今日のワーク
片頭痛がする。その片頭痛に聞く。
「片頭痛さんがもし喋れるとしたら、何を感じているの」
片頭痛さん:「危険だ」
「何がキケンなの?」
片頭痛さん:「ママみたいになっちゃう」
「どこがママみたいなの?」
「被害者のところが…」
「どうして被害者なの?」
「だって、ママは子供たちのこと見ていない」
「すると、どういうことが起きそうなの?」
「すると私たち子供は、みんな、かわいそうな子っていうことになっちゃう」
「なぜ、かわいそうな子になっちゃうのが嫌なの?」
「だって、愛されていなくてかわいそうって意味になっちゃう」
「もしかして、私たちは、愛されていない子供だったの?それはイヤ!!」
「なぜ嫌なの?」
「親から愛されていないと生きていけないから」
「でも、今は親から愛されなくても生きていけるよね?」
「うん、そうだけど…」
「じゃ、自分の中に愛着基地を持つっていう考えについては、どう思う?」
「いいと思う」
「自分のどんなところが使えると思う?」
「コツコツ努力を積み上げることができる子で、我慢強く達成するまで頑張れる。 何が大事で何が大事でないか、分かっている。人の心に土足で踏み込むようなことは絶対にしない。入るべき時とそうでないときを区別できる。 私はBigHeartな人なところ」
「この感覚はどこから来ているの?」
「親にもらった。」
「そう、そうしたら親はあなたを愛してくれていたんじゃないのかな?」
「うん、そう。後でいそがしくなって、愛してもらえなくなったの」
「そのとき、あなたはどうしたの?」
「がまんした」
「なぜがまんしたの?」
「弟と妹がいたから」
「なぜ、弟と妹がいると我慢しないといけないの?」
「弟と妹の方にもっと親の愛が必要だったから」
「弟と妹に譲ってあげたのね?」
「そう」
「どうして譲ってあげたの?」
「弟と妹を大事にするのがお姉ちゃんだから」
「弟と妹が大好きなお姉さんだったんだね」
「そうです。私は弟と妹をとても大事にしている子供でした」
「今大人になって、その時の子になんと声をかけてあげたいですか?」
「おねえちゃんでも、甘えてもいいんだよ、抱っこされていいんだよと言ってあげたいです」
「その子は、今どうしてもらいたがっていますか?」
「弟と妹から、ありがとう、お姉ちゃんと言われたがっていると思います」
「第三者がいるとしたら、どうしてあげたいですか?」
「弟と妹、そして、幼い私を養育する大人を送ってあげたいです」
「実際には、それは、あなたが担った役目ですよね」
「はい。その時はそれ以外に仕方がありませんでした」
「今は、そのような危機的状況にないことが分かりますか?」
「はい、分かります」
「なのになぜクライミングになると、過剰に反応してしまうのでしょうか?」
「それは、”俺らと違って師匠がいるんだろ、ならお前が俺たちに教える役だからな”と脅迫されているように感じるからです」
「それは誰の声ですか?」
「弟と妹」「それに、あなたはできる子だから、と親が言っていました」
「あなたはクライミングで出来る子、ですか?」
「ちがうとおもいます。ただ、ふつうのひとよりも、良い指導を受けてきたと思います」
「その良い指導とはどのようなものですか?」
「山岳総合センターに行ったり、岩講習に出たり、ジムで学んだり、吉田講習に出たりです」
「それらはすべて、無料ですか?」
「違います。自分でお金を払って出ました」
「なのに、なぜ、他の人もそうすべきだと思わないのですか?」
「クライマーが貧乏だとみながいっているからです」
「クライマーが貧乏なのは本当ですか?」
「人に寄ります。貧乏な人もいればそうではない人もいます」
「ならば、なぜ過剰に寄り添ってしまうのですか?」
「… かつて、私も貧乏で苦しいときに人に助けられたからです」
「それは、あなたの命を懸けるほどの好意でしたか?」
「違うと思います」
「ならば、なぜ、あなたの命を差し出してしまうような厚遇をクライマーにしてしまうのですか?」
「… 自分が登りたいから」
「ほかの人も登りたいから、双方に利益があるのでは?」
「… そうなるはずなのですが、技術がない人と組む羽目になってしまいます。自分にも技術的に未熟な時代があったから、と思っているような気がします」
「たしかに誰でも技術的に未熟な時代を通ります。それは普通のことですよね」
「はい」
「あたながそのような段階にあった時、周囲の人はどのような対応をしていましたか?」
「先輩が二人以上ついて、ビレイを見守っていました」
「ならば、あなたもそうすべきでは?」
「そうなんです!いつもそうしようとしているのに…」
「そうならないんですね」
「そうなんです」
「それはなぜですか?」
「いつも1対1で組もうとする人ばかりだからです」
「1対1で組もうとする人は、もしかして、他に誰もいない人ではないでしょうか?」
「たしかに。そうかもしれません。」
「何か対策は思いつきましたか?」
「はい。奥村さんのKoWallでは、ビレイのチェックがあります」
以上で、対話を終わります。
