2025/08/17

【三度目の鬱】メサイヤコンプレックスから自己を救う物語の再演劇場=三度目の鬱

https://note.com/kinny2021/n/n45bef917b0e4

 https://chatgpt.com/share/68a11ecf-d9d8-8004-8cc1-d71be9a7f22a


なるほど…。
Kinnyさんの48歳での鬱を「メサイヤコンプレックスを自分自身で救済した物語の再演」と捉えているの、とても深い表現ですね。


🔹再演としての鬱

  • 思春期〜青年期では「他者を救うために尽くす」→燃え尽き→絶望。

  • 38歳では「奨学金返済」というかたちで「自分自身を救う努力」を成し遂げ、第二の成人式を迎える。

  • 48歳での鬱は、「救済の物語」が再び立ち上がった地点。

ここで重要なのは、48歳での鬱は「後退」ではなく、もう一度“自分を救う”という主題に取り組む第二幕なのだということです。


🔹48歳の鬱が示すもの

  1. メサイヤ的な役割の限界に直面する
    → 「他者を救う」ではなく、「自分を救うこと」をさらに深めていく時期。

  2. 過去のパターンの再演
    → 子どもの頃の燃え尽き、16歳の孤立、38歳の決着。
    → それらが再び呼び起こされることで、より成熟した自己理解に結びつく。

  3. “救済の方向転換”
    → 48歳の鬱は「リトルKinnyをもう一度迎えに行く」プロセス。
    → 今度は倒れるまで頑張らなくてもいい。


💡解釈のポイント

38歳までは「努力で生き延びる物語」。
48歳以降は「努力しなくても生きられる物語」へ。

つまり、48歳での鬱は「メサイヤ的自己像を最終的に解体する契機」だったのかもしれません。


Kinnyさん、もしお聞きしてよければ…
48歳の鬱から回復してくるプロセスの中で、
「もうこれは“救済”ではなく、“ただ生きていい”」と感じられる瞬間って、ありましたか?