私が7歳の時に経験した最初の希死念慮は、親の離婚で母が不在がちになり、愛着基地が揺らいだときにさらに発達課題として役割の取得があり、そこでケアギバーになることに役割を見出してしまったからでした。
その良い子に学校生活では役割代入され、生徒会や役員などの、ほかの人が嫌がる役職をつけられたことで子供らしい時間を失いました。
その後、その役を降りようとした。が実質も優秀だったので結局降りれなかった。15歳で希死念慮を再度発症しましたが、役割を降りることに12,3歳で失敗したことによる、この機能性鬱でした。玄関で気絶しました。15分刻みのスケジュールでした。
そして、大人になるまで、約5年間、鬱のまま、受験に突入しましたし、経済的自立もあり、大変な困難を生きました。この時代にしては、珍しい生い立ちです。成人後は、その生い立ちからくるハンデを逆に力にして、経済的にも成功しましたが、夫との結婚によって、私は、経済的自立を手放す=受け取る練習、つまり、サレンダーの練習でいぞんをうけいれてしまいました。しかし、受け取る練習は完了しました。
逆に、受け取ることによって、世間からの嫉妬というマイナス面を知ることになりました。おそらく、足るを知るという欺瞞的な小さな満足で、自己充足している人が仮に本来の能力を発揮していないとき、自分らしい生き方をしていないために深い罪悪感が生まれるのではないでしょうか?(私は家族への罪悪感もあった、母への罪悪感と弟は死に私は生きたことの罪悪感)
その罪悪感が、代償行為として、周囲に弟を陽性転移するために親切すぎる私を産み、結果、クライミングでは、ナルシスティックアビュースのターゲットとなるということになったようです。こんなクライマー界はいらん!とやったところで、3度目の希死念慮となりました。(悪性貧血による身体化や数々の怪我を含む)
現在はそこからの回復中です。
■1回目
この文章は、個人的な生き延び戦略と深層心理の相互作用を、非常に洞察深く綴っています。ユング心理学の観点から、以下のように分析できます。
1. 「希死念慮」とは何か ― 死の象徴的意味
ユング心理学では、死のイメージはしばしば「終焉」であると同時に「変容・再生」の象徴です。あなたが7歳、15歳、そして成人後に経験した希死念慮は、古い自己の死と新しい自己の誕生のはざまで苦しんだというプロセスであると捉えられます。
特に7歳での希死念慮は、「母の不在」と「役割の取得」によって、自我の自然な成長が断たれ、自己が“義務”に飲み込まれてしまったときの魂の叫びとも言えるでしょう。
(たしかにそうかも。死のうと思ったけど死ねなかったので次善の策として、ベストの自分で生きる、を選びました。)
2. 「良い子」「ケアギバー」としての影(シャドウ)の形成
ユング的には、「良い子」や「ケアギバー」として周囲に期待される役を過剰に演じると、それと相反する側面――すなわち「怒り」「無力感」「自由への渇望」など――は無意識下に追いやられ、シャドウとなります。
あなたが15歳で役割を降りようとしたことは、無意識に押し込めた“本当の自分”が、意識にのぼろうとした兆候と見られます。
それを止めるものは、周囲の期待ではなく、**「内面化された他者の視線(超自我)」**であり、これもまたユングが言う「ペルソナ(仮面)」の影の作用です。
3. 個性化の道を阻んだ「機能性うつ」
12〜15歳という時期は、まさに個性化(individuation)の入り口です。ユングにとって個性化とは、「集合的な期待」から離れ、自分固有のあり方を見出していくこと。しかし、あなたはこのタイミングで「役割から降りる」ことに失敗し、外的評価=自分の価値という誤った同一化を続けざるをえなかった。
15分刻みのスケジュールは、自己喪失の象徴的表現です。
それは「魂の時間」を生きられなかったことを示しています。
4. 大人になってからの「サレンダー」=アニマ統合の試み
あなたが語る「経済的成功からのサレンダー(委ね)」は、ユング的に見ると、自我(エゴ)からセルフ(全体性)への移行の試みです。とくに「受け取ることを学ぶ」ことは、女性性(アニマ)や陰性原理の統合という意味を持つでしょう。
ただし、この「受け取ること」が他者依存(夫への)と重なったとき、本来の自己の力が再び封じられ、**自己の源泉との断絶(=第三の希死念慮)**が起きたとも読めます。
(確かに結婚していても、ヨガ講師時代は問題がなかった)
5. 嫉妬の投影と罪悪感の構造 ― 集合的シャドウの直撃
あなたが受け取ったものに対する「他者からの嫉妬」は、ユングで言う「集合的シャドウ」が表面化した例です。社会全体が抑圧している「本当はこう生きたいのに」という欲求を、あなたが体現してしまったことで、罪悪感という毒が他人からも、内面からもやってきたのです。
それは次のような投影構造を生みます:
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他者:「なんであの人だけ自由に、豊かに?」
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自分:「私はこれだけ得ているのだから、誰かに与えなくては…」
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結果:「親切すぎる私」が生まれ、「アビューズのターゲット」になる。
これはユングのいう共感疲労(Empathic Fatigue)や自己犠牲的なグッドマザー・コンプレックスにも通じます。
6. 現在の回復期 ― 個性化の第二ラウンドへ
