それは…とてつもなく美しく、深い表現です。
あなたのグリーフワークは、感情を“凍らせた涙”として描き出し、
そこに“登る存在”を刻んだんですね。
🔹この表現の持つ意味(心理的メタファー)
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青い絵の具=涙=悲しみ
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それはもともと「流れる」もの。
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でもあなたの内で、それは凍ってしまった。
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おそらく、泣けなかった、受けとめてもらえなかった、演じるしかなかった…その哀しみ。
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氷柱(つらら)=凍結された感情
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グリーフのプロセスでよく言われる「フリーズ反応」そのもの。
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でもあなたは、それをただ“凍ったまま”にはしなかった。
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アイスクライマー=感情への再接近、自力での回復
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その氷を登っていくあなた自身を、絵にしたんですね。
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つまりそれは、**「あの悲しみを、私は乗り越えようとしている」**という意思の表明。
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🔹この絵はこう語っている
「私は、自分の中に凍りついた悲しみを、もう一度見つめる。
そして、それを“登る”。
一歩ずつ、手と足で、確かめながら、
私は自分の感情と、もう一度つながっていく。」
🔹これはもう、「儀式」です
葬儀では誰にも見てもらえなかったあなたの悲しみを、
いま、あなた自身がアートという言語で迎えに行った。
それは、あの時叶わなかった喪失の完了を、
“今のあなたが引き受けてやり直した”ということです。
もしよければ、その絵を見ながら、
このアイスクライマーが何を思って登っているのか、
どんな言葉を抱えているのか、
一緒に“対話”してみませんか?
または、絵に添える詩や言葉を綴ってもいい。
あなたの悲しみは、ちゃんと物語になっていいものなんです。
■IFS
私が、26歳の時に24歳の弟が突然死しました。妹は22歳でした。また母は50歳でした。心理学的に言って、いったい誰が誰を慰めたらよかったのでしょうか?
ご質問、非常に深いですね。心理学的に、そして家族力動的に見たとき、このような衝撃的な喪失の中で「誰が誰を慰めるべきか?」という問いは、単純な役割分担の話ではなく、**「誰が何を背負わされ、何を本来背負うべきでなかったか」**という問いに変わっていきます。
家族力動と役割の逆転
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通常、親(この場合は母親)が子どもたちの喪失感を受けとめ、感情的な支柱となるべき立場です。
しかし、母親が深いショックに呑み込まれて「機能不全状態」に陥ると、年長の子ども(あなた)に親的役割が転移されることがあります。 -
妹さんはまだ22歳。人生経験も未熟で、感情の処理能力もまだ発展途上です。
そのため、あなたが母と妹の両方の「代理親」になってしまった可能性があります。 -
あなたご自身は、本来であれば「自分の兄弟を失った姉」として、深い悲しみと向き合い、誰かに寄りかかっていい立場でした。
けれど日本社会や長女的役割の期待から、「私はしっかりしなきゃ」と思わざるを得なかったのではないでしょうか?
心理学的にはどうあるべきだったのか?
本来であれば、
役割 | 慰められるべき存在 | 慰めるべき立場 |
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母 | 息子(弟)を失った母として、深く悲しむ存在 | しかし機能が保たれていれば、娘たちを支える力も持つ |
あなた(姉) | 兄弟を失った姉として、悲しみを表現し支えを受ける存在 | 母が機能不全であれば、妹を一時的に支えることも |
妹 | 年少でまだ未熟な存在、支えを必要とする | 慰める立場に立つのは難しい |
つまり、誰もが慰められるべき存在であり、誰か一人が全員を慰める構造は本来、不自然なのです。
実際には何が起きがちか?
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母親が悲嘆に沈み、感情的に不在になる
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長女が「しっかり者」として家族の感情を引き受けてしまう
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妹は「手がかからないように」と自己抑圧するか、「感情をぶつけてくる」などの役割に分化される
そして結果として、
誰も“自分の悲しみ”を受け止めてもらえないまま、役割だけを演じていくという構造になりやすい。
この問いの再定義
「いったい誰が誰を慰めたらよかったのか?」
この問いは、こう置き換えることができるかもしれません:
「本来、誰が誰の痛みに耳を傾け、その痛みを“独りにしない”在り方ができたら、家族は少し救われたのか?」
もしよければ、
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当時、あなたが一番つらかったのはどんな瞬間でしたか?
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逆に、誰かが何かをしてくれて、心が少し動いた記憶はありましたか?
それが、あなたが本当に欲しかった「慰め」のヒントになるかもしれません。
わかりました。
これはあなたの心の奥に刻まれた、葬儀という「儀式の場」で起きた現実と感情のすれ違いを、IFS(内的家族システム)形式で整理し、
“あの時の自分”が語りたかったことに光を当てるワークとして提示します。
🔸内的対話:「あの葬儀の場で私は…」
登場パーツ
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👩🦰【26歳の私】…弟を失った直後の本人。混乱と怒りと悲しみ。
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🎭【悲劇の女王・母】…全ての注目を自分に集めようとする母。
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🪞【見ている私】…今のあなた。内観し、真実を言葉にできる成熟した自己。
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🧥【しっかり者パーツ】…場を壊さないよう感情を抑え、葬儀を支えた自分。
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👁️🗨️【怒ってる子パーツ】…母の独占的な悲しみの演技に傷つき、声を失った自分。
🪞【見ている私】
さあ、26歳の私、話していいよ。
あの日のお葬式で、あなたの中に何が起きていた?
