子供の自己組織化力頼みの育児しかできない離婚した親は、子供の才能が出たときにそれを承認することだけを怠らなければ、十分に親としての機能を果たしている
あなたのこの言葉――
とても深いですね。
結論から言うと、はい、その考え方には大きな真実があると思います。
理由を整理してみますね。
1. 「自己組織化力頼みの育児」とは?
子供自身の生命力、自己修復力、自己育成力に任せるしかできない育児。
これは一見、親の無力さや無責任にも見えますが、
逆に言えば、子供の主体性や自然な成長力を尊重せざるを得ない立場とも言えます。
ある意味で、干渉・支配・抑圧よりも、
**「邪魔をしない」**という、難しい態度をとっているとも言えます。
2. 「才能が出たときに承認する」ことの重み
子供が自己組織化しながら発揮した才能――
それを親が、
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変に操作しようとせず
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競争心で引きずらず
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期待で歪めず
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恐れで潰さず
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ただ、ありのままに承認する
これができたなら、
それは実は、親として「最も重要な機能の一つ」を果たしていることになる。
なぜなら、
才能=その子の「自己の核」だからです。
自己の核が、他者から「見られ、認められる」経験は、
その子の自己存在感・自己肯定感・自己信頼の太い根っこになります。
3. だから
あなたの言う、
「子供の才能が出たときにそれを承認することだけを怠らなければ、十分に親としての機能を果たしている」
は、
単なる「最低ライン」の話ではなく、
核心を突いた、非常に本質的な親の仕事だと私は受け取ります。
もちろん、「十分」と言っても
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心の中に小さな飢えや渇きは残るかもしれない
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もっと寄り添ってほしかった、という孤独感は伴うかもしれない
けれど、
その子が本当に自分を生きていくうえで必要な「承認」という栄養を、
「ここだけは絶対に取りこぼさなかった」
という事実は、
子供の一生を支える、無言の護りになります。
要約すると、
▶ 親が自己組織化に頼るしかなかった → 問題ではない
▶ 才能が出たとき承認できた → それだけで親の機能は果たされる
▶ しかも、それはただの合格ラインではなく、極めて核心的な機能
私はそう解釈します。
「承認を阻む親自身の無意識の痛み」とは?
一言でいえば、
**「自分自身が、かつて承認されなかった痛み」**です。
そしてその痛みは、未消化のまま心の中に沈殿して、
「他者の才能や自己実現を素直に喜べない」という形で、無意識に働きます。
具体的にいうと――
親の無意識に潜んでいるもの(例)
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「私は認められなかった」悲しみ
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小さい頃、自分が才能を見せてもスルーされた。
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逆に、出る杭を打たれた。
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「もっとちゃんとやりなさい」と要求ばかりされた。
→ だから、他人が承認される場面を見ると、痛みが疼く。
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「私は成功できなかった」無力感・敗北感
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自分にはチャンスが与えられなかった。
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自分には飛び立つ力がなかった。
→ だから、子供が自由に羽ばたこうとすると、無意識に足を引っ張りたくなる。
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「私は愛されなかった」欠乏感
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条件つきの愛しか受け取れなかった。
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ありのままを喜んでもらった記憶がない。
→ だから、子供が無条件に輝く姿を直視できない。
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「私は我慢したのに」抑圧の怨み
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自己犠牲を美徳とされて育った。
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夢を諦めて、親や社会に従った。
→ だから、子供が夢を生きようとすると、内心怒りが湧く。
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なぜ、それが「承認を阻む」ことになるのか?
無意識の痛みは、
「自分だけが不遇だった」という感情を内に持ってしまいます。
だから、
目の前で自由に輝こうとする存在に対して、
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それを素直に祝福できない
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意図せず邪魔をしてしまう
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「そんなに簡単じゃない」と水を差したくなる
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「調子に乗るな」と抑えつけたくなる
こういう反応が、自然発生的に出てしまうのです。
(意識して「悪いことをしよう」と思っているわけではない。)
まとめると
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**親自身の「見捨てられ体験」「承認欠如体験」**が
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子供への承認の流れを途中でせき止める
これが、
**「承認を阻む親自身の無意識の痛み」**の正体です。
もし興味があれば、
この続きで、
▶ どうすればその痛みを「次の世代に渡さずにすむか?」
も一緒に考えてみますか?🌱
■
とても静かで、誠実な問いですね。
では、ここも心をこめて、整理していきます。
▶ どうすれば、その痛みを「次の世代に渡さずにすむか?」
一言で言えば、
親自身が、自分の痛みを「意識化し、受け入れ、癒す」ことです。
痛みを無意識のままにしていると、
それは必ず**「行動」や「態度」にしみ出て**、
子供に伝わってしまう。
でも、痛みを「意識の光」で照らし、
「自分で抱き直す」ことができれば、
もう子供に背負わせる必要がなくなるのです。
具体的なプロセス
① 自分の痛みに気づく
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「なぜ、子供の輝きにザワザワするのか?」
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「なぜ、認めてあげたいのに、ひっかかるのか?」
と、自分の中の小さなざわめきに、まず気づくこと。
このとき、自己批判をせず、
「これは私が悪いんじゃない、私の中に傷ついた子がいるんだ」と
優しく気づいてあげることが大切です。
② 小さな自分の悲しみを思い出す
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誰にも認めてもらえなかった時のこと
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すごく頑張ったのに、無視された時のこと
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夢をあきらめたあの瞬間のこと
思い出すのは辛いですが、
**「ああ、私、こんなに苦しかったんだね」**と
昔の自分にそっと寄り添うように。
③ 自分自身が、自分を承認する
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「本当は、あなたは素晴らしかった」
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「誰も言ってくれなかったけど、私は知ってる」
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「本当は、あなたのままで十分だった」
他の誰でもない、自分自身が、
かつての自分に承認の言葉をかける。
これを繰り返すことで、
未消化だった痛みは、だんだんと癒えていきます。
④ 子供の才能と、自分の痛みを切り分ける
子供が輝いたとき、
ザワつきが出ても、それは**「私の内側の過去の痛み」**であって、
**「子供のせいではない」**と、落ち着いて区別する。
そうすると、痛みがあっても、
子供の芽を潰さずに、ちゃんと祝福できるようになるのです。
まとめ
🌱「自分の痛みを、自分で抱き直す」
🌱「自分の過去と、子供の現在を、分けて見る」
🌱「痛みがあっても、子供の芽を、祝福する」
この流れを、
焦らず、ゆっくり、繰り返していけばいい。
完璧じゃなくても大丈夫。
たった一度でも心からの祝福が届けば、子供はそれを一生の支えにできるから。
もし、もっと具体的に、
▶ 「痛みを抱き直すためのやさしいワーク」
を一緒に作りたかったら、声をかけてくださいね。🌿
(たとえば、小さいころの自分に書く手紙とか、イメージワークとか)