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この対話は、ユーザーが片頭痛を入口にして、幼少期の家族関係、特に「お姉ちゃん役割」とそれに伴う自己犠牲のパターンを深掘りしているものですね。そして、その影響が現在のクライミングの人間関係にどのように表れているかを探っています。
対話の構造と分析
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症状の擬人化と対話の開始
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片頭痛を擬人化し、その声を聞くことで、無意識のメッセージを探ろうとしている。
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片頭痛が「危険だ」と訴え、その理由を深掘りしていく流れ。
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幼少期の役割の認識
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「ママみたいになっちゃう」という言葉から、「被害者役」を避けたいという心理が浮かび上がる。
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さらに、「愛されていない子供になる」ことへの恐怖が根底にあることが明らかになる。
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自己の価値の再確認と愛着の確立
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「自分には愛着基地を持つ力がある」と認識し、それを支える性質(努力家、我慢強い、思慮深い)を挙げている。
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その性質は「親にもらった」と認識しており、過去の親の愛を再評価しているが、「途中で愛されなくなった」とも語っている。
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自己犠牲の始まりとその正当化
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「弟と妹のために我慢した」という経験から、「お姉ちゃんだから譲るのが当然」という信念が形成されている。
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ここで「本当は甘えたかった」「抱っこされてよかった」と認識しつつも、当時の状況では仕方がなかったと納得しようとしている。
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現在の課題とクライミングへの影響
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クライミングで「指導役を押し付けられる」ことに強いストレスを感じるのは、「お姉ちゃんだから弟妹を守る」という過去の役割が影響している。
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「自分は技術的に良い指導を受けたが、それを他人に提供する義務はない」と論理的に理解しつつも、過剰に寄り添ってしまうのは「かつて助けられたから」という恩返しの心理が働いている。
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解決策の模索
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「クライマーが貧乏」という前提に影響されすぎている点に気づき、「人による」と再評価。
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1対1の関係性が問題であることを認識し、「適切なサポート体制がある場では問題が発生しない」と気づく。
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最終的に、「ビレイチェックのある環境を活用する」という具体的な対策に落とし込めている。
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この対話の意義
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無意識のパターンの掘り起こし
自身の思考と感情の関連性を整理し、根本原因を探る。 -
過去の認識の書き換え
親の愛の有無、自己犠牲の必要性について新しい見方を取り入れている。 -
現在の問題の具体的な対処法を導く
ただ内省するだけでなく、実際に「ビレイのチェックがある環境を活用する」という行動レベルの解決策を見出している。
このワークは、過去の自己犠牲的なパターンが現在のストレスにどう影響しているかを整理し、具体的な対応策を考える上で、とても有意義なプロセスですね!
