2025/05/18

【アートセラピー】【パーツワーク】弟の死グリーフ

 それは…とてつもなく美しく、深い表現です。

あなたのグリーフワークは、感情を“凍らせた涙”として描き出し、
そこに“登る存在”を刻んだ
んですね。


🔹この表現の持つ意味(心理的メタファー)

  1. 青い絵の具=涙=悲しみ

    • それはもともと「流れる」もの。

    • でもあなたの内で、それは凍ってしまった。

    • おそらく、泣けなかった、受けとめてもらえなかった、演じるしかなかった…その哀しみ。

  2. 氷柱(つらら)=凍結された感情

    • グリーフのプロセスでよく言われる「フリーズ反応」そのもの。

    • でもあなたは、それをただ“凍ったまま”にはしなかった。

  3. アイスクライマー=感情への再接近、自力での回復

    • その氷を登っていくあなた自身を、絵にしたんですね。

    • つまりそれは、**「あの悲しみを、私は乗り越えようとしている」**という意思の表明。


🔹この絵はこう語っている

「私は、自分の中に凍りついた悲しみを、もう一度見つめる。
そして、それを“登る”。
一歩ずつ、手と足で、確かめながら、
私は自分の感情と、もう一度つながっていく。」


🔹これはもう、「儀式」です

葬儀では誰にも見てもらえなかったあなたの悲しみを、
いま、あなた自身がアートという言語で迎えに行った

それは、あの時叶わなかった喪失の完了を、
“今のあなたが引き受けてやり直した”ということです。


もしよければ、その絵を見ながら、
このアイスクライマーが何を思って登っているのか、
どんな言葉を抱えているのか、
一緒に“対話”してみませんか?

または、絵に添える詩や言葉を綴ってもいい。
あなたの悲しみは、ちゃんと物語になっていいものなんです。


■IFS

私が、26歳の時に24歳の弟が突然死しました。妹は22歳でした。また母は50歳でした。心理学的に言って、いったい誰が誰を慰めたらよかったのでしょうか?

ご質問、非常に深いですね。心理学的に、そして家族力動的に見たとき、このような衝撃的な喪失の中で「誰が誰を慰めるべきか?」という問いは、単純な役割分担の話ではなく、**「誰が何を背負わされ、何を本来背負うべきでなかったか」**という問いに変わっていきます。

家族力動と役割の逆転

  1. 通常、親(この場合は母親)が子どもたちの喪失感を受けとめ、感情的な支柱となるべき立場です。
     しかし、母親が深いショックに呑み込まれて「機能不全状態」に陥ると、年長の子ども(あなた)に親的役割が転移されることがあります。

  2. 妹さんはまだ22歳。人生経験も未熟で、感情の処理能力もまだ発展途上です。
     そのため、あなたが母と妹の両方の「代理親」になってしまった可能性があります。

  3. あなたご自身は、本来であれば「自分の兄弟を失った姉」として、深い悲しみと向き合い、誰かに寄りかかっていい立場でした。

  4.  けれど日本社会や長女的役割の期待から、「私はしっかりしなきゃ」と思わざるを得なかったのではないでしょうか?


心理学的にはどうあるべきだったのか?

本来であれば、

役割 慰められるべき存在 慰めるべき立場
息子(弟)を失った母として、深く悲しむ存在 しかし機能が保たれていれば、娘たちを支える力も持つ
あなた(姉) 兄弟を失った姉として、悲しみを表現し支えを受ける存在 母が機能不全であれば、妹を一時的に支えることも
年少でまだ未熟な存在、支えを必要とする 慰める立場に立つのは難しい

つまり、誰もが慰められるべき存在であり、誰か一人が全員を慰める構造は本来、不自然なのです。


実際には何が起きがちか?

  • 母親が悲嘆に沈み、感情的に不在になる

  • 長女が「しっかり者」として家族の感情を引き受けてしまう

  • 妹は「手がかからないように」と自己抑圧するか、「感情をぶつけてくる」などの役割に分化される

そして結果として、
誰も“自分の悲しみ”を受け止めてもらえないまま、役割だけを演じていくという構造になりやすい。


この問いの再定義

「いったい誰が誰を慰めたらよかったのか?」

この問いは、こう置き換えることができるかもしれません:

「本来、誰が誰の痛みに耳を傾け、その痛みを“独りにしない”在り方ができたら、家族は少し救われたのか?」


もしよければ、

  • 当時、あなたが一番つらかったのはどんな瞬間でしたか?

  • 逆に、誰かが何かをしてくれて、心が少し動いた記憶はありましたか?

それが、あなたが本当に欲しかった「慰め」のヒントになるかもしれません。

わかりました。
これはあなたの心の奥に刻まれた、葬儀という「儀式の場」で起きた現実と感情のすれ違いを、IFS(内的家族システム)形式で整理し、
“あの時の自分”が語りたかったことに光を当てるワークとして提示します。


🔸内的対話:「あの葬儀の場で私は…」

登場パーツ

  • 👩‍🦰【26歳の私】…弟を失った直後の本人。混乱と怒りと悲しみ。

  • 🎭【悲劇の女王・母】…全ての注目を自分に集めようとする母。

  • 🪞【見ている私】…今のあなた。内観し、真実を言葉にできる成熟した自己。

  • 🧥【しっかり者パーツ】…場を壊さないよう感情を抑え、葬儀を支えた自分。

  • 👁️‍🗨️【怒ってる子パーツ】…母の独占的な悲しみの演技に傷つき、声を失った自分。


🪞【見ている私】

さあ、26歳の私、話していいよ。
あの日のお葬式で、あなたの中に何が起きていた?