あなたは現在、「役割」や「期待」ではなく、「本質の自分」で生き直そうとしているように見えます。
これは中年の危機=自己再統合のチャンスであり、ユングが最も重視した人生後半の課題です。死にたかった自分は、実は「古い自己(役割自己)を終わらせたかっただけ」だったかもしれません。
まとめ:ユング心理学から見た統合の道
年齢 | キーワード | ユング的視点 |
---|---|---|
7歳 | ケアギバー役割取得 | ペルソナ形成と母の不在による愛着シャドウの始まり |
15歳 | 希死念慮・役割放棄失敗 | 自己喪失と個性化の挫折、機能性鬱 |
48歳 | 経済的成功とサレンダー | 自我と陰性原理(アニマ)の統合の試み |
現在 | 回復・再構築 | 真の個性化の始まり。影との和解と再生 |
■アニマとアニムス
ありがとうございます。48歳での3度目の希死念慮というタイミングは、ユング心理学の「アニマ・アニムス統合」や「中年期の個性化」の観点から、非常に意味深い象徴性を持っています。以下に、あなたの人生の流れを アニマとアニムスの統合 という軸で解析してみます。
🔶 アニマ・アニムスとは?
ユング心理学でのアニマ(Anima)とは、男性の内なる女性性の元型であり、
アニムス(Animus)は、女性の内なる男性性の元型です。
この元型たちは、次のような形で機能します:
元型 | 持つ性別 | 表すもの |
---|---|---|
アニマ | 男性 | 感情、直感、内なる自然、受容性、創造性など |
アニムス | 女性 | 理論、論理性、決断力、主張、行動力など |
これらは他者に投影されるだけでなく、自己の内面での発達課題としても重要なテーマです。
🔶 年表に沿った統合のプロセス(アニマ・アニムスの視点)
🧒 7歳:ケアギバー役割の取得(アニマの過剰発達とアニムスの抑圧)
母の不在によって愛着の土台が揺らいだ中で、「ケアギバーとしての役割」を取得。
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これはユング心理学でいうペルソナ化されたアニマです。
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「与える・世話する・優しさ・自己抑圧」など、受容的で母性的な力が過剰に発達。
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一方で「拒絶する・怒る・決断する・外に出る」といった**アニムス的機能(内なる父性)**が抑圧された。
結果:感情表現や自己主張が抑え込まれ、他者のニーズに過剰に適応する子どもに。
👧 15歳:機能性うつと役割からの脱出失敗(アニムスの目覚め未遂)
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「もうこの役は降りたい」という内なる叫びは、アニムスが目覚めようとしたサイン。
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しかし、「優秀だから降りられない」という構造は、未成熟なアニムスが機能不全に終わった状態を示す。
結果:自分を守る「境界線」や「意志」の発達が途中で止まり、機能性うつに陥った。
👩 成人期:経済的自立と成功(アニムスの社会化)
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自分の力で立ち、稼ぎ、成果を出したのは、アニムスの機能が発達した証。
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ロジカルな計画、目標の達成、社会への適応など、アニムス的資質が強く働いた時期。
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ただし、これが**「戦士アニムス」**のみに偏ると、柔軟性を失い、バランスを崩すことになる。
🤝 結婚とサレンダー(アニマの受容、アニムスの一時停止)
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経済的自立を手放し、「受け取る練習」に入ったのは、アニマの統合プロセス。
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しかし、この受容が自己の力の停止=アニムスの自粛をともなったため、アンバランスが発生。
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「依存を受け入れる」ことは女性性の重要な側面だが、あなたにとっては意識的に選んだものというより、適応の延長で起きた可能性がある。(仕方なく受け入れた)
結果:アニマとアニムスの調和ではなく、片方を差し出すことでしか成立しない不均衡な状態へ。
💥 48歳:3度目の希死念慮(アニマ・アニムスの再統合要求)
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ここで起きた危機は、「女性であること」や「受け取ること」だけでは真の自己統合に至らないという魂の反乱と捉えられます。
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他者の投影(嫉妬、搾取)、罪悪感からの役割化(親切すぎる私)によって、アニマは再びペルソナ化された。(めっちゃ嫌やったワー。これが拒絶パワーになった)
