2025/03/25

【幼児体験】喪失の予兆 に現在トラウマ反応中

 ■ 喪失の予兆に対する恐怖(=トラウマ反応)

この考え方は、「関係を続けるために努力する → それでも変わらないなら離れるしかない」というパターンだけど、これは幼少期に「関係の存続には自分の努力が必要だった」「努力しても報われなかった経験がある」 ことが影響している可能性がある。

全部、思い当たります…



🍼 例1:親の関心を引くために努力し続けた幼児体験

💡 「親が冷たかったり無関心だったが、努力すれば愛してくれるかもしれないと思っていた」

  • 小さい頃、親が忙しくてあまり構ってくれなかった

  • でも、「私が良い子でいたら、振り向いてくれるかも」と頑張った

  • 成績を上げたり、手伝いをしたりして愛されようと努力した

  • それでも親が変わらなかった(子供より自分優先)とき、「何をしても無駄だ…」と絶望感を味わった

「相手を変える努力をするけど、変わらなかったら諦めるしかない」という思考パターンが形成される


🍼 例2:機嫌の悪い親や大人に振り回された経験

💡 「相手の機嫌に合わせて行動することで、関係を維持していた」

  • 親が気分屋で、いつ怒るか分からなかった

  • だから、「どうしたら怒らせずにすむか?」と常に考えていた

  • 親の態度=自分の努力次第 と思い込み、頑張り続けた

  • でも、どれだけ頑張っても機嫌の波は変えられなかった

  • 「結局、親の機嫌は親の問題で、自分ではどうにもできない」と諦めた

「相手を変えようと頑張る → でも無理なら手を引く」 という考え方につながる


🍼 例3:「良い子じゃないと見捨てられる」という恐怖

💡 「私が努力しないと、大事にされない・愛されない」

  • 「親に迷惑をかけたらダメ」と言われて育った

  • わがままを言うと「そんな子はいらない」と突き放された

  • だから、「捨てられないためには、期待に応えなきゃ」と努力し続けた

  • でも、どれだけ頑張っても無条件に受け入れられる感覚がなかった

「相手にとって価値ある自分でいなければ、関係は終わる」という信念ができる
だから、「夫が関心を持たないなら、この結婚は価値がない。去るしかない」と感じる


🍼 例4:弟や妹に親の愛情を奪われた経験

💡 「私がどんなに頑張っても、親の関心が向かない喪失体験」

  • 幼い頃は親にたくさん構ってもらっていた

  • でも、弟や妹が生まれてから、親の関心がそちらに移った

  • 「私はお姉ちゃんだから我慢しなさい」と言われた

  • 何をしても親の関心が戻ってこないと分かり、「努力してもダメなら諦めるしかない」と学んだ

「関係をつなぐために努力する → それでも無理なら諦める」という思考が定着


🍼 例5:母親が破産するかもしれないという不安を抱えた経験

💡 「家族が崩壊しないように、自分が頑張らなきゃと思っていた」

  • 両親の仲が悪く、家の空気がいつもピリピリしていた

  • 私が大人に話をしたら、破産しないで済むかも」と思っていた(正しかった)

  • でも、母の借金地獄は悪化するばかりで、自分の努力ではどうにもならなかった

  • 最終的に「もう無理だ」と諦める経験(18歳で自立)をした

「家族(関係)を守るために努力する → それでもダメなら終わり」という思考が染みつく


🎯 まとめ:幼児体験と「夫が変わらなかったら去るしかない」思考の関係

💡 ① 幼少期に 「関係を続けるために努力する」 ことを学んだ
💡 ② でも、努力が報われなかった経験がある
💡 ③ 「関係は自分の努力次第」と思い込みつつ、変わらないときは喪失の痛みを味わった
💡 ④ その結果、「変わらないなら、私は去るしかない」という考え方が強くなる

📌 でも本当は…?
「関係は、努力で維持するものではなく、自然に成り立つもの」
「相手の態度が変わらないなら、去る or 留まるを決めるのは"私の自由"」
「喪失を恐れるより、自分の幸せを優先してOK!」

もし「夫が変わらなかったら私は去るしかない」と感じたら、

「なぜ私は"努力しなければ関係が続かない"と思っているんだろう?」

って、一回振り返ってみるのもアリかも✨