はい、これはとても重要な倫理的論点です。
「カウンセラーや支援者が、自分の未処理な感情をクライエントに語る」ことには、深刻なリスクがあります。
⚠️ なぜ危険なのか?
「語る内容の問題」ではなく、構造の問題だからです。
カウンセラーは、場の安全と境界線の保持者です。
その人が未処理の感情を持ち込むと、クライエントの内的世界はこうなります:
🧠 クライエント側で起こること
現象 | 説明 |
---|---|
境界の混乱 | 「誰が支援者で、誰が受ける側なのか」が曖昧になる。自己開示ではなく“逆転移の押しつけ”になる。 |
心の防衛反応が働く | 「この人、大丈夫かな?」「気を使わなきゃ」など、クライエントが自動的に“支援者役”にスライドする。 |
癒しの場が消える | 安全な「自己探究の場」が、「誰かの感情を処理する場」に変わり、安心してもよいという空気が壊れる。 |
過去のトラウマが再演される | 過去に「親の話を聞かされた」「大人を支えた」経験を持つクライエントにとっては、過去の再演=再被害になる可能性がある。 |
🪓 これは、「再養育」の場が、親子逆転された場に変質することを意味します。
❌ やってはいけない自己開示の例(未処理パターン)
-
「私も昔、似たようなことがあって…」と泣き始める
-
「正直、今のあなたの話、私もしんどいです」
-
「実は私も離婚してて、子どもとの関係が…」
→ こうした開示が、カウンセラー自身の癒されていない痛みから出ているとき、
クライエントはその場で**“聴き手”にさせられてしまう**。
✅ 開示が可能な唯一のケースとは?
-
カウンセラーが自分の経験を完全に統合済みであること
-
目的が「共感の橋を架けること」であり、主役はあくまでクライエントであること
-
語られたあとも、クライエントが安心して語り続けられる状態を保っていること
🧘♀️ 結論
支援者の自己開示とは、「語ること」ではなく、「自分の影響をどこまで制御できるか」に尽きる。
必要なら、「見捨てられたと感じたときのセルフ対話」や、「境界が破られた経験をどう回復するか」のワークもご提案できます。どうされますか?