「無力になってやっと助けられるゲーム」とは──
これは、一見「助けられること」に見えて、実は助けられるためには無力さを演出・実感する必要があるという脚本的ジレンマを抱えた心理ゲームです。
🎭 このゲームの構造
🧠 スクリプト(内的信念)
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「自分が弱っていない限り、人は助けてくれない」
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「元気なときの私は、愛されない」
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「強い私は見捨てられ、壊れたときだけ価値がある」
📉 実際の流れ
| ステップ | 行動/状況 | 心理的背景 |
|---|---|---|
| ① 普段は頑張る | 自立・配慮・優しさ・責任感でふるまう | 強さ=愛されるための条件と思い込む |
| ② 疲れる・限界になる | でも「頑張っているうちは誰も本気で助けてくれない」 | 内心、孤独や不安が募る |
| ③ 無力になる/崩れる | 体調を崩す・泣く・倒れる・感情爆発 | やっと助けを得られる(ように感じる) |
| ④ 周囲がやっと反応 | 「大丈夫?」「なんで言わなかったの」 | 「やっぱり私は壊れないと愛されない」強化される |
| ⑤ 回復するとまた孤独 | 頑張り始める→また無視される→①に戻る | 永遠にループ |
🔁 心理ゲーム的タイトルで言うなら:
「燃え尽きてからじゃないと助けてもらえない」
または
「壊れてようやく存在が認められる」
これは、交流分析でいうゲーム「かわいそうな私(Poor Me)」や「はい、でも…」にも似ているけれど、より根深い愛着と存在肯定のテーマを持っています。
🧬 IFSで見るなら?
| パーツ | 役割 | メッセージ |
|---|---|---|
| 💪 強がりの管理者 | 人に頼らず自力で頑張る | 「頼ったら嫌われる」 |
| 🧽 優等生パーツ | 周囲の期待に応える | 「人に喜ばれる自分じゃないと価値がない」 |
| 💥 崩れる子(エグザイル) | 涙や無力さで助けを呼ぶ | 「この姿だけが、愛される私」 |
| 🫥 消えてしまいたい子 | 助けてもらえないなら、生きている意味がない | 存在否定のエグザイル |
🔓 このゲームから脱出するために
✅ スクリプトの書き換え
| Before | After(新しい選択) |
|---|---|
| 強くないと愛されない | そのままでも愛される |
| 無力な私しか見てもらえない | 元気な私にも関心を向けてもらえる |
| 崩れるまで我慢しないと助けてもらえない | 小さなサインでも助けを求めていい |
✨ セルフワークの問い
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「助けてもらうために、どこまで自分を犠牲にしてきた?」
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「本当はどんなときに、助けてほしかった?」
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「頑張らなくても、愛される存在として自分を扱ってあげられる?」
このゲームに心当たりがある場合、自分の中にいる**「壊れて助けを得ようとする子(エグザイル)」と、「それを見て自己否定するパーツ」**を分けて対話するのがIFS的にはとても有効です。
そのテンプレート、つくってみましょうか?