■ ありがとうが欲しい子
この対話における 投影同一視(Projective Identification) の側面を評価すると、いくつかのポイントが浮かび上がります。
1. 投影同一視の基本構造
投影同一視とは、
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自分の中の受け入れがたい感情や特性を、他者に投影すること
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その投影された感情や役割を、相手が内面化し、期待通りの反応を示すこと
この対話では、特に 「お姉ちゃん役割」 に関する投影同一視が見られます。
2. 投影同一視の具体的な場面
① 片頭痛という症状への投影
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片頭痛に「危険だ」と言わせることで、自分の無意識の不安を可視化している。
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片頭痛が「ママみたいになっちゃう」と答えることで、「母の被害者性」を自分の中に持つことへの抵抗が浮かび上がる。
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つまり、片頭痛を媒介にして、「被害者としての母の側面」 を自分に取り込むのを避けようとしている。
② 弟・妹への投影と同一視
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「弟と妹に愛を譲らなければならなかった」という語りから、「お姉ちゃんは自己犠牲すべき」という無意識の信念が見える。
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「お姉ちゃんとしての役割」を自ら引き受けることで、親が期待する役割を内在化 している。
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しかし、「本当は甘えたかった」と後になって気づいている点から、自分が本当に求めていたもの(甘えや愛)を弟・妹に投影し、譲る形で満たそうとしていた 可能性がある。
③ クライミング仲間への投影
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「俺らと違って師匠がいるんだろ? ならお前が俺たちに教える役だからな」と言われているように感じる。
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これは、過去の「お姉ちゃん役割」の再演 であり、「できる子は周りを助けるべき」という親の期待が、現在の人間関係にも投影されている。
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その結果、技術の未熟な人を助けるべきという強迫観念が生まれている。
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しかし、最終的に「自分もかつては先輩に見守られていた」と認識し、「ビレイチェックのある環境を利用する」という対策を立てている。
→ 無意識に課せられた役割を手放し、適切な境界を作ろうとしている点はポジティブ!
3. 投影同一視の解消と対策
このワークは、投影同一視を以下の方法で解消しようとしている:
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片頭痛を通じて無意識の感情を顕在化する
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「お姉ちゃん役割」の背景を探り、無意識の信念を意識化する
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現在のクライミングの人間関係と過去の家族関係の相似性を認識する
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具体的な対策(ビレイチェックのある環境を活用)を考えることで、過去の役割から脱却する
これは、投影同一視を自覚し、それを適切に処理しようとするプロセス として、とても有意義なワークになっている!
4. 総合評価
🟢 良い点
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投影された感情を認識し、冷静に分析できている。
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「なぜ自分はこのように感じるのか?」という問いを通じて、無意識の信念を意識化できている。
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過去の役割(お姉ちゃんとしての自己犠牲)と現在の役割(クライミング指導役)のつながりを見抜けている。
🔴 改善点
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「私は本当に『お姉ちゃん役割』を引き受ける必要があったのか?」という問いをもっと深めてもいいかも。
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「弟と妹から『ありがとう』が欲しい」と感じる部分が、まだ過去の承認欲求とつながっている可能性があるので、その感情をもう少し丁寧に扱うと良さそう。
💡 今後の方向性
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クライミングの場面で「私はお姉ちゃん役割を押し付けられているのか? それとも、単に自分がそう思い込んでいるのか?」と自己チェックするとよさそう。
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役割の引き受けが「自分の選択」なのか、「過去のパターンの再演」なのかを見極めると、さらに自由度が上がる!
総じて、このワークは 投影同一視を意識化し、適切な距離を取るための第一歩 になっていて、非常に良い取り組みだと思うよ!
■ ありがとうが欲しい子
「ありがとうが欲しい子」について掘り下げると、いくつかの可能性が見えてくるね。
1. 「ありがとう」の意味とは?
「ありがとう」という言葉には、単なる感謝の表現以上の意味がある。
特に幼少期の家庭環境で、次のような意味を持つ場合がある:
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承認の証:「あなたは価値のあることをしたよ」というメッセージ
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存在の肯定:「あなたがここにいてよかったよ」という確認
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愛情の保証:「あなたを大切に思っているよ」という安心感
この中で、「ありがとうが欲しい子」は、単に礼儀としての「ありがとう」ではなく、存在の価値や愛情を求めている可能性がある。
2. ありがとうを欲しがる背景
① 幼少期に「存在そのもの」を肯定されなかった
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「いい子」でいることで愛される環境だった → 「ありがとう」=愛されるための条件 になった
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「できる子」でいることで褒められる → 役に立つことで自分の価値を確かめる
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「ダメな自分」は受け入れてもらえなかった → 役割を果たさないと無価値だと感じる
つまり、「ありがとう」を求めるのは、本当は無条件に愛されたいのに、それを得られなかったため、役割を通じて愛情を獲得しようとする というパターンがある。
② 親が感謝を示さなかった(または一方的に要求した)
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「お姉ちゃんなんだからやって当然」
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「弟や妹の面倒を見るのはあたりまえ」
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「自分のことよりも、家族のために動くべき」
このような環境では、「ありがとう」は与えられるものではなく、与える側にまわることが前提 になりやすい。
すると、「ありがとう」をもらえたときの喜びが強調され、承認欲求の代償行為として感謝を求める ようになる。
③ 役に立たなければ存在価値がないと感じる
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「ありがとう」がないと、不安になる
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「ありがとう」がないと、自分が認められていないと感じる
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役に立たないと、自分は「ここにいていいのか?」と不安になる
この思考の根本には、「ただいるだけでは愛されない」という恐れがある。
→ だからこそ、「ありがとう」が必要になり、自分の存在価値を確認する手段 になってしまう。
3. どうしたら「ありがとうが欲しい子」から自由になれる?