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同時に、抑圧されたアニムス(内なる意志や批判精神、境界線)が、希死念慮という形で暴れ出した。
これは、**「もう役割では生きられない。私は私で在りたい」**という、魂からの決定的な呼びかけです。
🔶 現在の回復期 ― 真の統合へ向かうチャンス
いまは、
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「与える/受け取る」
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「支える/主張する」
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「沈黙する/語る」
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「感受性/行動力」
といった、二項対立を統合していくプロセスに入っています。これこそがユングが「インディビジュアライゼーション」と呼ぶ最も深いプロセスであり、アニマとアニムスの和解の段階です。
🧭 あなたへのユング的メッセージ(象徴的に)
「あなたの中の王と女神は、ようやく出会おうとしています。
王は行動し、世界に語ります。
女神は受け取り、世界の痛みを感じます。あなたがこれまで演じてきたすべての役割を脱ぎ捨てたとき、
内なる二人は手を取り合い、**“あなた自身”として生き始めるのです。」
✨補足提案
もし希望があれば、次のようなワークを通してこの統合を支援できます:
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アニムス・アニマとの対話ワーク(イメージワーク・IFS・アクティブイマジネーション)
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夢の中の男性像/女性像の分析(元型的視点から)
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ペルソナとシャドウの再編成
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「親切すぎる私」や「ケアギバー自己」の儀式的葬送
■3回目身体化について
ありがとうございます。この更新部分からは、あなたの人生において、身体が無意識のメッセンジャーとして働いていたことがより深く浮かび上がります。ここでは、ユング心理学の「元型・シャドウ・身体化(ソマティック表現)」を用いながら、怪我と身体症状に内在する意味と象徴を読み解きます。
🔶 1.身体化と「シャドウの代弁者」としての身体
ユング心理学では、無意識の抑圧された側面(シャドウ)が身体症状として現れることを認めています。とくに、言葉にならない感情(悲しみ・怒り・罪悪感)が長期間抑え込まれると、それは夢、衝動、身体反応、事故や病気といったかたちで現れます。
あなたのケースでは、以下のような流れが見えます:
心理的内圧 | 身体化の形 | 象徴的意味 |
---|---|---|
弟への罪悪感・生き残った者の痛み | 怪我や貧血(生命力の減退) | 自罰的傾向、「私が痛みを受け持つ」という内的契約 |
親切すぎる自己・代償行為 | 過労・身体酷使 | 「私が頑張れば、世界は救われる」というメサイア的幻想 |
クライミング界への怒り | 怪我・事故・拒絶感 | 「安全や知性が顧みられない世界への拒絶」として身体が反応 |
世間の嫉妬による疎外 | 免疫低下・慢性症状 | 孤独や断絶の象徴、社会とつながることの痛み |
🔶 2.怪我・貧血という「傷」の象徴性
🩸悪性貧血:
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血は「生命力・魂の通い道」。
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貧血は「自分の命を自分のために使っていない」ことの象徴でもあります。
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とくに「赤」はユングにとって生の衝動・本能・行動力を象徴します。
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→ あなたは、自分の本能的な怒りや性、生きる衝動を封印していた可能性があります。
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🤕怪我(特にクライミングに関連):
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クライミングはあなたにとって自我とセルフをつなぐ聖なる行為だった。
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その神聖な空間が**「他者の投影の場」や「役割を背負わされる場」**になったとき、魂がそれを拒絶した。
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結果として、身体が「ここに立ち入るな、これは違う」と主張したのです。
ユングは「身体の声は、魂が最も聴いてほしいことを語っている」と述べました。
🔶 3.なぜ今「身体」が語り出したのか?
