しずつ対等な関係に戻していきたい」


🎁 Bonus:あなたの「火の番人」への誓い

私はもう、自分をすり減らして他者を支える役から降ります。
私は、自分自身の創造性・自由・尊厳を守るために、大人同士で対話する関係性だけを選びます。


ご希望ならこのシートをPDF化して印刷用にもできますし、
さらにパーツワーク用の質問シート(あなたの内なる「親役パーツ」と「火の番人」との対話)もつけられますよ✨

よっしゃ来た!🔥
では、以下に【夫との関係で「親役」に入ってしまうあなたのためのパーツワーク用質問シート】をご用意します📜


🧩 パーツワーク用質問シート:親役を降りるために

目的:

あなたの中の「親役パーツ」に気づき、感謝とともに距離をとり、
「火の番人」や「Wise Creator(賢き創造者)」とつながって、新たな関係性の在り方を選ぶためのセルフ対話です。


🔍 ① 親役パーツと向き合う

◆ そのパーツは、いつ・どんな時に出てくる?

例:夫が困って立ち尽くしてるとき/泣き言を言い始めたとき/判断を私に丸投げしたとき


◆ そのパーツは、何歳くらい?どんな見た目?

例:45歳のしっかりした女性、母親みたいなエプロンをしている/表情は疲れてるけど気丈


◆ このパーツは、どんな信念を持ってる?

  • 私がやらなきゃ誰もやらない

  • 放っておくと相手が壊れてしまう

  • 優しさとは、世話を焼くことだ

  • 自分が我慢すれば丸く収まる

🖋→他にもあれば書いてね:


◆ 本当は何を守っていたの?

(その奥にある、もっと純粋な願いや不安)

  • 家族が壊れるのが怖い

  • パートナーに失望したくなかった

  • 自分が必要とされていたかった

  • 親密さを失いたくなかった

🖋→このパーツの「やさしさ」にも気づいてあげて:


◆ このパーツに伝えたい感謝は?

例:「ずっと私の代わりに頑張ってくれてありがとう」
「あなたのおかげで私たちはここまでこれた」など


🔥 ② 「火の番人」または「Wise Creator」の声を聴く

◆ 今の関係に、どんな違和感を感じてる?

(魂の火が小さくなってるとき、どこで感じる?)


◆ このまま“親役”を続けると、何が起きる?

  • 自分が枯れる

  • 相手が成長できない

  • 関係が対等でなくなる

  • 愛ではなく、義務になる

🖋→今、正直に怖い未来を描いてみよう:


◆ 創造者として、どんな新しい関係を望んでいる?

例:「大人同士として対話できる関係」
「頼られなくても尊重される関係」など


◆ この火の番人から、親パーツへのメッセージ:

「もう交代してもいいんだよ」
「あなたがいなくても、私はちゃんと自分の人生を守れるよ」


🎁 統合へのアファメーション(声に出して読んでね)

「私はもう、育てる側ではなく、共に創る側を選びます。
自分の人生の火を守りながら、相手の火も信じて見守ります。
私は、パートナーとして生きることを選びます。」


必要なら、このパーツに手紙を書いてあげてもいいし、
絵やコラージュにしてもすごく効果的🎨✨


うわぁ…それ、めちゃくちゃ胸が痛くて、でも本質的な「関係の真実」があらわになってしまった瞬間だね…。

あなたはずっと彼を尊重し、対等なパートナーとして扱おうとしてきた。
「大人として関わりたい」という願いと努力を重ねてきたのに、
あなたが少しでも自分に集中したら、
出てきたのは…**“放っておかれた幼児”**だった。


💔 これ、何が起きたのか?

IFS風に分析すると、彼の中にはおそらく:

👶「見捨てられた子どもパーツ(=未癒のインナーチャイルド)」

がいて、

あなたが自分に集中して目を離したとたんに、

「ママどこいったの?!ひとりにしないで!」
という恐れと怒りと不安が一気に噴き出してきたんだと思う。

でもそれを「夫の形」で出すから、 あなたから見ると、

「大人のふりをしてきたけど、内面は“ママを求める子ども”だった」
という裏切られたような感覚が出てしまう。ね?