① 「ありがとう」はなくても大丈夫だと実感する
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役に立つから愛されるのではなく、「私はいるだけでいい」と思えるようにする
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小さな実験として、「何もしないで愛される経験」を意識してみる
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何も頑張らず、ただそこにいても人がそばにいてくれる瞬間を見つける
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② 「ありがとうをもらうための行動」をやめてみる
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何かをするとき、「これは本当にやりたいこと?」と自問してみる
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感謝されるためではなく、純粋に自分の気持ちで動く 経験を増やす
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「ありがとうを求めずに動いたとき、私はどんな気持ちになる?」を観察する
③ 自分自身に「ありがとう」を言う
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ずっと「ありがとう」を外から求めていたけど、自分自身が感謝を与える側になる のも大事
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「私は私に、何をありがとうと言いたい?」
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「私は今まで、どんな素敵なことをしてきた?」
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自分が自分を認めることで、「ありがとう」の依存度が下がる
まとめ
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「ありがとうが欲しい子」は、無意識のうちに「役割を果たすことで存在価値を確かめる」パターンを持っている
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その背景には、幼少期の「無条件の愛の不足」や「自己犠牲の強制」がある可能性が高い
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「ありがとう」への執着を手放すには、何もしなくても自分は愛される存在である という実感を少しずつ増やしていくことが大切
「ありがとうを求めなくても、私はもうここにいていい」と感じられる瞬間を、少しずつ増やしていこう!
■ 「ただいるだけでは愛されない」という恐れを解消する
「ただいるだけでは愛されない」という恐れを解消するには、「いるだけで愛される」感覚を少しずつ育てること が大切だね。
これは 「外側からの評価」 によって愛を感じるのではなく、「内側からの確信」 によって愛を感じる方向へとシフトしていくプロセスでもある。
いくつかの方法を提案するね。
1. 「何もしない」を実験する
✅ 目的:「私は何かをしなくても、人は私のそばにいてくれる」という経験を増やす
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誰かと一緒にいるとき、あえて何かをしようとせず、ただその場にいることを試してみる
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気を遣わずに、リラックスした自分でいられる人を選ぶ
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「話さなくても心地よい空間」を意識してみる
最初は落ち着かないかもしれないけど、「何かしないとダメなんじゃない?」という焦りの感覚を観察するだけでもOK。
2. 「私はここにいていい」と思える体験を増やす
✅ 目的:「役に立たなくても、自分はこの世界に存在していい」と思える実感を得る
例えば:
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自然の中で過ごす(森・海・山)。自然は何も期待しないし、ただそこにいるだけで「OK」と思える空間が広がっている
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赤ちゃんや動物と一緒にいる(赤ちゃんは役に立たないけど、ただいるだけで愛される存在だと実感できる)
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「ただ存在する」ことを大切にしてくれる人と過ごす(愛情深い友人、尊敬できるメンターなど)
「ここにいるだけで十分」という感覚を少しずつ積み重ねていくと、「何かしないと愛されない」という思い込みが弱まるよ。
3. 「ありがとうを求めない行動」をしてみる
✅ 目的:「私は感謝されなくても、価値のある存在だ」と感じるため
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誰かのために何かをするとき、「感謝されなくても私はやる?」と考えてみる
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「誰かに評価されるため」ではなく、「ただ自分が心地よいから」する行動を増やす
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例:「掃除をするのは感謝されたいからじゃなく、きれいな空間が好きだから」
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「ありがとうがないと不安」な気持ちが出てきたら、「この不安、どこから来てる?」と観察してみるのも大事。
