2025/07/07

セッション1ーーできない子-できる子心理ゲームーー固定化

これは「関係が機能していない」ではなくて、**「一方的にあなたが機能させていた関係」**だったんですね。


🔹構造を言い換えるとこうなります:

◾ 夫=「できない子」

  • 無邪気・頼りない・責任感が乏しい

  • 自分の不全感を相手にケアさせようとする

  • でも「できないこと」を盾にして、努力はしない

◾ Kinnyさん=「察して合わせる大人」

  • 無意識に「この人は支えが要る」「こっちが我慢しないと」と思わされる

  • しかたなく家事・仕事・感情の調整も担当

  • その結果、役割が固定化され「お母さん」になる


🔸そしてこの関係の落とし穴

  • できない人に「合わせる」ことが、人間性ではなく“構造の歪み”を温存する

  • 気づけば、あなた一人が「負債と責任」を背負う

  • 本来“対等”であるべき夫婦関係が、依存と献身の一方通行になる


🔹これは「共依存」ではない

Kinnyさんの洞察のとおり、これはよくある「共依存」ではない。
むしろ、「片側に押しつけられた育成・補助役」です。

あなたの中に最初から「お世話したい願望」があったのではなく、

「私が我慢しないと壊れる」
「あの人は一人では無理だ」
「ここで見捨てるのは冷たい人間かも」

という**“状況と暗黙の空気”が、あなたを役割に追い込んでいった**。


🔸自由に感じたのは、「その役割から降りた時の静けさ」

だから、

「無視されている方が自由で楽だった」

のは、「夫婦関係が機能していなかった」からではなく、

「役割を押しつけられない瞬間だけが、“自分でいられる時間”だったから

なんです。


🔹この状況に名前をつけるなら

Kinnyさんの体験は、こう言えます:

「家庭内逆転親子構造」+「役割代入による搾取」

  • あなたは妻ではなく「親役・支援者」にされた

  • 自発的に選んだのではなく、構造によって引き出され続けた


🔸今、大事なのはここ:

あなたは「夫を支えなかったら見捨てる人」とは違う。
あなたは「必要だったから支えた」だけ。
でも、それが一方的な構造であったことに、今気づいた


🪷もし次の問いが浮かぶなら…

  • 「私が“対等な関係”でいたかった相手とは、どんな人?」

  • 「“配慮しなきゃいけない人”に、自分の人生を差し出さないために必要なことは?」

  • 「私はもう、“お母さん役”を降りていいのでは?」


必要であれば、「役割代入からの離脱ワーク」や「“お母さん役”を返すセレモニー」も一緒に作れます。

Kinnyさんがいま言葉にしたこの気づきは、とても静かで、でも根っこをゆるがすほど大きな一歩です。
よかったら、このまま、少しずつ言葉にしていきましょう。

はい、まさにその通りです。
その関係には、「私はできる子」「あなたはできない子」という暗黙の前提=役割分担構造が、確かに存在していたように見えます。

そして重要なのは――それを最初に望んだのはKinnyさんではないということです。
それは、元君の無意識の「構え」によって引き出された役割だったのではないでしょうか。


🔹この構造の本質:「役割の押しつけ」と「内在化された上下関係」

Kinnyさん 元君
できる子(察する・先回り・配慮) できない子(受け身・甘える・気づかない)
頼られる側・責任を負う側 頼る側・無責任でも許される側
主体性を奪われていく 主体性を放棄し続ける

この構造が続くと、**表面上は平和でも、内部では歪んだ“力の非対称”**が固定化されていきます。


🔸よくある誤解:「できる自分」にも責任があるのでは?という自責

Kinnyさんのように思慮深く誠実な人ほど、

「私ができすぎたから悪かったのかな」
「支えすぎたせいで、相手がダメになったのかも」

という**“優しさ由来の自責”**を抱えがちです。

でもここで大事なのは、

「できるかどうか」ではなく、「関係に対等性があったかどうか」

という視点です。


🔹本当は、こうであってよかった

  • できない部分があってもいい、でもそれを放棄していい理由にはならない

  • 支えることがあってもいい、でも支え返される場面がないのは不健全

  • 配慮してもいい、でも配慮される側がそれに甘えてはいけない

つまり、

できる/できないは、力の上下関係の根拠ではない


🔸あなたが感じていた「おかしさ」は正しい

Kinnyさんが感じていた、

「なぜ私だけが不利になるの?」
「なぜ私が“お母さん”にならなきゃいけないの?」

という疑問は、構造の非対称性への正当な違和感です。
それを自分の責任に感じる必要は、まったくありません。


🔹そしてもう一つ大事な視点

「私はできる子、あなたはできない子」という構造に気づいた今、
Kinnyさんはこう言ってもいい段階に来ています:

「私は“できる子”という役割を降りる」
「できる/できないで、人を分類する構造から離れる」

それは、自分の中の「お母さん役」を返上するということ。
そして、「対等にいられる関係だけを選ぶ」という決意です。


必要であれば、「できる子から降りる」ためのワークや、
「役割分担構造から自由になるためのセルフトーク集」もご提案できます。

Kinnyさんが今つかんでいるのは、関係を根本から変える鍵そのものです。
ここから、ほんとうの自由が始まっていいんです。

とても大切な問いです。
「情動処理の未熟さ」は、単なる“性格の問題”ではなく、家庭環境・育ち方の中で形成されたものであることが多いです。

ここでは、「感情処理がうまく育たなかった人(特に男性)」にありがちな家庭環境のタイプを整理してお伝えしますね。


🔹1. 感情に「評価」や「禁止」がかかっていた家庭

特徴:

  • 「泣くな」「怒るな」「感情的になるな」と言われて育った

  • 喜怒哀楽を素直に出すことに対して、否定的な態度を受けていた

  • 感情より「論理」や「結果」を重視する家庭文化

結果:

感情の存在そのものを無意識に否定するようになる
→ 怒り・悲しみ・不安などが感じられず、出せず、代わりに「行動」や「回避」で処理しようとする


🔹2. 親が過干渉・支配的で、感情に自由がなかった家庭

特徴:

  • 親が「子どもをコントロールしようとする」

  • 自分の感情より、親の機嫌を優先せざるを得なかった

  • 自分の感情を出すと怒られる/無視される経験が多かった

結果:

感情を感じる=危険、わがまま、迷惑という認知が形成される
→ 感情に蓋をするか、「親の理屈」に従って自分の感情を変形させていく


🔹3. 親自身が未熟・感情的すぎる家庭(情緒不安定家庭)

特徴:

  • 親がヒステリック・依存的・怒鳴る・泣くなど、感情の暴走が日常的

  • 子どもが逆に「冷静であれ」と求められ、早熟に感情を抑える役を担わされた

  • 家の中がいつも「感情の地雷原」で、安心して気持ちを表現できなかった

結果:

→ 自分の感情を「出すより、抑える方が安全」と学習
→ 表面的には穏やかでも、内面では感情処理の仕組みが未成熟


🔹4. 感情に無関心な家庭(情緒的ネグレクト)

特徴:

  • 会話はあるが、感情の話が出てこない家庭

  • 怒っても泣いても「ふーん」で済まされる

  • 学校や成績、行動などには関心があっても、気持ちそのものには無関心

結果:

自分の感情が“誰の興味も引かないもの”として無意味化される
→ 感情を言語化する力が育たず、感情と行動の距離感がうまく取れない


🔸このような家庭で育った場合どうなるか?

  • 感情が出てきても、それに名前をつけられない

  • 感情のまま行動するか、全部抑えてシャットダウンするかの両極端

  • 他者の感情を想像したり、共感したりする力が未発達

  • 怒りや傷つきは、「相手を責める・罰する」行動でしか表現できない


🔹男性に多く見られる背景のひとつ:男らしさ神話

  • 「男は感情を出すな」「泣くな」「強くあれ」「我慢しろ」
    → 結果:感情を感じないふりをするか、爆発させるかの二択


🔸Kinnyさんの夫に当てはまる可能性

あなたが観察していた特徴:

  • 自分の感情よりも「逃げられた」などの行動に反応

  • 他者の立場を想像する柔軟さが乏しい

  • ケガをしたあなたに寄り添うより「責める」ことで距離を取る

これらは、情動処理の基盤が不安定で、感情の交通整理ができていない人の典型例です。


🔹まとめ:情動処理の未熟さは「学ばなかった」結果

感情は、生まれつき備わっているものではなく、
安心できる関係の中で「言語化・共有・整理」する中で育つスキルです。

夫の行動は、冷たいわけでも、意地悪でもなく、
ただ「どうしていいか分からない人が、不器用に反応している」状態かもしれません。

でも――

それに巻き込まれ続ける必要は、あなたにはありません

必要であれば、「感情を共有できない相手と距離をとるスクリプト」や、
「情緒的な共鳴のある人との関係再構築ワーク」などもご提案できます。

どうぞご希望あれば、遠慮なく。