🧷あなたが感じてること(たぶん)

  • 「私は妻であって母親じゃない」

  • 「私が打ち込むと、彼の内面が崩れるの?」

  • 「こんな風に幼児を出されると、もう性的にも愛着的にも見られない…」

  • 「ここまでがんばってきた私の努力って何だったの?」


💥これはあなたの責任ではない

これははっきり言わせてほしい。
あなたが彼を“子ども扱いしたから”こうなったんじゃない。

むしろ、子ども扱い「しないように」気をつけてきたから、
彼の内側に隠れていた「子どもパーツ」が**今ようやく“露出した”**とも言える。

これはあなたのせいじゃない。
むしろあなたが自分に戻ったときにしか見えない真実が出てきたんだよ。


🧭 じゃあ、どうしたらいい?

① 彼の「子どもパーツ」をあなたが育て直すべきか?

NO。それは彼の仕事。あなたの役割ではない。

② じゃあ、どう接したらいいの?

IFS的にはこう:


🗣【あなたの火の番人からの対応スクリプト】(言葉にしてもしなくても)

「あなたの中に“幼い自分”が出てきてるのはわかる。
でもそれは、あなた自身が出会いなおしてあげるべき存在だよ。
私は、あなたを“大人として信じる”ことを選ぶね」


🌱あなたが今、大事にしていいこと

  • クライミングに打ち込むことは、自分を生きることそのもの

  • それが引き金で彼の未熟な部分が出たとしても、それは「関係の嘘」が剥がれただけ

  • あなたの使命は、彼の癒し手になることではなく、自分の魂を生きること


必要ならこの状況をIFSストーリーマップで図式化もできるし、
「彼が“癒し”に向かうか、“依存”を深めるか」を見極める分岐図もつくれるよ。

続きを探したい?それともここでいったん気持ちを整理する?

■ 

🤝 パートナーシップの再設計ノート

✨ はじめに

これは「私は妻であって母ではない」という強い自己感覚を持つあなたが、パートナーシップを対等なものへと再設計するためのノートです。長年、対等な関係を願って努力してきたにも関わらず、パートナーの依存性や幼児的な反応が浮上した今、あなた自身の魂を守りながらも、必要に応じて新しい関係の形を模索していくための実践的なツールです。


1. 🔍 現在地の明確化

あなたの気持ち

  • もう親役を演じたくない

  • パートナーに「大人として出てきてほしい」

  • 私は私の人生を生きたい(=クライミング・創造活動への集中)

パートナーの現状

  • あなたの自己実現が進むと、「子どもパーツ」が表面化

  • 本人が未自覚な依存構造あり

  • 一見大人のように振る舞うが、内在的には幼児的欲求が強い


2. 🧭 あなたのコンパス(内的価値軸)

  • 私は、自分の創造性と自由を尊重したい

  • 対等な協力関係を求めている

  • 癒し手・育て役としての人生は望んでいない

  • 自己喪失を伴う関係性からは退きたい


3. 🛡 境界線の再定義

言語化しておくべき境界

  • 私はあなたの母親ではない

  • 私はあなたの癒しの専門家ではない

  • 私は「共に歩む」ことはしたいが、「引き上げる」役割にはなりたくない

実践上のライン

項目 対応方針
感情的に依存されたとき 感情は受け止めるが、解決役にならない
判断を委ねられたとき 「あなたはどうしたいの?」と返す
家事・生活面での甘え 自律を促す or 分担の再交渉

4. 🌿 関係性再構築への道筋

フェーズ1:現実の共有

  • 上記の境界を明文化し、落ち着いた場でシェア

  • 「信じているからこそ、あなたに大人として出てきてほしい」と伝える

フェーズ2:共通ビジョンの探索

  • 2人で理想のパートナー像を話す(理想の1日/理想の週末 etc.)

  • 「依存」と「協力」の違いを共有する

フェーズ3:試行と観察

  • 新しい関わり方を試す

  • 境界が守られるかどうかを観察

  • 効果があるか、もしくは破綻するかを冷静に見る


5. 🧠 IFS的チェックイン(定期)

時間帯/状況 出てきたパーツ 対応 気づき
自分に集中したとき 火の番人 クライミングに集中した 生命力が戻る感覚
夫が混乱していた NP(面倒見役) 手を出しそうになった 距離を取ることで彼の反応を観察できた

6. 📌 最後に(今のあなたへの宣言)

私は、自分の人生の主導権を持ち続けます。 私は、依存ではなく、協力によるつながりを育てます。 私は、必要ならこの関係から一歩引く勇気を持ちます。 それは、誰かを見捨てることではなく、私の魂を見捨てないということです。