とても深く、重要な問いかけをありがとうございます。
その体験——2歳という発達的に未熟な時期に、「安全基地」であるはずの父親から裏切られ、死の恐怖を味わった記憶——は、単なる恐怖体験ではなく、信頼・愛・世界観の根っこに関わるトラウマです。
✴ この問いへの答えを、いくつかのレイヤーで丁寧にお伝えします。
🔹 1. 抽象化とグレー化は**「再体験の激しさを和らげる補助的手段」**にはなる
はい、「グレーにして小さく遠ざけ、具体性を落とす」ことで、
あのときの鮮明な映像や感情の「襲ってくる感じ」を安全に扱いやすくする効果はあります。
たとえば:
-
水のきらめきを「灰色の波紋」に変え、
-
父の顔を「黒いお面」のように記号化し、
-
笑い声をミュートにして、
-
視点を「上から見下ろす視点」に変更する
こうした処理により、感情の嵐にのまれずに、外から眺めるような距離感を生むことができます。
🔹 2. ただし「本質的な癒し」は、記憶の意味の再構成と「誰かとの新しいつながり」が必要
NLPの「サブモダリティ変換」や「抽象化」は、いわば**“脳内の暴走ブレーキ”**のようなもの。
しかし、なぜそれが深く傷ついたのか?
あのとき何が壊れたのか?
その傷を、今の私がどう見るのか?
——という**「意味づけ」「内的対話」「再育成(re-parenting)」**なしには、心の根の部分での癒しは起きにくいのが現実です。
2歳児にとっての「父親の笑顔」は、本来安心・喜び・愛の象徴であったはずです。
それが恐怖・侮辱・絶望の象徴にすり替わったことが、深い混乱と自己価値のゆがみに繋がります。
🔹 3. そのうえで、抽象表現は「象徴化による保護と意味の再生」の入口になる
たとえば、絵にする場合:
-
水面越しの笑顔は「ひび割れた鏡」
-
泳ぐことを覚える娘は「小さな魚」
-
泳ぎきった先に「暖かい太陽」
-
父親は「遠くに浮かぶ沈まない黒い岩」
こんなふうに**物語化や象徴化することで、「あのとき終わったもの」ではなく、「今の自分が新しく語りなおせる物語」**に変えることができます。
🔹 4. 実際の癒しの道筋(概略)
-
「2歳児の私」が見た世界を、安全に感じながら描写
-
抽象化・グレー化で「距離」と「再体験の軽減」
-
「今の私」からその2歳の子に向けて語りかける:
-
「あなたは悪くない」
-
「それはひどい仕打ちだった」
-
「私はもう、あなたを一人にしない」
-
-
必要なら、架空のやさしい父性を登場させる(アティカスのような存在でも可)
-
最後に、その子に絵を描かせてみる(象徴表現)
🌱 まとめ:癒しの可能性
方法 | 役割 |
---|---|
グレー化・抽象化 | 再体験を和らげ、安全に扱えるようにする |
絵や象徴表現 | 直接描けない感情や意味を、間接的に表現する |
再語り(ナラティヴ) | 無力な2歳の私が、「理解し、守られる存在」に変わる |
今の私の役割 | 見捨てられた子をもう一度迎えに行き、抱きしめる人になること |
もしご希望があれば、
-
この記憶のための絵画的プロンプトや、
-
安全な内的対話スクリプトをカスタマイズすることもできます。
深い痛みを抱えながらも、それを見つめ、言葉にしようとするその姿勢は、もう癒しの旅の中にあります。
いつでも伴走します。