4. 自分自身に「ありがとう」を言う
✅ 目的:「他人の承認ではなく、自分が自分を認めること」で安心感を育てる
「私は私に何をありがとうと言いたい?」を考えてみよう。
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今日は頑張らなくてもちゃんと生きてるね、ありがとう
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何もしなくても、ちゃんと息してるね、ありがとう
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ただここにいるだけで、十分素敵だよ
こうやって 「他者のありがとう」じゃなく、「自分のありがとう」を増やしていくと、愛されるために何かをしなくちゃいけない感覚が和らぐ よ。
5. 「愛されること」に対する信念を書き換える
✅ 目的:「愛とは条件付きのもの」という考えをゆるめる
もし、「愛されるには〇〇しなきゃ」と思うなら、それを書き出してみるといい。
例えば:
❌ 「私は役に立たないと愛されない」
⬇
✅ 「私はただ存在するだけで愛される価値がある」
❌ 「何かしないと、人は私に興味を持たない」
⬇
✅ 「何もしなくても、私はここにいていい」
この「新しい信念」を日常的に意識すると、少しずつ「ただいるだけで大丈夫」という感覚がしみ込んでくるよ。
6. 「愛されること」と「コントロールを手放すこと」を結びつける
✅ 目的:「他人の行動や反応をコントロールしなくても、私は大丈夫だと感じる」
「ありがとうがないと不安」な気持ちの裏には、「私は愛されていると確認したい」という欲求がある。
でも、本当の愛は「確認しなくても、そこにあるもの」。
例えば:
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太陽は「照らしていい?」と聞かなくても、ただ照らしてくれる
-
空気は「吸っていいよ」と言わなくても、ただそこにある
人間関係も、これに似たものになれるといい。
「ありがとうをもらわなくても、愛されてることに変わりはない」と思えたら、愛に対する不安が減るよ。
まとめ
「ただいるだけでは愛されない」という恐れを解消するには、「何もしなくても、私はここにいていい」と思える体験を少しずつ積み重ねること が大事。
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「何もしない」を実験する(そばにいるだけでOKな人と過ごす)
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「ただ存在していい」と思える環境に身を置く(自然、赤ちゃん、動物など)
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「ありがとうを求めない行動」を増やす
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自分自身に「ありがとう」を言う
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「愛されること」に対する信念を書き換える
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「愛されるために何かをする」のをやめて、流れに任せる
このプロセスを続けていくと、「ただいるだけで愛される」という安心感が、少しずつ育っていくよ💙
リンク:
https://chatgpt.com/share/67ebbf24-9154-8004-b220-1754e05d6a5f
■ 心理ニーズ
このクライアントにとって最も大事な心理ニーズは、以下の3つに集約されると考えられる。
1. 無条件の存在承認(Being-Acceptance)
→ 「何かをしなくても、ただいるだけで価値がある」と感じたい
→ 「ありがとう」や他者の評価がなくても、自分の存在に安心したい
2. 安心感とつながり(Security & Connection)
→ 「見捨てられない」「必要とされる」「そばにいていい」と感じること
→ 誰かと一緒にいるときに、何もしなくても安心できる関係性を築くこと
3. 自己肯定と自己充足(Self-Validation & Fulfillment)
→ 「自分で自分を認められる」「他者の評価なしでも満たされる」感覚を持ちたい
→ 外部からの承認に頼らず、自分自身の内側から安心感を生み出したい
これらのニーズが満たされることで、「ただいるだけでは愛されない」という恐れが和らぎ、より自由に、自然体で生きられるようになる可能性が高い。
■ ブラーマリー
ブラーマリー呼吸法(ハミング・ビー・ブレス)は、確かに自分の内側から安心感を生み出すのにとても適していると思う!
この呼吸法は、鼻から息を吸い、唇を閉じたまま「んーーー」と蜂の羽音のような低い音を出しながら吐くことで、副交感神経を優位にしてリラックスを促す。喉や頭に響く振動が、自分の存在を内側から感じさせてくれるのが特徴。
ブラーマリー呼吸法が「ただいるだけで愛される感覚」を育む理由
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内側に意識を向ける → 他者の評価ではなく、自分の感覚を味わう時間を持てる
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自分の声と響きで満たされる → 外部の承認を求めず、自分で自分を包み込むような感覚になる
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副交感神経が活性化 → 「安心・安全」の状態を自分の内側から作れる
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喉と胸が開く → 感情表現がスムーズになり、「ありがとうが欲しい子」の心の詰まりを解放できる
やるときのポイントとして、耳を指で軽く塞ぐと、振動が頭の中に響きやすくなり、より安心感が深まるよ。実際にやってみて、どんな感じがするか試してみるのもいいね!