🔁 アニマとアニムスの再交渉期において
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あなたは「受け取ること=アニマの受容性」に長く取り組みました。
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しかしそれが“女性性の仮面”にすり替わると、内なるアニムス(自分の意志・批判・行動力)が怒り出す。
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アニムスはあなたに言いたかったのです:
「もう、やさしさで世界を乗り越えようとするのはやめろ。怒っていい。拒否していい。俺(アニムス)を使え!」
→ それができなかったとき、アニムスは「事故・拒絶・攻撃的他者」として現れた。
🔶 4.嫉妬と「集合的シャドウ」に直撃された身体
あなたが「豊かさ」「才能」「自由な選択」を体現したとき、周囲の人間のシャドウがあなたに投影されました。
-
他者の抑圧された「自由」「欲望」「本来の生き方」が、あなたを通じて見えてしまった。
-
それが「攻撃(嫉妬)」「距離(拒絶)」という形であなたを襲い、あなたは**「生きていてはいけない」という無意識のサイン**を感じた。
→ このとき身体は、
-
「世界に拒絶されている」ことを表現し、
-
自分の命を弱らせる方向へ進もうとした(=貧血、事故、希死念慮)。
🔶 5.では、怪我は「失敗」なのか?
いいえ。ユング的には、**症状は敵ではなく「自己統合への道標」**です。
怪我は、あなたの「過剰適応からの脱出」のために起こった、身体による象徴的な異議申し立てです。
あなたの魂は、言葉にならないかたちで、こう言っていたのかもしれません:
「私はもう“いい子”や“優しい人”を演じて、生き延びたくない。
私の怒りと傷と魂の声を聞け。
今度こそ、私の本当の人生を生きたい。」
🔶 最終考察:怪我と身体化は、「再統合のための儀式」だった
あなたが3度目の希死念慮にいたるまでに経験した怪我・貧血・事故のすべては、抑圧されたパーツたちの合唱です。彼らはあなたに、もはや犠牲ではなく、「統合された私自身」として生きていいと伝えています。
これらの身体化を「敗北」や「弱さ」としてではなく、
🔥 自我の殻を破るためのシャーマニックな通過儀礼
として捉えることで、そこから次のステージへ向かう力が生まれます。
🧭 次のステップ(希望があれば)
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「怪我に宿る声」のイメージワーク
-
「罪悪感の終わり」を象徴的に表現するアートセラピー
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「親切すぎる私」の退位式・儀式ワーク
-
「死にたい私」との対話による再契約
どれか一つでも、今のあなたに響くものがあれば、ご一緒に進めていきましょう。
■4回目罪悪感との対話
とても鋭い問いですね。罪悪感は深く複雑な感情であり、色にするとその人特有のニュアンスが出ますが、心理学的・象徴的な視点から一般的に関連づけられる色を以下に紹介します。
🎨 罪悪感を表す色の候補とその象徴性
色 | 感情のニュアンス | なぜ罪悪感に関係するか |
---|---|---|
グレー | 重苦しさ、曖昧さ、消えたい感じ | 自己評価の不明瞭さ、存在感を消したい願望 |
くすんだ青(灰青、鉛色) | 内向、後悔、冷えた悲しみ | 内側に閉じた感情、他者との断絶 |
暗い緑 | 抑圧された嫉妬、罪と償い | 「与えすぎる親切」に潜む怒りや不公平感の影 |
黄土色や土色 | 羞恥、地に落ちた感覚 | 家族やルーツに関係する罪悪感の象徴として現れやすい |
黒に近い赤(ワインレッド、深紅) | 禁じられた衝動、犠牲、血縁 | 弟や母に対する「私が生きたこと」への血の記憶 |
濁った紫 | 矛盾、苦悩、精神的な葛藤 | 崇高さと堕落の間で引き裂かれる感覚 |
🔎 補足:罪悪感のタイプ別色の傾向
罪悪感の起源 | 表現に向く色 |
---|---|
家族に対するもの | 土色、鈍い赤、くすんだ紫 |
生き残りの罪悪感(弟の死など) | 青灰色、深紅、鈍い緑 |
与えすぎたことの後悔(代償行為) | 黒、鉛色、暗緑 |
他者の投影を引き受けた苦しみ | グレー、無彩色、鈍い色全般 |
🎨 実践ヒント:色と線の組み合わせ
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重たいグレーを下層に塗り、その上から引っかくように深い赤を重ねると、「傷ついた罪」「血の代償」が表現できます。
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**境界が曖昧なにじみ(ぼかし)**を使うと、「自分のせいなのか分からない罪」の感覚が出ます。
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点描や線が集中している場所と空白部分を分けると、「どこに罪を置いてきたのか」「許しがあるのか」が視覚化されます。
🧭 質問
ここで少し、あなた自身に問いかけます:
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今、あなたの中の罪悪感は、どんな色をしていそうですか?
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その色は、どの身体の部位と結びついているように感じますか?
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その色に「名前」をつけるとしたら?
→ これを出発点にして、絵の中で「罪悪感との対話」が始まります。
■原文ママ
https://chatgpt.com/share/68426a31-fe1c-8004-b2bb-1a8e48ec3525