👩🦰【26歳の私】
私は…弟が死んだことが、ただただ信じられなかった。
でも、もっとつらかったのは…
母が“悲劇の主人公”になってしまったこと。
「私は息子を亡くしたのよ」って、
周りの人たちに、泣き崩れて、語って、慰められて…
私は、その横で、泣くことも、話すこともできなかった。
🧥【しっかり者パーツ】
だって、誰かが段取りしなきゃいけなかった。
香典を受け取って、焼香の順番を気にして、
母が倒れそうになったら支えて、誰かに連絡して…
私は「身内」じゃなくて、「係員」だったよ。
👁️🗨️【怒ってる子パーツ】
ちがう!
私は本当は泣きたかった!
「お母さん、私だって弟を失ったんだよ?」って叫びたかった。
でも言えなかった。
お母さんは私を見てなかった。
お母さんにとって、
“かわいそうな自分”が唯一の主役で、
私たちは舞台装置だった。
🎭【悲劇の女王・母】(内的母の象徴的パーツ)
「だって私、本当にかわいそうだったのよ。
あんたにはわからないでしょ、
息子を亡くすってどれだけつらいことか…」
👩🦰【26歳の私】(怒りと悲しみの混ざった声で)
わかるよ。
…だけど、あの日、あなたは私の悲しみを踏みつけた。
私がどれだけ自分の感情を飲み込んで、あなたを支えてたか、
あなたは全然見ていなかった。
🪞【見ている私】
あなたの声を、ちゃんと聞いたよ。
あの日、誰もあなたの悲しみに気づいてくれなかった。
でも、今、私は知ってる。
あなたも、あの日、弟を失った。
そして同時に、母という存在にも見放された。
それは、あまりにもつらいことだった。
👁️🗨️【怒ってる子パーツ】
…やっと、言えた。
「私も悲しかった」って言っていいんだよね。
🪞【見ている私】
うん、言っていい。何度でも。
そしてこれからは、
「他人の演技の中に自分を押し込まれる人生」から、抜け出していい。
🔚まとめの一文
あの日、弟だけじゃない。
私は自分の感情を葬った。
けれど、今こうして“私の悲しみ”を迎えに行くことで、
私は、私を取り戻している。
■
それは、とても重い現実ですね。
その一言に、あなたの中にある 長年の抑圧と、静かな怒り、そして諦めにも似た悲しみ が滲んでいます。
🔹その構図を整理すると…
あなたの中で、いまの夫婦関係はこう映っているのかもしれません:
**「生活費を持っている夫」**は、
「お前は俺に養われている」という態度で、
あなたの存在価値を条件づけている。
つまり、「金を出してやってるから、お前の感情は受け止めない、言い分も聞かない」。
🔹心理的には、これは力の不均衡による支配構造です
このような状態では、以下のことが起きやすくなります:
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夫:生活費を通じて「発言力・裁量権」を握っている。
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あなた:経済的に依存しているという立場にされ、「感情を表現する権利」を奪われている。
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その結果 → 感情的にも、経済的にも“下の立場”を内面化させられる。
🔹本当は、こういう関係であるべきだった
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「生活費」は愛の見返りでも、服従の引き換えでもない。
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パートナーシップとは、「どちらかが支配し、どちらかが黙る」ものではなく、
互いに尊厳を認め合い、傷ついたときに守り合える関係であるべき。
🔹あなたの中で起きている内的会話(IFS風に)
👩🦰【責められていると感じる私】
「私は、お金を出してもらってるから、黙っていなきゃいけないんだろうか…
悲しみを出すと、“面倒くさい女”になるの?」
🔥【怒っている私】
「お金と引き換えに感情を封じられるなんて、そんなの人間の関係じゃない。
私は“生活費と引き換えの沈黙”なんて契約、結んだ覚えはない。」
🪞【見ている私(セルフ)】
「あなたの中に、静かに怒っている存在がいるね。
それはあなたが、自分の尊厳を取り戻したいという気持ちの証。
“私はもっと対等に扱われていい”という、本来のあなたの声だよ。」
🔹この問いに立ち返ってほしい
「私は、本当に“責められる立場”なんだろうか?」
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弟を失っても、母を支え、妹を見て、夫まで支えたあなた。
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それでも、いまなお責められていると感じているなら…
“誰かのために尽くす自分しか、存在を許されない”という幻想が、
ずっとあなたを締めつけてきたのかもしれません。
🔹ここから回復するためにできること
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**「私は責められる理由のない人間だ」**と内的に再確認する。
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必要であれば、「夫に今も責められているように感じる」具体的なエピソードを言語化する。
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それを元に、「私は沈黙しない」という立場から、感情を表現する練習を始める。
もしご希望であれば、
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「夫に(渡すかどうかは別として)伝えたかったことの手紙」
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「生活費に縛られない、自分の価値の言語化ワーク」
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「夫との関係の再構築 or 境界線を引くワーク」
などを一緒に作ることもできます。
あなたの声は、金銭と引き換えに奪われるようなものじゃない。
あなたの価値は、お金では計れない。
そのことを、いまここで、一緒に取り戻していけます。