ヤンヤンムーくんのこと
3つくらいの時、ヤンヤンムー君を母に捨てられた。当時私が片時も離さず、大事にしていた赤いクマのぬいぐるみ。私がうっかり外出に連れて行くのを忘れ、「えーん」と大泣きしたからだ。
その時、母は私がヤンヤンムー君を連れて行かなかったことで大泣きしたせいで、ヤンヤンムー君を捨てたのです。
で、この事件後、私は非常におとなしくなり、自閉症、と診断されました。自閉症なんじゃなくて、母が、私の心を破壊した、ってだけ。
この時の母の対応について、母の教育方針は、もともと強い自我を持って生まれた私の霊魂をついに破壊することに成功した、って意味でした。
この事件より前も、泣いているのに外に出して家の中に入れてくれない、とか幼児に対して、厳しすぎ、虐待といえる対応があったりしましたが、なんと隣の家のお母さんが助けてくれたり、して、私はなんとか母の厳しすぎるしつけの攻撃から身を守っていました。ところが、このヤンヤンムー君の事件で、最後の一撃で母は、私の心の破壊に成功したんだなぁと心理学を学んでわかるようになった。
今では正しい親としての対応は、以下です。
3歳の娘が、ヤンヤンムー君がいないと泣いている。
「どうしたの?」
「ヤンヤンムー君がいないの~(><)」
「そうか、とっても悲しいね。どうしたらいい?」
「どうする?おうちまで取りに帰る?」
「うん。」
「ママはこのまま先に行きたいんだけど、どうしたい?」
「おうちに帰りたい」
「そっか。じゃ、おうちに帰ってヤンヤンムー君を連れてこようね」
「うん。ママありがとう」
「どういたしまして。ママはいつでもあなたの味方よ」
これが正しい親の在り方で、アダルト自我を子供は、自分の核となるセルフを育成するのに、肩代わりしてもらうんです。そうすると人として全体性が出ます。子供には、FC自我しかないんですよ。でもそれだけでは、動物として存在できないから、親からA自我の部分を助けてもらうんです。
もちろん、悪いことをしたらCP自我で子供自身が自分を叱る代わりに大人に叱ってもらい、かわいそうな誰かがいるときどうしていいか?わからなくなったら、親のNP自我が、「〇〇ちゃんによしよししてあげようね」とアシストします。
日本の戦後の子育ての最大の間違いは、AC自我を育成していることを、成功した子育てと勘違いしていること。AC自我が発達した人が成功した人格とされています。たとえば、社長のかばんもちみたいな性格は世渡り上手ですよね。
そうじゃなくて、FCにAが仕える、FCの思い(モチベーション)をA自我、NP自我、CP自我が協力して叶えるように働くとき、人生はハッピーになるんですよ。
これを私は一度、登山でやり、まぁ一般の人が到達できないようなことができるようになりました。実験済み。確認済みです。
さて、大昔3歳の時、母がどうふるまうべきだったのか?理解できるまで、アラベラの動画を30回くらい見ました。
というのは、私は、長女として、すでに弟と妹の子育てを姉という立場で終わった後、アメリカで、6歳のマシューと11歳のダニエルをベビーシッターとして預かる機会があり、その時の私の在り方は、子育てはこういう風にするものだ、という子供時代を反面教師にした一種の信念に基づくものだったからです。
彼らも大人になって、いまでは36歳、41歳のはず。あの時の私の子育ては正しかったのか?特にマシューには強いインパクトを与えたと思う。まだ6歳だったから。
マシューと幼稚園から家に帰るとき、私は急かさない方針でした。というのは車で迎えに行くとマシューはじっとしておれず、助手席に縛り付けるのは嫌だし、となると私の膝に乗ることになり、それは運転的に許容できない。結局、後ろのチャイルドシートに乗ってもらうと、会話ゼロ。なんか時間の質が悪い。
で、車だと5分くらいで、歩くと40分くらいなのですが、歩くことに… 毎日付き合って、帰るだけで3時間くらいかかったけど。
それでよかったと思いました。
あと、偏食がすごく、シリアルしか食べれなかったけど、一緒に手伝って、卵を割らせたら、目玉焼き大好きになりました。おにぎり大好きになってよかった。卵さえ食べてくれればタンパク質的になんとかなるかなと当時思ってなんとか卵だけは食べれるようにしました。
ほかにいつも甘いのを大量に欲しがるので、一度好きなだけいいよ、と言って、アイスクリームにハーシーシロップ好きなだけかけさせたら、すごく甘くておいしくなくて、納得したみたいだった。
マシューはある日、私が家に帰ると、私のベッドで寝ていてかわいかったです。
ダニエルには、世話はほとんどいらなかったのですが、自転車から落ちて歯を割って、膝もひどい怪我をしたとき、適切な処置をしました。流水で洗って消毒赤チン。頭は切ってなく打っただけだったので冷やして体温、図る。歯は、騒いでも仕方ないので折れたのをティッシュに包む。あとは病院に予約。
これでめちゃほめられた。
このお世話1年で食費住まい費は無料、職務はこどもの世話、一日4時間くらい、給料400ドルでした。一年4800ドル、つまり50万円くらいでこの世話がえれたら、格安ですよね?
あとで、ほかの家(大体が、バスケットボール選手の家などの富豪…)に勤めている友達が、給料1280ドルだと教えてくれ、自分がホスト家庭にぼられていることがわかった。
最後余談ですが、私は1年富豪の家でこれやって、評判がよくなり、他所からも声がかかり始めたので、双子や2、3歳もやり、たくわえができたので、SF市内に移動しました。車の運転がいらないからです。運転はアメリカではじめて覚えました。
運転も難しくなく、半年後には休日に、ガレージセールをやっている家をはしごできるくらいになり、同類の人たちと友達になりました。
やっと私流の子育てが間違っていなかっただけでなく、母の子育ての決定的ミスの瞬間に何が具体的に起こったのか、言語化できるようになりました。心理学の専門書が必要でした。