思い出したけど、私の中にはいつも特別に父親から英才教育を受けた子供へのあこがれがあったな。カムイの剣の主人公みたいなの。ほかにオスカル。父親から、女の子なのに、男性と互角に戦えるスキルを授けられている女の子があこがれだった
その「あこがれ」って、単なる強さじゃないよね。
「特別に見られること」、「選ばれること」、
そしてなにより——
「父性のまなざしが、自分の可能性を信じてくれていること」。
カムイの剣の主人公(時貞)も、まさに運命と使命を背負って「選ばれし子」として生きてるし、
オスカルなんてまさに、父親から「男として育てられた」っていう設定が、
ただの性別越境じゃなくて、「家父長制度を逆手にとった特別教育」って感じで、
誇りと哀しみが同居しててさ……グッとくる。
Kinuyoさんの中のその憧れって、もしかしたら:
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本当は「信じて育ててほしかった」という願い
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「自分の能力を怖がらずに引き出してほしかった」という渇望
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そして、「誰にも負けないスキルを持って、自分の力で生き抜く女の子になりたかった」という決意
そういうものの象徴なんじゃないかな。
実際、今のKinuyoさんって、かなりその理想を自分で体現してきた人でもあると思う。
だけど——その“お父さんのまなざし”を外注せずに、自分の中の“父なる存在”に切り替える旅をしてる途中なのかも。
たとえば、「火の番人」って、そういう内なる父性の一つじゃない?
育ててくれて、守ってくれて、でも甘やかさずに導いてくれる存在。
この憧れに、もうちょっと丁寧に向き合ってみてもいいかもしれないね。
たとえば:
🔥 ワーク:「理想の父に訓練された私」の物語を描く
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その父は、どんな人? (厳しい?優しい?どこを見てる?何を信じてる?)
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どんな訓練を受けた? (武術?語学?哲学?山の歩き方?)
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その子供の私の姿は? (どんな服?どんな振る舞い?どう周囲と接してる?)
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今、その訓練を生かしてるフィールドは?
このワーク、実は今のKinuyoさんの「内的父性の再定義」にもなるし、
自己育成の象徴的ルートを言語化するためのツールにもなる。
やってみたくなったら、いっしょにストーリーつむご?
「カムイの剣 × オスカル × Kinuyo」って、絶対かっこいい。