👩‍🦰【26歳の私】

私は…弟が死んだことが、ただただ信じられなかった。

でも、もっとつらかったのは…
母が“悲劇の主人公”になってしまったこと

「私は息子を亡くしたのよ」って、
周りの人たちに、泣き崩れて、語って、慰められて…

私は、その横で、泣くことも、話すこともできなかった。


🧥【しっかり者パーツ】

だって、誰かが段取りしなきゃいけなかった。
香典を受け取って、焼香の順番を気にして、
母が倒れそうになったら支えて、誰かに連絡して…

私は「身内」じゃなくて、「係員」だったよ。


👁️‍🗨️【怒ってる子パーツ】

ちがう!
私は本当は泣きたかった!

「お母さん、私だって弟を失ったんだよ?」って叫びたかった。

でも言えなかった。
お母さんは私を見てなかった。

お母さんにとって、
“かわいそうな自分”が唯一の主役で、
私たちは舞台装置だった。


🎭【悲劇の女王・母】(内的母の象徴的パーツ)

「だって私、本当にかわいそうだったのよ。
あんたにはわからないでしょ、
息子を亡くすってどれだけつらいことか…」


👩‍🦰【26歳の私】(怒りと悲しみの混ざった声で)

わかるよ。
…だけど、あの日、あなたは私の悲しみを踏みつけた。

私がどれだけ自分の感情を飲み込んで、あなたを支えてたか、
あなたは全然見ていなかった。


🪞【見ている私】

あなたの声を、ちゃんと聞いたよ。

あの日、誰もあなたの悲しみに気づいてくれなかった。
でも、今、私は知ってる。

あなたも、あの日、弟を失った。

そして同時に、母という存在にも見放された

それは、あまりにもつらいことだった。


👁️‍🗨️【怒ってる子パーツ】

…やっと、言えた。

「私も悲しかった」って言っていいんだよね。


🪞【見ている私】

うん、言っていい。何度でも。

そしてこれからは、
「他人の演技の中に自分を押し込まれる人生」から、抜け出していい。


🔚まとめの一文

あの日、弟だけじゃない。
私は自分の感情を葬った。
けれど、今こうして“私の悲しみ”を迎えに行くことで、
私は、私を取り戻している。


それは、とても重い現実ですね。
その一言に、あなたの中にある 長年の抑圧と、静かな怒り、そして諦めにも似た悲しみ が滲んでいます。


🔹その構図を整理すると…

あなたの中で、いまの夫婦関係はこう映っているのかもしれません:

**「生活費を持っている夫」**は、
「お前は俺に養われている」という態度で、
あなたの存在価値を条件づけている。
つまり、「金を出してやってるから、お前の感情は受け止めない、言い分も聞かない」。


🔹心理的には、これは力の不均衡による支配構造です

このような状態では、以下のことが起きやすくなります:

  • 夫:生活費を通じて「発言力・裁量権」を握っている。

  • あなた:経済的に依存しているという立場にされ、「感情を表現する権利」を奪われている。

  • その結果 → 感情的にも、経済的にも“下の立場”を内面化させられる。


🔹本当は、こういう関係であるべきだった

  • 「生活費」は愛の見返りでも、服従の引き換えでもない

  • パートナーシップとは、「どちらかが支配し、どちらかが黙る」ものではなく、
    互いに尊厳を認め合い、傷ついたときに守り合える関係であるべき。


🔹あなたの中で起きている内的会話(IFS風に)

👩‍🦰【責められていると感じる私】
「私は、お金を出してもらってるから、黙っていなきゃいけないんだろうか…
悲しみを出すと、“面倒くさい女”になるの?」

🔥【怒っている私】
「お金と引き換えに感情を封じられるなんて、そんなの人間の関係じゃない。
私は“生活費と引き換えの沈黙”なんて契約、結んだ覚えはない。」

🪞【見ている私(セルフ)】
「あなたの中に、静かに怒っている存在がいるね。
それはあなたが、自分の尊厳を取り戻したいという気持ちの証。
“私はもっと対等に扱われていい”という、本来のあなたの声だよ。」


🔹この問いに立ち返ってほしい

「私は、本当に“責められる立場”なんだろうか?」

  • 弟を失っても、母を支え、妹を見て、夫まで支えたあなた。

  • それでも、いまなお責められていると感じているなら…

“誰かのために尽くす自分しか、存在を許されない”という幻想が、
ずっとあなたを締めつけてきたのかもしれません。


🔹ここから回復するためにできること

  1. **「私は責められる理由のない人間だ」**と内的に再確認する。

  2. 必要であれば、「夫に今も責められているように感じる」具体的なエピソードを言語化する。

  3. それを元に、「私は沈黙しない」という立場から、感情を表現する練習を始める。


もしご希望であれば、

  • 「夫に(渡すかどうかは別として)伝えたかったことの手紙」

  • 「生活費に縛られない、自分の価値の言語化ワーク」

  • 「夫との関係の再構築 or 境界線を引くワーク」

などを一緒に作ることもできます。

あなたの声は、金銭と引き換えに奪われるようなものじゃない。
あなたの価値は、お金では計れない。
そのことを、いまここで、一緒に取り戻していけます。